アーサー・ゴア (第5代アラン伯爵)
第5代アラン伯爵アーサー・サンダース・ウィリアム・チャールズ・フォックス・ゴア(英語: Arthur Saunders William Charles Fox Gore, 5th Earl of Arran KP、1839年1月6日 – 1901年3月14日)は、イギリスの政治家、アイルランド貴族。ドニゴール県長官(在任:1863年 – 1864年)、メイヨー統監(在任:1889年 – 1901年)を務めた[1]。
生涯
[編集]第4代アラン伯爵フィリップ・ヨーク・ゴアと妻エリザベス・マリアン(Elizabeth Marianne、旧姓ネイピア(Napier)、1899年4月27日没、サー・ウィリアム・フランシス・パトリック・ネイピアの娘)の長男として、1839年1月6日にバースで生まれた[1]。イートン・カレッジで教育を受けた[1]。
青年期に各国のイギリス大使館でアタッシェを務めた。具体的には1859年にハノーファーで、1860年にシュトゥットガルトで、1861年にリスボンで、1863年にパリで務め、1864年12月に外交官から引退した[1]。また、1863年から1864年までドニゴール県長官を務めた[1]。1865年から1881年まで所得税特別委員(Special Commissioner of Income Tax)を務め、1883年から1884年まで税関委員(Commissioner of Customs)を務めた[1]。
1884年6月25日に父が死去すると、アラン伯爵位を継承した[1]。同年11月7日、連合王国貴族であるメイヨー県におけるカースル・ゴアのサドリー男爵に叙された[1][2]。同年12月4日、アイルランド貴族代表議員選挙での投票権を認められた[1]。
1889年1月14日から1901年に死去するまでメイヨー統監を務めた[3]。
1901年3月14日にメイフェアのハートフォード・ストリート16号(16 Hertford Street)で死去、19日にウィンザー墓地(Windsor Cemetery)に埋葬された[1]。息子アーサー・ジョスリン・チャールズが爵位を継承した[4]。
家族
[編集]1865年2月21日、ヘンリエッタ・ジョスリン(Henrietta Jocelyn、1845年2月10日 – 1871年10月3日、ジョスリン子爵ロバート・ジョスリンの娘)と結婚[1]、1男3女をもうけた[4][5]。
- メイベル・フランシス・エリザベス(1866年3月10日[5] – 1956年4月7日) - 1886年1月19日、第11代エアリー伯爵デイヴィッド・オグルヴィと結婚、子供あり[4]
- シセリ・アリス(Cicely Alice、1867年7月15日[5] – 1955年2月5日) - 1887年5月17日、第4代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・ガスコイン=セシルと結婚、子供あり[4]
- アーサー・ジョスリン・チャールズ(1868年9月14日 – 1958年12月19日) - 第6代アラン伯爵[4]
- エスター・ジョージアナ・キャロライン(Esther Georgiana Caroline、1870年1月13日[5] – 1955年10月11日) - 1894年7月26日、第2代ハンブルデン子爵フレデリック・スミスと結婚、子供あり[4]
1889年7月29日、ウィニフレッド・エレン・ストップフォード(Winifred Ellen Stopford、1921年11月12日没、ジョン・ライリーの娘、ジョン・モンタギュー・ストップフォード閣下の未亡人)と再婚、1女をもうけた[4]。
- ウィニフレッド・ヘレナ・レティス(Winifred Helena Lettice、1891年8月11日 – 1859年12月6日) - 生涯未婚[4]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 229–230.
- ^ "No. 25412". The London Gazette (英語). 7 November 1884. p. 4795.
- ^ Sainty, John Christopher (September 2005). "Lieutenants and Lords-Lieutenants (Ireland) 1831-". Institute of Historical Research (英語). 2018年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Mosley, Charles, ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 114. ISBN 2-940085-02-1。
- ^ a b c d Lodge, Edmund (1892). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 28.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr Arthur Gore
- アーサー・ゴア - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "アーサー・ゴアの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
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