アルフレード・ルエダ・クイジャーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルフレード・ルエダ・クイジャーノ
Alfredo Rueda Quijano
生誕 1890年
サン・ルイス・ポトシ州
死没 1927年10月6日
メキシコシティ
所属組織 メキシコ陸軍
護憲軍英語版
軍歴 1913 - 1927(護憲軍)
最終階級 准将
墓所 パンテオン・フランセス
テンプレートを表示

アルフレード・ルエダ・クイジャーノスペイン語: Alfredo Rueda Quijano1890年 - 1927年10月6日)はメキシコ革命期の軍人法務官。最終階級は准将

1890年、サン・ルイス・ポトシ州出身。陸軍士官候補生学校卒業後、護憲軍英語版につき、エウジェーニオ・マルティネススペイン語版ホアキン・アマーロ英語版のもとで法務将校としての道を歩む。 1920年、アグア・プリエタ計画スペイン語版を支援する。

1927年、連邦区知事フランシスコ・R・セラーノスペイン語版に有利な判決を下す。しかし、テスココにてカリェス大統領派により逮捕され、同年10月6日メキシコシティの狙撃学校校内にて銃殺刑に処せられた。

参考文献[編集]