コンテンツにスキップ

Wikipedia:井戸端/subj/推理小説のネタバレ

推理小説の犯人を載せて何が悪い?

[編集]

メインの議論

[編集]

推理小説の犯人を載せることはウィキペディアでタブー視されているようですが、載せても構わないのでは?なぜかというと

  • ウィキペディアは本の宣伝・煽りの場ではない
  • 本の内容(一部始終)を伝えるのにネタバレだろうが関係ない
  • 犯人を載せたからといって損することはない

このような理由からです。推理小説の犯人を載せても構わないと思うのですがどうでしょう。--大谷まこと 2006年10月29日 (日) 01:47 (UTC)[返信]

それは、ある意味で正しく、ある意味では間違っていると思います。「犯人当て」のミステリであれば、「犯人名」とそれに付随するネタバレを書くべきではありません。「凶器当て」「殺害方法」「追い詰め方」についても、それが「物語の核」にあたる場合には、書くべきではないでしょう。
例えば、古畑任三郎のようなスタイルであれば、「犯人名・殺害方法」を書いても、なんら問題はありません。しかし、「追い詰め方」に関する記述は、控えなくてはなりません。--idea 2006年10月29日 (日) 01:55 (UTC)[返信]

本に限らずこういった類の著作物のネタバレを書いてしまうと、その著作物(著作権者)へ損害を与える事に繋がる可能性があります。例えば、普通は本を読破しなければ解らない最も重要となる中核の事項(ここでは犯人)が本を読む前から解っていると、本を読む価値が薄れてしまいます。従って、本の魅力は半減、売り上げに響く可能性もあります。すなわち、作品の面白さが台無しになり、間接的に本の執筆者側へ損害を与えることになるわけです。ですので、こういった表現は如何に事実であろうと避けるべきだと思います。--Pippi 2006年10月29日 (日) 02:23 (UTC)[返信]

著作物に間接的に損害を与えて、何が悪い?--L III (N) 2006年10月29日 (日) 05:08 (UTC)[返信]
モルグ街の殺人」の犯人がアレだったり、「まだらの紐」の密室トリックがアレだったりすることをことさらふせる必要もないだろうかなと思います。まさか、これをネタバレされて驚くひとももういませんよねえ? という意味で。
アクロイド殺し」みたいに、とにかく 犯人はアレだったんだよ!! 何だってー!!?? というとこに踏み込まないことには、どうして同作が発表当時、フェアかアンフェアかで壮大な議論を巻き起こし、今でもミステリファンの間で酒の肴になるのか、それが説明できない作品なんかも、ネタバレテンプレートの下に、さらに「この下に重大なネタバレがあります」的なことを明示した上で、書いちゃって良いんじゃないでしょうかねぇ。
ただ「そして誰もいなくなった」の説明に、犯人をわざわざ明示する必要もないとは思う。--橋川桂12:23の死線 2006年10月29日 (日) 02:29 (UTC)[返信]
仰りたいことは、非情によく分かります。しかし、ミステリマニアにとっては、当たり前のことでも、多くの一般人にとっては、(ミステリマニアが思うほどには)古典ミステリはそこまで一般的ではありません。
また、大抵の作品であれば、ネタバレを隠しながら、うまいニュアンスで表現することは、できるかと思います。この辺りの文章が、ウィキを書く上での「醍醐味の一つ」と思います。(ブログとかなら、いくらでも好き勝手かけば良いですが、その違いですね) --idea 2006年10月29日 (日) 02:37 (UTC)[返信]
いや、単にミステリファンの間の常識じゃなく、ポーやホームズものなんかはもう小説史の中での評価がもう定まっているんじゃないでしょうか。エンターテイメントとしてのミステリじゃなく、ビクトリア朝大衆文学として「まだらの紐」の凶器がアレで寝室の処女にまといついてナニする場面のエロさは書いてしまっても良いと思います。(どうしても書けとは言わない)
エラリーや、カーや、バンダイン、クリスティなんかがボーダーラインでしょうか。20世紀文学というくくりでみれば評価は定まっていますが、まだまだエンターテイメントとして通用する作品もあったり。
作家の中には犯人に自己を投影したがる人もいます。乱歩とか、乱歩とか、あと乱歩とか。こういう人の作家性を語る時には犯人ネタバレは避けて通れないということもあるのではないでしょうか。(乱歩の場合、とくに「意外な犯人」で読ませる作品ばかりでないためもありますが)
逆に、現役のエンターテイメント作品のネタバレは、これは絶対に橋川は好みませんね。--橋川桂12:23の死線 2006年10月30日 (月) 08:22 (UTC)[返信]

技術的にはどうだろう

[編集]

目次の表示・非表示みたいにクリックすることによってネタバレ部分が畳めるようになっていると便利ですね。どうすれば出来るのかはわからないのですが。--Calvero 2006年10月29日 (日) 02:38 (UTC)[返信]

ネタ部分をサブページ化とかすればよいような気もしますね。[[そして誰もいなくなった (詳細)]]のような感じで。--Himetv 2006年10月29日 (日) 03:32 (UTC)[返信]

以前、私はネタバレはをあぶり文字という形で記載すべきと書いたことがあります。それを参考にしてはどうでしょうか?--経済準学士 2006年10月29日 (日) 04:29 (UTC)[返信]

一般に百科事典においてネタバレを避けるべきではない、とは思います。しかし、ウィキペディアでは、ある程度の抑制が必要だと思います。通常の百科事典であれば、ほとんどの推理小説の作品は項目として扱われず、極めて有名な作品か歴史的価値があるものに限られるでしょう。また、紙の百科事典であれば、目的の項目以外の記述には目を向けないこともおおいはずです。ウィキペディアでは、ある程度知られていれば個々の作品の項目が立てられる傾向があり、また検索によって一部が表示されるなかでネタバレ部分が出てきたりする事もあります。なので、いちおうは避けておくのがいいのかなあ、と。すでにいくつか案が出ていますが、たとえばアクロイド級の知名度と重要度を持つ作品以外はすべて立てないということにするなら、犯人名やトリックを詳述してもいい、としてしまってもいいかもしれません。ミステリファン以外にも知られているが読まれているわけではないような作品や、ミステリファンであれば読んでない方が悪いと言えるような作品については、犯人名やトリックの主要な部分を書いても構わない、とか。編集合戦の要因とはなるでしょうから、個々の作品のノートか、推理小説プロジェクトとかで落としどころを探るとかしてみるのがよいと思います。--Ks aka 98 2006年10月29日 (日) 06:13 (UTC)[返信]
上にある「マンガ関連で詳細なストーリー解説がされることについて」とかと同系列の話なのですが・・・一番いいのは、Calveroさんが言っているように、目次みたいに表示非表示を選択式にできることですかね。「見たい人は見てください」的な・・・現状、ネタバレテンプレートが張ってあっても、「記事が短いからスクロールしていないのにネタバレが見えちゃった」というような「がっかり」はあるかもしれませんし。ただ、逆にその作品がどういったものか?というのを手っ取り早く知るためには、やはりあらすじというのは有効な手段でして・・・私はウィキシステムはあまり詳しくないのですが、この方法は難しいのでしょうかね?--koon1600 2006年10月29日 (日) 06:50 (UTC)[返信]

マナーの問題ではないですか

[編集]

犯人・動機・トリックを書かないのが、推理小説に関しての文章を書く人のマナーです。というのは、活字の世界での話ですが。それを書かなくても良質の推理小説に関する文章は書けるはずです。中村真一郎福永武彦丸谷才一共著の『深夜の散歩』(今は扶桑社から文庫になっています)でも読んで、冷静になってください。 --ねこぱんだ 2006年10月29日 (日) 07:05 (UTC)[返信]

「物書きとしてのマナー」は、文章を売る人間としてのものでしょう。--Extrahitz 2006年10月29日 (日) 07:56 (UTC)[返信]
あなたも、Wikipedia上に書く人間ですね。人前で文章を書くなら、マナーくらいまもるのは当然ですね。--ゆきち 2006年10月29日 (日) 12:36 (UTC)[返信]
説明足らずで申し訳ありませんが、私が言いたいのは、この「マナー」は作家・出版業同士が互いの商売の足を引っ張らずに共存共栄を図った方がだという戦略上の「商売道徳」にすぎないということです。あえて商売の邪魔をする必要はもとよりありませんが、彼らの「仲間内の仁義」に我々が拘束される必要はないということです。--Extrahitz 2006年10月29日 (日) 13:16 (UTC)[返信]
少なくとも私はWikipediaが作家、出版業、その他と敵対関係を作ることは望まないです(すくなくともWikipediaとして奨励はできないでしょう)。あとこういう縛りを「仲間内の仁義」でありこちら側にとっては拘束でしかない、と考えるのは正直思考が硬直していると思いますよ。どうも(Wikipediaに限らず)ルールとかガイドラインを単純に拘束と考えてしまう人も多いんですが、そういう思考ではWikipediaの項目の文章をただ長くするだけで読んだ人に役に立つ文章は書けないでしょうね。--SeyfertSluw 2006年10月30日 (月) 07:38 (UTC)[返信]

実際のところ、ネタバレかましている紙の百科事典があったら見てみたいんですが実際にあるんでしょうか? 書く側の良心(笑)として、あまりそういうことはやらないと思っていましたが……--なのこえ 2006年10月29日 (日) 07:47 (UTC)[返信]

マナーはマナーであってなんの法律でもないんだなあ。そこを強行できるのが非紙百科事典の強みなんだなあ。Wikipediaをよくおもわない人は2chであばれてればいいんだあ。--糞南京丼キチガイ まいいだろ 2006年11月25日 (土) 11:08 (UTC)[返信]

技術ふたたび

[編集]

うえで経済準学士さんがおっしゃってるあぶり文字っていかにもウィキペディアぽくて好きですけどね

あら不思議

↑ちなみにこんなのです-- 2006年10月29日 (日) 08:21 (UTC)[返信]

背景色と文字色の設定を利用したトリックは、表示環境によっては機能しない恐れがありますから、使用すべきではないでしょう。というか、そもそもトリックを用いること自体よろしくないと思います。 -- NiKe 2006年10月29日 (日) 10:03 (UTC)[返信]

ブラウザの問題ですが、背景・文字が「黒・白」の場合であれば、ほとんどのブラウザで大丈夫だと思います。ただ、この例のように、数文字~1行ならともかく、数行にわたっての場合になると、数行の空白ができるというのは、見た目に喜ばしいことではありません。個人的には、あぶり文字は好きなんですけどね。--idea 2006年10月29日 (日) 13:46 (UTC)[返信]

とりあえず、ケルンブルーの外装では全く意味がないことをお伝えしておきます。--Riden 2006年10月29日 (日) 16:49 (UTC)[返信]
あ~、そうか。ウィキペディアには「外装」という概念があるのか…。--idea 2006年10月29日 (日) 18:54 (UTC)[返信]
説明の補助として色などの視覚効果を使う場合には、読み上げブラウザについても考慮していただけると幸いです。テンプレートなどでタグ付けされていれば、その部分を特別扱いすることも不可能ではないので、少なくとも物理指定は避けた方がよいです。--T.Kimura 2006年10月31日 (火) 03:11 (UTC)[返信]

個人的には、半落ちの「読み飛ばす」がウケました。まあこれもブラウザ等の環境依存ですが。--西@東 2006年10月30日 (月) 04:17 (UTC)[返信]

掲載有無は別にして、ネタバレ部分が畳む話はWikipedia‐ノート:ネタばれに注意#折りたたみ式のTemplateの提案が出されています。--toto-tarou 2006年10月30日 (月) 11:20 (UTC)[返信]

何を求めるのか

[編集]

そんなに犯人とか書きたいのなら、推理小説の犯人一覧のような記事をつくって、そこへのリンクをはったらいかがですか。そうすれば、見たくない人はみないでしょう。 --ねこぱんだ 2006年10月31日 (火) 23:47 (UTC)[返信]

ウィキペディアはネタバレを避けるべきではないと思うんですがね。事の一部始終を伝えるのにネタバレだろうがネタバレじゃなかろうが関係ありません。僕自身、IPで推理小説の犯人の名前を書いて何度か削除されたこともありました。推理小説の犯人一覧は実用的ではないかと。その小説のページに書けば言い話です。上であったように目次のように折りたたみにできれば一番いいんですけどね。まあネタバレを見たくない人もいるでしょう。しかしそのためにネタバレテンプレートがあるのですから。--大谷まこと 2006年11月1日 (水) 11:29 (UTC)[返信]

百科事典で推理小説を調べ様と見に来る人が何を求めているかを考えれば、明白な事でしょう。粗筋紹介において、主要人物やトリックに関わる要素、トリックそのものの紹介、犯人の動機等全部書くべきです。211.133.18.130 2006年11月1日 (水) 19:11 (UTC)[返信]

>百科事典で推理小説を調べ様と見に来る人が何を求めているかを
作者は誰かとか、発表はいつかとか、その作者の経歴の中でどういう位置づけになる作品であるかだとか、ミステリ史上や文学史上での評価だとかじゃないでしょうか。少なくとも私は未読のミステリの結末が知りたくて百貨事典で引いたことはないです。
思うに、「ミステリのネタバレは厳禁」というのは、ウィキペディアと関係ないところに、ずっと古くからあるマナーなのですよね。それをウィキペディアはどうあるべきだ、という方向から論じてもきっと平行線。ここで議論しても、ネタバレは是非するべきだとも、まったくしないべきだとも、結論は出ないのじゃないでしょうか。
結局は、作品個々について語り合ってみるしかないのでは?
「この犯人像にはこの時期のこの作者のこういう心情が表れている」とか、「このトリックで重要な役割を果たす小道具の××は当時としては最先端の○○で~」の様に、ネタバレすることでその項目がどれだけ充実するかノートでまず提案してみて、賛成意見がついたらゴー! ということにするしかないと思う。--橋川桂12:23の死線 2006年11月2日 (木) 01:26 (UTC)[返信]
ネタバレ厳禁のマナーなんてものは、本の紹介等での話であって百科事典でのマナーではありません。製本された百科事典にネタバレ記事記事が何時あった?という議論をするのならば、個別の新作小説紹介記事をWikipediaで掲載するかしないかという議論となる筈です。211.125.13.200 2006年11月2日 (木) 12:38 (UTC)[返信]
その通りで、ミステリ関係者の「マナー」と、ウィキペディアンの「ガイドライン」がまったく別々なのが問題点。どっちを優先するかは、各記事の執筆者の判断やらノートでの議論にゆだねられるべき問題なんじゃないでしょうか、と言っています。とりあえず私は「しても良い場合だってあるだろう」派ではありますよ。--橋川桂12:23の死線 2006年11月2日 (木) 19:17 (UTC)[返信]
わかっていることでしょうけど敢えて言いますと、推理小説は他の創作物(小説に限らず、映画やマンガ、戯曲など含めて)に比べて、「わかんなかったことがわかることによる面白さ」に強く立脚しているものですよね。ネタバレはそれを奪ってしまうわけで、好ましくないと考える人が多いことは想像できますし理解できます。
全ての推理小説のネタバレを不可にすべきとは私も思いませんが、基本ネタバレOK、とするほど緩やかにすべきだとは、前述の推理小説の特性を考えると頷けません。解題をして「こんな凄い推理小説なんですよ」と紹介したい気持ちは判らなくもないんですが、百科事典にそこまで求めるのか? と思ってしまいますね。単に紹介することと、ネタバレしてまで紹介することとの間には随分開きがあると思いますよ。--なのこえ 2006年11月4日 (土) 01:10 (UTC)[返信]

逆に、「してはいけない場合」が何故あるのか掴みかねます。ねこぱんだ様が「(ネタバレ記述をしなくても)書かなくても良質の推理小説に関する文章は書けるはず」(強調引用者)とされていますが、(無駄に冗長な記述になる場合は別として)作品説明としての完成度を考えるとネタバレ記述を積極的に否定する根拠が見出せません。歴史的且つ有名な作品であるかは個人レベルではあまり関係ないのでは。。出版社との敵対云々は根源的にコピーレフトの概念に基づいて百科事典作ってる時点で思想的に対立してるのかなあ、とふと思ってみたり。--Kkkdc 2006年11月3日 (金) 11:13 (UTC)[返信]

「基本的にはしてはいけない」のがマナーとして定着しているのですよ。こと推理小説に関しては。
別にウィキペディアのどのガイドラインが禁止しているということでもないし、誰かがどこかで話し合って決めた拘束力のあるルールとしても、そんなものはどこにもしません。だから、議論によってそれを覆そうとするのは、正直やめたほうが良い。あえて言おう、徒労であると。
たとえとして適切か判りませんが、「13日の金曜日」は不吉だからと信じて絶対外出しないと決めている人に、キリスト教にそんな教義はないから無駄だと説くことはできるでしょう。でも首根っこつかまえてむりやり外へ引きずり出すことも出来ないじゃないですか。
正直、どんなに話し合っても、「ミステリも積極的にネタバレをしていこう」という結論には絶対ならない。多分ならないと思う。ならないんじゃないかな。んで、万万が一「ネタバレOKでやっていこう」の総意が得られたとしても書かない人は書かないだろうし、消す人はきっと消すんですよ。
そういう人たちというのはウィキのルールやガイドで書かなかったり、消したりしてるわけではないので、「ウィキとしてはこうなっている」じゃない方向からのアプローチが必要になりましょう、是非。--橋川桂12:23の死線 2006年11月4日 (土) 03:40 (UTC)[返信]
ネタバレしたラいけないとか言うのは、その分野の中でのマナーに過ぎません。専門家は百科事典に記事を書くことはあっても、自分の専門分野を百科事典で調べることはありません。だからこそ、百科事典で推理小説を扱うのであれば、全部書くべきなのです。211.125.13.76 2006年11月6日 (月) 17:50 (UTC)[返信]
逆でしょう。古今のミステリのすべてを熟知しているような「専門家」でない人が読むものだからこそ、ネタバレはすべきじゃないのです。
と、だからこういう話をここでいくらしても平行線だと上でも申し上げた通りな訳ですよぅ。
えーと、なんだろな。その推理小説の「推理」小説でなくて推理「小説」な面に言及するのに、ネタバレが必須という様な時は許容されて良いだろうなと私なんかは思って繰り返し提案しております。いわゆる社会派ものとかハードボイルド派で、犯人の人物像やその動機が作品のテーマに直結しているような例は多いですしね。あと歴史ミステリで犯人像に作者の歴史観がよくあらわれている場合とか。
一方、いわゆる本格派、パズラーものなんかで多い、犯人はただ謎解きのピースでしかない、いっそ「OLA子」としたってなんら問題ないような、「ためにいる犯人」、作者の作家性をあらわしたキャラというわけでもなく、名探偵にとってとりたてて特別なライバルだったわけでもない犯人、読者にも何の読後感も残さず去っていったような犯人は、これはわざわざ明記する必要はないんでは?--橋川桂12:23の死線 2006年11月6日 (月) 18:39 (UTC)[返信]
反対している人達は百科事典とガイドブックの区別が付いていないように思えます。百科事典は門外漢にたいして、その分野の事実を解説したものであるから、カツテ家庭の教養度を誇示する為の必需品で、金持ちは大百科事典の巻数を競い、庶民は7-8冊程度の百科事典を月賦で買ったのです。小説の内容は書くべきでないという意見は、料理のレシピを書くな!とか、数学の公式を書くな!という主張に等しいことを認識するべきです。202.233.244.50 2006年11月7日 (火) 14:10 (UTC)[返信]
その通りではないにしても、両者の立ち位置があんまり違うのが一番の問題点だとは、私も思います。だから私の様な中間派は哀しくなって来る。
今、我々を隔てている距離は絶望的に遠い。それにしたってお互いまず一歩をどちらかから踏み出してみないことには、抱き合うことなんか永遠に出来っこないじゃないか。
料理のレシピの例えで応えてみると、「カレーライス」という料理の一般的なレシピは書かれてしかるべきかしれませんが、この大地に星の数ほどは言いすぎにしても料理人の数だけある「オリジナルカレー」の全部について、レシピが書かれるべきかというと違うでしょう。料理人の中には、自分のレシピが公になるのをこのまない方も当然いらっしゃるに違いない。推理小説という料理の一般的なレシピは書かれてあるべきでしょうが、作家という料理人がそれぞれ趣向をこらしたオリジナルメニューのレシピをすべて書くべきかというと、やっぱり違うでしょう。特に推理作家という人たちは、自身のレシピの公開されるのを好まないタイプの料理人であります。--橋川桂12:23の死線 2006年11月8日 (水) 02:21 (UTC)[返信]
誰が存在する全てのレシピの話をしましたか?現存する全ての推理小説を百科事典に掲載するべきだという議論の提起ですか?211.133.18.57 2006年11月9日 (木) 04:09 (UTC)[返信]
いいえ。橋川はそんな提起はしなかったと思いますが、どなたかがなさいましたでしょうか?--橋川桂12:23の死線 2006年11月9日 (木) 04:51 (UTC)[返信]
公開されたくないレシピをガードするのは料理人の責任ですが、食通が解明してしまう事はよくあることです。材料も調理方法も判っているのに、○○料理人の料理には敵わないと言われてこそ一流の料理人でしょう。211.133.18.57 2006年11月9日 (木) 04:09 (UTC)[返信]
これはある意味その通りなんであって皆さん注目。
例えばホームズものやカーやチェスタトンなんかに、源トリックと呼ばれるものがありますね。その後の作家によって同工異曲作が多くものされ、一種のジャンルになってしまっているような例。そうしたネタ元的な作品について、「○○が実は××だったというトリックの元祖的な作品である」とか、そのジャンルでの代表作について「~というトリックを用いた作品の中でも名作に数えられる」といったネタバレは、ありなんじゃないでしょうか? それこそIP氏のおっしゃるところの「食材も調理法もわかっていても、やはり○○にかなわない」という特筆されるオリジナルメニューの例ではありませんことかしら?--橋川桂12:23の死線 2006年11月9日 (木) 04:51 (UTC)[返信]
取り合えず、数学の公式に相当するのはノックスの十戒ヴァン・ダインの二十則で、犯人特定じゃないですね。LR 2006年11月8日 (水) 03:10 (UTC)[返信]
ついでに、Wikipediaはレシピ集ではないそうです。……という話は置いといて、推理小説でネタバレをして、なにがしたいんだかよく判んないんですが……。単に、「この小説の犯人は○○で、トリックはうんたらかんたらで……」と書いておきたい、ということなんでしょうか?--なのこえ 2006年11月9日 (木) 06:42 (UTC)[返信]
これも実は是非聞きたいことなのですよね。ネタバレ解禁派の人にはまず、それによってどういうことが書けるようになるのか、どう良くなるのかを教えていただきたい。「例えばこういう作品で、こういうことを書く時にこういうネタバレは許容される、多分されると思う、されるんじゃないかな」というケースを、私の様な中間派がどんなにあげてもあげてもあげても、日をあらためてから表現を変えて書いてみても、とにかく一律反対派からならともかく、一律解禁派からばかり疑問を投げかけられるもので。
解禁派の人たちは今具体的にどの作品でネタバレ記事を書きたくて書きたくて、冒険もいろいろしたりしているのか、まず、是非、それを教えてももらいたいものです。--橋川桂12:23の死線 2006年11月10日 (金) 04:48 (UTC)[返信]

私はネタバレをことさらタブー視するべきではないし、禁止すべきでもないと思います。しかし同時に、ネタバレを犯さないと紹介や解説が出来ない方は筆力がないのだとも思います(つまり、ねこぱんだ氏よりも相当に辛辣です)。従って、ネタバレ記事は洗練されていく過程で自動的にマナーに沿ってネタバレが上手に隠される方向に進むはずで、そこで起こる抵抗の大方は、wikipediaへの参加をご遠慮頂きたい、共同作業に向かない種類の人物による自己表現や個人的方針に関する固執の類であろうと予言します。そして同時に、規制導入的にネタバレを禁じようとする方も、結局はネタバレ文より良い記事がかけないのに自己主張だけ通そうとするので反発を招くのだろうと想像します。要するにこの手の論争は(ネタバラシに頼る必要がない)圧倒的に良い記事文を書くことで収めるもので、こんなところで白黒つけるものではないでしょう。LR 2006年11月6日 (月) 18:35 (UTC)[返信]

ウィキペディアでは推理小説の販促をしているわけではありません。記事によって作品へと誘おうとしているわけではないのと同時に、読んで楽しい文章を書こうと努めているわけでもありません。非情なことですが{{ネタバレ}}警告を無視して記事を読み進めた作品未読者に対し、作品を楽しむ猶予を残しておく必然性もないものかと存じます。
対象小説において「犯人」の存在がストーリーラインにおいて特筆に値しない作品についての例が挙げられていますが、それが(ネタバレであることとは無関係に)犯人を記載しない理由になるケースは考えられるでしょう。--Kkkdc 2006年11月9日 (木) 14:18 (UTC)[返信]
いやだから、ウィキとはこういうものだで片付く問題じゃないと上の方で言ってる通りなんですよぉ。ミステリに関してはこういうマナーがあるんだという主張と、ウィキのルールやガイドラインはそれを禁止してはいないという意見が、まるで別の軌道の惑星みたいなことになっているのが、一番の、良いですか、ここでの一番の問題点。--橋川桂12:23の死線 2006年11月10日 (金) 04:48 (UTC)[返信]

ネタバレは作品の内容を伝える上、あっても構わないと考える。何のために{{ネタバレ}}があるのか。--高山浩介 2006年11月13日 (月) 11:05 (UTC)[返信]

もう一度冷静に

[編集]

インデントを戻して初心に帰りましょう(笑)。

で、上で書いてあることの再質問になりますが、ネタバレをするとして、どういった記事にすることを考えているのでしょうか?

今までの議論を読む限り、「狭義のネタバレ禁止論者」は少ないように思います。古典や汎用ネタなどのネタバレについては、まぁいいんじゃないのといったような共通認識はできていると(そういう立場の人間だからそう感じるだけかもしれませんが(笑))。

で、そうでないネタバレについて、できれば具体的な作品名とともに、どういった感じで記事を書きたいのかを教えてください。そこのところがどうしてもよく判らないので。そのプレゼンで納得がいくのであれば、私も「原則ネタバレOK論者」に鞍替えします。--なのこえ 2006年11月14日 (火) 04:49 (UTC)[返信]

別に自分は推理小説の記事を書くわけではないですが、意見を述べておきます。「物語の核」は書いてはいけないという意見がありましたが、私は逆に「物語の核」だからこそ書く必要があると思うのです。百科事典である以上、対象となる小説の評価が定まっていれば当然書くべきでしょう。当然この分野では評価の主な対象はトリックや犯人当ての手法になるのでしょうが、その際に単に「この作品で用いられたトリックは斬新である」と書いただけでは全く記述に説得力が無いわけです。なぜ斬新なのか、その根拠を述べなければなりません。その際には、「このトリックは~~~であり、その~~~の部分が~~~だから、このトリックは斬新だという評価がされている」と、作品の核にまで踏み込むことが必要不可欠なのではないでしょうか。
以下はほとんど新書や学術書しか読まず、小説など何年と読んでいないような人間の完全な私見ですが、例えば話題になっている推理小説家がいるとしましょう。好奇心から、なぜその作家が話題なのか私は知りたくなります。その際、私は別に犯人当ての過程を楽しみたいわけでなく、「このトリックが作品の核である」という事項を事実として、原作を読まずとも「なるほど確かにこの作家のトリックは斬新だ、流行するのもむべなるかな」と納得したいだけなのです。そういう視点からすれば、ネタバレを書いていただけるとわざわざ時間をかけて原作を読まずに済むので有難かったりします。無論ネタバレを見たくない方への配慮を妨げるものではありません。完全な個人的意見ですが。--spirituelle 2006年11月15日 (水) 18:12 (UTC)[返信]
良くある「文学100選つまみ喰い」みたいな形ですね。正直、それを百科事典に求めるのはどうなんだ? という気がするんですが……。--なのこえ 2006年11月16日 (木) 02:33 (UTC)[返信]
まあ百科事典の定義は参加者によって曖昧ですしね…… 私は「人類の知が及ぶあらゆる範囲の知識を体系的に集積したもの」と位置づけていますから、当然それを百科事典に求めるべきだと考えますが、そのように考えない方もどうやら多いようですね。個人的にはニーベルンゲンの指輪の核となるストーリーをつまみ食いするのと推理小説の核となるトリックをつまみ食いするのと何が違うのだという思いもありますが(もっと言えば相対性理論の核となる議論をつまみ食いするのと何が違うのだ)。
それは完全な私の私見ですからともかくとして、前者の方、つまり推理小説の評価(当然ながらトリック等が推理小説の核になりますから、評価の中心もそこでしょう)を記載することです。世間からの評価(もちろん検証可能なものになるのでしょうが)を記述するのは百科事典の役割でないとする方はおそらくいないと思われます。これに当たって、トリックに踏み込まないで済ますことは不可能だと私は考えますが、その辺りに関してはいかがでしょうか。--spirituelle 2006年11月16日 (木) 11:31 (UTC)[返信]
「そのトリックは過去にないもので独創的であった」と評価すればいいところを、「そのトリックはこういうもので、それが過去にないもので独創的であった」とまで記述する必要はあるんでしょうか?
ところで、なんか話が拡散しそうでアレなんですが(笑)、実際のところ、推理小説ってどれくらい記事ができてるんでしょうかね? 好きな作家をいくつか浚ってみたんですが、別メディアに展開されている作品以外のものってやっぱないですね。乱歩や横溝にいくつかある程度でした。これは筆を渋っているのか、それともそもそも需要がないだけなのか……?--なのこえ 2006年11月17日 (金) 02:17 (UTC)[返信]
上記のように記述する必要は私はあると考えます。百科事典というのは当該項目を知らない読者のために当該項目を説明するものです。そこでは、アカデミックライティングの基本として、何らかの主張(この場合だと「そのトリックは独創的である」)をする際には、読者を納得させるために論拠を記す必要があります。「そのトリックはこういうもので、それが過去にないもので独創的であった」という記述であれば、それが過去にないものであったか否かに関しては悪魔の証明ですから示すのが難しいとしても、少なくとも推理小説に関し一定のリテラシーを持っている読者には納得してもらえるでしょう。ところが、「そのトリックは過去にないもので独創的であった」のみの記述だと、一定のリテラシーを持っている読者でも実際に当該小説を読んで内容を確認するまで納得ができません。これでは「知らない読者のために解説する」という百科事典の目的が達成されないのです。
推理小説の記事に関しては、何分前述のような人間ですから存じ上げません(苦笑) ですが、実際は「執筆者がいない」というのが理由だったというのも他分野では往々にしてありうることです。--spirituelle 2006年11月18日 (土) 13:39 (UTC)[返信]

(戻して)改めて考えてみると、ネタバレ否定側の論拠というのは、要するに「慣例」でしかないんですよね。で、まぁ、バラさずに済むものであれば敢えてバラす必要もないだろうという感じで。ルールではなくマナーの世界です。例えば著作権侵害や名誉毀損なんてのはルールですけど、別にネタバレしたって「すんなよー!」と罵声を浴びせられるだけのことでしかないですし(笑)。

けど、百科事典は事実を書くもんだ、そんなもんケツまくっちまえ、と、そう言ってしまえばそれまでだなとも思うんですよ。ルールなら(仕方なくであっても)守るけど、マナーなんか知らんと。推理小説を愛する人間としてはマナーを守って欲しくはあるんですが、でも、ルールにはないんだから別に問題なし、と言われてしまえば、こちらとしてはどうしようもありません。

今回の問題は、百科事典としてはこうしたい、という部分と、推理小説としてはこうしたくない、という部分での綱引きだと思っています。で、百科事典の側が、「百科事典にはしたいことがある。そのためにルール違反はしないが、マナー違反だったらさせてくれ。こっちは百科事典としてのルールには則ってるんだ」という主張をした場合、推理小説の側は「それってどーよ?」以上の主張はできません(少なくとも私には)。

……というわけで、心情的には反対派ではあるものの、ネタバレを禁止することはできない

というのが現時点での私の結論です。--なのこえ 2006年11月17日 (金) 02:17 (UTC)[返信]

実際、書いてもいいとなって、単に『犯人は○○である』レベルの記事が乱立されても困るのですよ。だから、前には『一覧』という別記事をつくったらいかがという提起をしたのですが。

例えば、松本清張の『砂の器』がありますね。あの作品なら、ハンセン病差別の問題が事件の動機であったことは書いてもいいと思うのです。しかし、それを、〈犯人はかつての秀夫少年が○○と改名した、新進△△家として期待されている人物である〉とした場合はどうでしょうか。そこまで書かなくても、〈かつての秀夫少年が、過去を知られることを恐れたという動機を描くことで、ハンセン病差別の問題にきりこんだ〉というレベルの書き方で十分だとおもうのですよ。いかがでしょう。(と書いてから、プレビューで砂の器の項目をみたら、しっかりと名前が書いてありましたが)--ねこぱんだ 2006年11月17日 (金) 08:37 (UTC)[返信]

スタブ的な記事が多くなるかもしれないから反対、というのもいかがなものかと。やってみないと判んない、という部分もあるでしょうし。それに、そういう記事についてはスタブ未満記事として削除することもできると思います(多分)。それはWikipediaの管理的(?)な問題であって、ネタバレがいいか悪いかという本質的(?)な問題とは別だと思います。--なのこえ 2006年11月21日 (火) 01:24 (UTC)[返信]

横から失礼します。新参者のrossoと申します。 「wikipediaとしては実社会に不利益を被らせるのは得策ではない」 というスタンスから、「深いネタバレ」は避けるべきと思っています。 「あらすじを知りたいだけの人が~」と言う記述がありますが 本当に「読まなくても良くなってしまう」のであれば、本が売れなくなります。 出版社が、作家が利益を被らなくなる世界は 文化的に歓迎出来るものではないと思います。

wikipedianは(米国本部のごくごく一部の方を除いて、)ボランティア集団です。 その意味において、編集者はプロとは言い難く、 また本当のプロの皆さんの心情を察せない傾向があると思います。 どうか、出版界に被害を与えるほどの「深いネタバレ」は指針として禁止頂きたい。 って書くと、僕が出版側の人間みたいですケドね。笑

「お菓子系の~」との記述もありました。 編集者の良心に従い、「深いネタバレ」は感想サイトに任せて、 ここでは、「あらすじ」(もちろん出版社の作ったモノよりは詳しくても良いのですが) を掲載するに留めるべきかと。--rosso 2006年11月23日 (木) 04:20 (UTC)[返信]

みんな出版社の利害ばかり口にしますが、本は図書館や身近なファンから借りてもいいわけですから。むしろ本来一番興味を引くはずの結末が本を読まなくてもわかってしまうのでは、読者の本離れ=推理小説ファン人口の減少を招く恐れがあります。編集者が本当に推理小説ファンなら単に自分の知識をひけらかすだけでなく、閲覧者を本に招くために興味を引くような面白いあらすじを書く、という選択肢もあるのでは?--井出本 剛 2006年11月23日 (木) 04:54 (UTC)[返信]
全く同感です。 「閲覧者を本に招くために興味を引くような面白いあらすじを書く」難しいかも知れないけれど、我々がやるべきはそういう趣旨のことで、悪戯に内容を暴くべきでは無いかと。--rosso 2006年11月23日 (木) 05:15 (UTC)[返信]
宣伝の禁止はWikipediaの明確な方針です。
そもそもWikipediaに記事を立てるのは作品による何らかの社会的・文学的影響の存在が前提です。どのように影響を与えたのかということを明快に説明する上でストーリーの記述は避けられません。そういった影響も存在しないような作品の記事を立てることこそファンサイトでやって頂きたいと思います。--Extrahitz 2006年12月6日 (水) 00:58 (UTC)[返信]
ストーリーの記述と、犯人やトリックの無用な開示とはちがいます。『砂の器』でいえば、犯人を「かつての秀夫少年」というレベルにとどめる、被害者の元巡査がどうやって秀夫少年が後の犯人の○○であることを知ったのかについてのトリック(といっていいと思います)は記述しない、ということでも、記事は書けます。そこは混同されぬようお願いしたいのです。 --ねこぱんだ 2006年12月6日 (水) 06:09 (UTC)[返信]
私個人としては、まず、「著作権」という権利が生まれた背景を尊重していただきたいなと思うわけです。詰まるところこの権利は、「素晴らしい作品を作ってくれた人への敬意」を形にしたものだと考えています。だからこそ、「著作権者が許可しない」コピー製品は排除されてきたし、今現在でもコピー製品と戦っている著作権者が大勢いるのです。正直申し上げて、その作品を本当に愛している場合、著作権者の嫌がることはしたくない、というのが本音であります(私自身、趣味で小説を書いている側の人間なものですから……きつい言い方かもしれませんが、自分の作品を(勝手に)解説されるなんて「大きなお世話」でしかない。100人の読者がいれば、100とおりの解釈があっていいとも思っているんです。解釈を「固定化」させるのは、「読者にとって」よいことではありません。「読者の」想像力を貧困にさせます。小説に限らず創作作品というものは、もっと柔軟に楽しむものです……なんて考えているのは私だけかもしれませんが。いや、どこかに出典があったはずなんだが…思い出せない……)。
宣伝は、確かにWikipediaでは禁止されている方針です。けれども、だからといって「営業妨害」をしてもいいという話にはならないでしょう。これは、「どちらも」中立的な観点ではありません。ですから、少なくても私は、特に「現在進行形で発売している作品」については、Wikipedia:存命人物の伝記に等しいくらいの慎重さで執筆していただきたいなと、思っているのですが……(それこそ、「事実だったら何を書いてもいい」とはならない、と)。
私も、こう見えて何から何までネタバレだめ!と申し上げているわけではないのですよ。「しかるべき評論家が」このように解説している、という書き方ならOKであろうと思います(もちろん、出典必須です)。また、作者自身が「ここはこういう意味だ」と解説している場合などです。このような評価がなされていない作品で、「ここはこういう意味だ」と書くのは、Wikipedia:独自の調査に触れるのではないかと考えます。なお、普通こういった解説書の類は、「その作品をすでに読んでいること」を前提に書かれているはずです。ですから、このレベルに達した究極のネタバレ記述については、「以下の記述は、結末までご存知の方を対象とした内容になっております」といった明確な注意書きが必要になるのかな、と思います(お、もしかしたらこの注意書きにシステム面でのサポートが加われば、いけるかもしれない)。
連載中のマンガやアニメ、ライトノベルの分野では、{{未完}}テンプレが張られている作品がいくつもあります。実は、彼らが「良かれ」と思って記述している速報記事は、「彼ら自身の」知識顕示欲を満足させているだけかもしれない、との危惧が私にはあります。これだけボコボコと新規項目が立っている分野で、彼らに今以上の「ネタバレ」を解禁させるのは、それぞれの分野における「文化レベル」の低下を招いてしまうのではないかと。それこそ、「ミステリ分野におけるネタバレ配慮のマナー」が忘れ去られていってしまうような……。
…えーと、すみません。書いているうちにどんどん話が大きくなってしまいました(汗)。自分でもいったい何を書いているのか……。
ただ、ひとつだけ言えるのは、私個人が百科事典に望んでいるのは、少なくても創作作品に限って言えば、その作品の「概要」がわかれば十分だと思っているのは確かですね。それ以上知りたければ、「一次資料」たる原作をあたっていただくのが確実です。専門の「解説書」があれば、それも「参考文献」に入れておけば十分ではないかと。そして、願わくはその「一次資料」が、一日でも長く「一次資料」として存在し続けることを願っています。--Crystaltear 2006年12月8日 (金) 17:20 (UTC)[返信]
(追記)もう一つ言えることがありました。それは、Wikipediaは百科事典でありますが、それと同時に「ウェブサイト」であることから逃れることはできないということです。ウェブサイトであるWikipediaでは、検索サイトによってそれぞれの個別ページを直接参照されます。このとき、サイトに書かれた文章の一部も表示されます。検索の目的は人それぞれであり、この中でも意見が分かれるように、「ストーリーの詳細が知りたい」と思う人がいれば、「概要だけ知ってあとは作品を直接読みたい」と思う人もいるわけです。一度知ってしまった情報は、忘れない限り打ち消すことはできません。であれば、「詳細を知りたくない人」を前提とした配慮が欲しいなぁと思います。(なんだか、今の公共の場における喫煙禁止運動に近いかも…私は煙草を吸わないので、今の世の流れはとってもありがたいんですけど)--Crystaltear 2006年12月8日 (金) 23:52 (UTC)[返信]

ストーリー全容の記述について

[編集]

関連項目かと思いまして、こちらで質問させていただきます。私は漫画やゲーム(主にRPG)の項目で「終結に到るまでの過剰な説明が施されたあらすじ」をよく見かけるのですが、これはネタバレっていうよりも、ここまでするか?という印象を受けました。これはWikipediaの「ネタバレはOK」というルールが悪い方向へ解釈されている良い例だと思いましたが、「ネタバレはOK」というルールには違反していない以上、どう対処したらいいのか分からないんです。よろしければ皆さんの意見をお聞かせ下さい。--エルモア400 2006年11月23日 (木) 13:41 (UTC)[返信]

了解しました。先ず、「終結に到るまでの過剰な説明が施されたあらすじ」とありますが、具体的なサンプルを挙げて頂く事は出来ますか?(冗長だ)という以外にも(読みやすいかどうか)という観点があっても良いと思いますし、その点について問題が無いのならば、あえて手を加える必要は無いと感じます。--rosso 2006年11月24日 (金) 07:54 (UTC)[返信]
返事遅れました。すいません。具体例は、私の知る限りFF6DQ5スターダストクルセイダース(ジョジョの奇妙な冒険)などが目に留まりました。私は「冗長だ」とか「読みやすさ」ももちろんですが、その他に「そのネタバレがどんな意味を成すか」というのも大事だと思っていて、そのネタバレが、どんな影響を与えただとか、説明不可欠なものであるか、という観点から見る事が一番大事なのでは、と思っています。ただバラすというヤツが一番、無意味なのでは。--エルモア400 2006年11月27日 (月) 05:22 (UTC)[返信]

マナー云々とはちょっと別な話、というかあまりに今更な話ですが、詳細なあらすじってのは「二次的著作物」扱いになり、無断で作ると著作者の翻案権の侵害になり得ると聞いた覚えがあります。推理小説のトリックなんかは単なるアイデアとして扱うなら良いとしても、話の全容を扱うのは法的に危ういと思いますが。--K-Phil 2006年11月27日 (月) 13:18 (UTC)[返信]

二次著作と要約記述は全くの別物です。要約記述を禁止されたら学者が論文を書けなくなりますよ。--Extrahitz 2006年12月6日 (水) 01:19 (UTC)[返信]

>エルモア400さん

ありがとうございます。見てきましたよ。長い。(笑)これほどまで「書ける情熱、愛情」に敬意すら覚えますが、書いた方々の創作ではなく著作権者のあることですからねぇ。

提案なんですが、例えば、「著作権者にお伺いを立てる」とかって不可能なんですかね?

ネタバレ対策としては「注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。」と明記することで一応の対応になっているし、現状この手でしか対応出来ないという事はあります。ただし、著作権は著作権者のものですから、K-Philさんの仰る通り「二次的著作物」は「翻案権の侵害」と解釈されかねず、ウィキペディアを危険にさらします。かといって、必ずしも訴えられるとも判らず、「ここウィキペディアで話題を集めた為、世に出る」隠れた、隠された作品が無いとも言い切れず。どのような表記が適正なのか「神のみぞ」もとい「著作権者のみぞ知る」世界なんですよね 「2ちゃんの主催者」のような裁判マミレのウィキペディアが見たい訳ではありませんし、、、、「なんとかして積極的且つ具体的に和解を求めていく」って言うのが正しいスタンスなのかと思うんですが。いかがでしょうか?--rosso 2006年11月28日 (火) 09:52 (UTC)[返信]

著作権に絡む話がなかなか出てこなかったので、自分で書こうかと思っていたときにK-Philさんが話を振ってくださいました。なので、私もこちらの観点から「ネタバレは可能な限り控えた方がよい」という意見に賛成したいと思います。
著作権侵害という罪は、親告罪にあたります。何を持って「著作権が侵害された」と思うのかは、rossoさんのおっしゃるとおり結局のところ著作権者本人にしかわからないのです。なれば、「疑わしきは、やらないほうが無難」だと考えます。推理小説の犯人やトリックなどは、「作品の肝」と呼んでもいい部分で、言うなれば最も作者の腕の見せ所となるべき部分でしょう。ここを知られることによって本の売り上げが伸びなくなり、著作権者に損害を与えたとなれば、「著作権侵害」が成立する可能性は高いと言えましょう。映画などでは「結末は他の人に教えないでください」と公式に宣伝していた作品もありますし(『シックス・センス』とか)。基本的には「著作権者が嫌だと思うだろうな」と思うことはしないほうがよいと考えます(名誉毀損も同様ですね)。特にミステリは、それがマナーとして広く認知されたということではないでしょうか。どうしてもそのような記述が必要であれば、折衷案として、原作の著作権保護期間が確実に切れている作品に限定してはいかがでしょうか。このとき、外国作品の「日本語訳作品」の場合は、翻訳者にも権利が発生しているでしょうから、こちらの確認も行ったほうがよろしいかと思います。
漫画や小説の表紙ですら、「著作権保護」の名のもとに原則使用できない日本語版のウィキペディアですから(本来、本の表紙は作品の宣伝を行うための「顔」であって、個人的には使用しないほうがむしろ著作権者にマイナスであるような気がするんですが)、本文中の記述であればより一層慎重に運用してしかるべきだと思います。--Crystaltear 2006年11月28日 (火) 23:03 (UTC)[返信]

皆さん、貴重なご意見を有難うございます。
さて、私もちょっと調べてみたんですが・・・まず、基本方針Wikipedia:ネタばれに注意では「ある映画のストーリー全てが明らかになったりする場合もあります」と書かれていました。これは、あくまで「その記事に適切な場合は」って事なんでしょうが、これを見る限り、ストーリーの記述に対しては、著作権の心配はしていないように感じました。ただ、ストーリーの全容を扱う事が、必ずしも適切な記事だとは思わないけど。あと「著作権者にお伺いを立てる」という提案ですが、一番ハッキリした答えが出るのは良いんですが、著作権者の多さを考えたらちょっときりがないですよねー。やはり「どこまで書いてよいのか」という具体的なラインが欲しいですね。それまではrossoさんの「積極的かつ具体的な和解を求める」姿勢で臨んでいくのが一番なのかもしれません。--エルモア400 2006年11月29日 (水) 18:12 (UTC)[返信]

>きりがないですよねー。
:確かにその通り。でも、このウィキペディアという存在自体が既に「きりの無い(現在進行形を含む)事実の羅列」だなんてプロジェクトですから。笑。あきらめて(?)各個撃破(?)するしかないのではないのか?と思うんです。。。Crystaltearさんの指摘通り「結末は他の人に教えないでください」と謳う宣伝手法も成立している。そんな複雑な現在のPR業界に、丸腰で挑むのはさすがに危険ですよね。「著作権に関するご意見(クレーム/?)窓口」的なものをトップに置く。それだけでもだいぶ違うと思うのですが、どうでしょうか?--rosso 2006年12月5日 (火) 08:09 (UTC)[返信]
要約ストーリーに著作権があるなどどいう話は聞いた事がありません。そのような学説を唱える法学者の所説を引用してください。--Extrahitz 2006年12月6日 (水) 01:00 (UTC)[返信]
「学説・法学」に係る知識は門外漢ですので、申し訳ないことではありますが代表的な学者さんのお名前などは存じ上げておりませんが、今回の場合は「詳細すぎる」ストーリー紹介によって、すでに「二次的著作物」並みの大作になってしまった文章をどうするか、という話だと思います。私個人としては、あらすじとはざっくりと中身がわかればよいものであって、どんなに長くても400字程度だろうと思っているのですが(文庫1冊の「書籍紹介」文が、だいたいそれくらいだと思います)、エルモア400さんが例として上げられた項目は、いずれも私の考える基準をオーバーしていますね。
この私なりの「あらすじの基準」ですが、決して独りよがりな根拠のないものではありません。私の愛読する小説雑誌では年1回、長編小説のコンクールを行っていますが、このコンクールでは実際の作品とは別に2000字程度のあらすじを付けることになっており、この文章も審査対象になっております。つまり、2000字ある文章であれば、そこに作者の「創作性」を見出せるという判断でしょう。著作物かそうでないかの判断は、この「創作性」の有無によるところが大きいです。あらすじは原作がなければ書けないものですが、詳細な記述になればなるほどこの「創作性」が入り込む余地は大きくなることでしょう。たとえは、エルモア400さんが例に上げられたFF6の「ストーリー」では、「カイエンは妻子が列車に乗る姿を目撃し、悲しみに沈む。」という文章が出てきます。この「悲しみに沈む」という文は、とても文学的な表現だと思います。このあたりは味も素っ気もなく「カイエンは悲しんだ」でもいいわけで(もっとも、私もあらすじにある程度の創作性を持ち込んでしまう癖はありますので、気持ちはとてもよくわかるんですけどね)。ゲームの表現方法は文章だけで書き表せるものではありませんので、これだけで著作権を侵害しているわけではないでしょうが、文章量は十分あらすじを超えているように思えます。
ちなみに、私が著作権の話を持ち出す場合は、法令の専門家のお話よりも弁護士さんが開設しているウェブサイトを参考にすることが多いです。実際に著作権侵害の裁判に立ち会うお立場柄、実際の判例から具体的な説明をされていたりするので、とてもわかりやすく参考になります。ところで、最初に書いた私の文章は、ひとつ上の「推理小説~」節に移動した方がよいのかな?--Crystaltear 2006年12月6日 (水) 14:12 (UTC)[返信]
他人による長文の要約を丸々コピーしたら明らかに著作権侵害ですが、新たに要約を書き起こすことは全く別の問題です。--Extrahitz 2006年12月8日 (金) 03:54 (UTC)[返信]

著作権審議会第4小委員会報告書にて指示的抄録報知的抄録に分けて著作権侵害の可能性について指摘しています。ストーリーではないもののコメットハンター事件では実際に、ビジネス書の要約を無断で作成・掲示された原告側に損害賠償請求が認められています。学者が論文書いていけるのはその要約記述が「指示的抄録」に留まっているからか、きちんと原著作者に断りを入れているからか、アカデミックな利用と言う事でパスしているからか、場合によっては要約引用も可能であると理解している[1]か、その他何らかの理由に由るのだと思います。−−K-Phil 2006年12月6日 (水) 15:26 (UTC)[返信]

昭和五十一年の審議会報告は複製利用に関するもののようですが、ストーリー要約に関する記述の部分についてご指摘いただけませんか。またコメットハンター事件判決文は文意改竄による著作者人格権の侵害が認められたということのようですが、要約そのものを否定したものではありません。要約の正確性は執筆の上で十分注意しなければならないことですが、これは問題の性格としては著作権というより名誉毀損問題と一緒に考慮するべき件です。--Extrahitz 2006年12月8日 (金) 03:54 (UTC)[返信]
箇所把握しました。これは「二次著作の可能性」の指摘ですね。大まかな言及なので推測するほかないのですが、具体的にはご指摘のような著作者人格権の侵害などが対象と考えられます。--Extrahitz 2006年12月8日 (金) 04:17 (UTC)[返信]

返事が遅れました。

  • 「著作権に関するご意見(クレーム/?)窓口」的なものをトップに置く。

とのことですが、これは著作者専用の意見箱みたいなものですか?申し訳ないですが、少し具体的な内容をご教示願えますか。皆さんのご意見を拝見しますと、「詳細なあらすじ」は著作権問題も含めアウトと考えてよろしいですか?こちら(でいいのかな?)で意見を提出するのは、まだ時期尚早ですかね・・・。--エルモア400 2006年12月16日 (土) 13:38 (UTC)[返信]

ネタバレを隠す方法がありますが

[編集]
なるほど面白いですね。上記の問題そのものは「著作に関する法例」に及んでいて、殆んどお手上げなんですが、、、笑。
みんなで{{ネタバレ}}のところにペタペタとコピペして歩けば、結構ここの問題も減ると思うんですが。
「指針に提案」って出来るんでしたっけ?--rosso 2006年12月9日 (土) 04:54 (UTC)[返信]
この話、上のほうでも出ていますね(#技術ふたたび)。
Template:ネタバレ終了というのもあるようなので、隠したい部分を開始と終了のテンプレートで囲ってしまえば、技術的な対応は可能だと思います。
指針も不動のものではありませんから、改善提案はどんどん出していってよいと思います。これが改善になっているかどうか、皆さんの判断待ちですが。--Tamago915 2006年12月9日 (土) 08:11 (UTC)[返信]
この仕掛けの環境依存性はどの程度ですか? テキストブラウザや音声読み上げでも機能するのでしょうか。また、入れ子でも作動しますか? これであまり広い範囲を覆ってしまうのは問題だと思うので。そもそもこれは問題を先送りにしてしまうツールで議題の終結には寄与しないような気もしますし。LR 2006年12月9日 (土) 08:24 (UTC)[返信]
JavaScriptで実現させているようですが、それ以上のことはわかりません。音声読み上げですが、どこまでが求められているのかも不明ですので、何ともいえません。入れ子は機能するようですし、セクションタイトルをまたいでも大丈夫のようです。--Tamago915 2006年12月9日 (土) 09:00 (UTC)[返信]