コンテンツにスキップ

ウィチャイチャーン副王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィチャイチャーン
วิไชยชาญ
タイの王族
副王に就くウィチャイチャーン副王

在位
1868年10月2日 − 1885年8月28日
先代 ピンクラオ
次代 廃止
(ワチルンナヒット 王太子制へ移行)

出生 (1838-04-06) 1838年4月6日
バンコク, タイ王国
死亡 1885年8月28日(1885-08-28)(47歳没)
シャム バンコク, タイ王国
王室 チャクリー王朝
父親 ピンクラオ
母親 エーム
配偶者 プリックレックナーナコン ほか多数
テンプレートを表示
称号:副王
敬称 殿下
His Royal Highness the Viceroy
กรมพระราชวังบวร

クロムプララーチャワンボーウォーンウィチャイチャーンタイ語: กรมพระราชวังบวรวิไชยชาญ)または、プラオンチャオヨートインヨット(พระองค์เจ้ายอดยิ่งยศ、1838年4月6日 - 1885年8月28日)は、タイ王国の王子であり、 チャクリー王朝の王族である。 彼は副王だったピンクラオ英語版とエーム王女の長男で、ラーマ4世の甥にあたる人物である。 1868年にいとこにあたるラーマ5世の治世において父の後を継ぎ、副王宮とそれを司る副王の地位を与えられた[1]。ウィチャイチャーン副王の時代において、副王の権力は非常に強く、国王に匹敵する程であり、 結果として、ワンナー事件英語版が勃発した[2]。この事件で副王は敗北し、私兵は解散させられ、副王の権力は大幅に減少した。 1885年に副王は死去し、その後副王は廃され、その役割は王太子に移行した[3]

脚注

[編集]
  1. ^ Kesboonchoo MeadP.38
  2. ^ Archived copy”. 2016年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月28日閲覧。
  3. ^ Kesboonchoo MeadP.95