アル=カーシミ・ラハマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アル=カーシミ・ラハマン
名前
本名 ムハンマド・アル=カーシミ・ビン・アブドゥル・ラハマン[1]
ラテン文字 Al-Qaasimy Rahman
基本情報
国籍 シンガポールの旗 シンガポール
生年月日 (1992-01-21) 1992年1月21日(32歳)
出身地 シンガポール
身長 176cm[2]
選手情報
ポジション DF(RB)
ユース
2006-2010 シンガポールの旗 国立フットボールアカデミー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2015 シンガポールの旗 ヤング・ライオンズ 65 (0)
2015 シンガポールの旗 シンガポール・ライオンズXII 1 (0)
2016-2017 シンガポールの旗 ゲイラン・インターナショナルFC 21 (1)
代表歴
2007-2015  シンガポール U-23
2014-2017  シンガポール 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ムハンマド・アル=カーシミ・ビン・アブドゥル・ラハマンMuhammad Al-Qaasimy bin Abdul Rahman1992年1月21日 - )は、シンガポールの元サッカー選手。元シンガポール代表で元ヤング・ライオンズ主将。現役時代のポジションはRB

クラブ歴[編集]

NFA以前[編集]

シンガポールに生まれ、兄が一人居る。父と兄の影響でサッカーを始め、幼い時にはサッカー以外のスポーツはしなかった。そのサッカーへの情熱は成長しても衰えず、父からもサッカーを続けて極めて行って欲しいと言われた。小学校では多くのトロフィーを獲得し、先生も彼のポテンシャルを見て、彼の父にシンガポール国立フットボールアカデミーを勧めた。これによって国立フットボールアカデミーに入学した[3]

NFA[編集]

ストライカーとして入学した国立フットボールアカデミーであったが、その後右サイドバックにコンバートされた。両サイドのサイドバックを務める事が出来たが、右サイドでの起用が多く、本人もそれを得意とした。しかし、国立フットボールアカデミーを卒業すると燃え尽き、サッカーを止める所であった。しかし、彼がキャリアを止めるかどうかの最終決定をする機会としてヤング・ライオンズから契約の打診があり、彼はこの契約を結んだ。それ以降、彼のサッカー選手としての情熱は急上昇し、前にも増して強くなったため、サッカー選手を続ける事を決断した。

ヤング・ライオンズ[編集]

18歳にしてヤング・ライオンズに加入した彼は選手の傍ら、共和理工学院で勉学を続けていた。しかしその後、2013シーズンにはヤング・ライオンズの主将となった。

シンガポール・ライオンズXII[編集]

2015年4月27日、彼がシンガポール・ライオンズXIIと契約を交わした事が発表された。東南アジア競技大会に出場していた彼は、6月11日にシンガポールU-23代表がインドネシアU-23代表に0-1で敗北し、グループステージ敗退を決めるまでは加入しなかった。

代表歴[編集]

2014年11月、2014 AFFスズキカップに出場するシンガポール代表に選抜され[1]、A代表初出場を果たした。

参考文献[編集]

  1. ^ a b Announcement of squad for AFF Suzuki Cup 2014”. シンガポールサッカー協会 (2014年11月22日). 2014年11月22日閲覧。
  2. ^ Teo, Teng Kiat (2014年8月15日). “Rising Singapore star Al-Qaasimy targets Suzuki Cup spot”. Fit To Post Sports. https://sg.sports.yahoo.com/blogs/fit-to-post-sports/rising-singapore-star-al-qaasimy-targets-suzuki-cup-spot-043437391.html 2014年11月22日閲覧。 
  3. ^ Singapore's Finest”. toggle.sg. Channel NewsAsia (2015年5月18日). 2015年6月20日閲覧。

外部リンク[編集]