アンリ2世 (ナミュール侯)
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アンリ2世 Henri II | |
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ナミュール侯 | |
在位 | 1226年 - 1229年 |
出生 |
1206年 |
死去 |
1229年 |
家名 | クルトネー家 |
父親 | ラテン皇帝ピエール2世・ド・クルトネー |
母親 | ヨランド・ド・エノー |
アンリ2世(フランス語:Henri II, 1206年 - 1229年)は、ナミュール侯(在位:1226年 - 1229年)。
生涯
[編集]アンリ2世はラテン皇帝ピエール2世・ド・クルトネーとヨランド・ド・エノーの三男である[1]。1226年に長兄ナミュール侯フィリップ2世が嗣子なく死去したとき、次兄ロベールはすでにラテン帝国の皇帝の座にあり、アンリ2世がナミュール侯位を継承した。このとき、アンリ2世はクシー領主アンゲラン3世の後見のもとフランスに滞在していた[2]。
1228年に次兄ロベールが死去したとき、アンリ2世はラテン皇帝位を継承せず、弟ボードゥアンが皇帝となった。
1年後の1229年にアンリ2世は嗣子なく死去し、ヴィアンデン伯アンリ1世と結婚していた姉マルグリットがナミュール侯位を継承した。
脚注
[編集]- ^ Louis Le Gendre, Nouvelle histoire de France, vol. 2 (Paris, 1718), p. 192.
- ^ Charles Piot, "Henri de Courtenay", Biographie Nationale de Belgique, vol. 9 (Brussels, 1887), p. 188.
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