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Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/昭和天皇・マッカーサー会見 20220611

昭和天皇・マッカーサー会見ノート / 履歴 / ログ / リンク元[編集]

選考終了日時:2022年6月24日 (金) 15:42 (UTC)

  • (自動推薦)2022年5月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2022年6月10日 (金) 15:42 (UTC)[返信]
  • 反対 月間新記事賞受賞おめでとうございます。とても興味深く、有益な記事だと思います。さて、選考についてですが、以下の理由から反対とします。
  1. 項目に記述されるべきトピックについて、この記事はどうも11回行われた裕仁とマッカーサーの会見の様子を羅列しただけのような印象を受けます。この会見を総覧する意義や評価にまつわる記述が求められるように思いますが、いかがでしょうか。
  2. 検証可能性について、「経過」節を中心に検証可能性が担保されていない記述が散見されます。「1945年8月14日に大日本帝国がポツダム宣言受諾を表明」などは出典を付けるまでもないとお考えかもしれませんが、こうした記述にも可能な限り出典を付けるべきだと思います。
  3. 中立的な観点について、複数あるので細分化します。
    1. 「第1回会見」節、「天皇はマッカーサーに勧められた米国製煙草を吸う屈辱と緊張の中」とありますが、裕仁は煙草を吸って実際に屈辱を感じていたのでしょうか。事実かのように書かれていますが、あくまで豊下 (2008) 、またはマッカーサーの意見なのではないでしょうか。
    2. 「反響」節、「国外」「国内」は「日本国外」「日本国内」とすべきではないでしょうか。
  4. スタイルマニュアルについて、同様に複数あるので細分化します。
    1. 導入部の第1回当時の年齢は必要でしょうか?「記事全体の説明にならないような雑多な内容」のように思えます。
    2. 同じく導入部に「駐日アメリカ大使館で行われた会見」とありますが、第1回以外は場所が不明なのですよね?この文章だと11回全てが駐日アメリカ大使館で行われたような印象を受けます。
    3. 同じく導入部に「特に、第1回会見における~今尚議論の対象となっている」とありますが、記事本文のどこにもその旨が書かれていないように見受けられます。本文に書かれていないことは導入部に書くべきではありませんし、独自研究でもあると思います。
    4. 全体的に、短い段落が多いように感じました。例えば「第2回会見」節、「第3回会見」節、「第9回会見」節の第2段落と第3段落や「第10回会見」節などはひとつの段落にまとめてもよいのではないのでしょうか。
  • 以上になります。--Takenari Higuchi会話2022年6月17日 (金) 14:37 (UTC)[返信]
  • 昨日の今日で大変恐縮ですが、上で指摘した「1945年8月14日に~」のような記述の一部に、石川真澄『戦後政治史 新版』(岩波書店、2004)をもとに出典を追加しました。さて、この石川 (2004) には第1回会見についての記述があり、2002年に日本国外務省が会見についての記録を公表した旨や、その記録には天皇の戦争責任に関する記録がなかった旨が記されていました。しかし、この記事にはそれらについての記述は無いように見受けられます。豊下 (2008) の内容紹介ページにも2002年に外務省と宮内庁から第1回会見の記録が公表された旨が記されており、豊下 (2008) にも同様の記述があることが想像されます。それらは記事に書かれるべき内容だと思うのですが、いかがでしょうか。--Takenari Higuchi会話2022年6月18日 (土) 13:31 (UTC)[返信]

選考期間終了時点で反対票1票のため、見送りとなります。--アリシア-jawiki会話 - 投稿記録2022年6月25日 (土) 00:27 (UTC)[返信]