Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ギリシャ国 20091020

ギリシャ国 - ノート[編集]

  • (推薦)良質な記事の選考基準を満たしていると思いますので推薦いたします。一般的にはあまり知られていないであろう枢軸国によるギリシャ占領に関するエピソードを興味深く読ませていただきました。--Penn Station 2009年10月20日 (火) 12:10 (UTC)[返信]
  • (賛成)必要な内容が説明され、またほとんどの部分に丁寧に出典が付けられ、良質な記事となっていると考えます。--Peccafly 2009年10月20日 (火) 12:15 (UTC)[返信]
  • コメントいい記事だと思うのですが、ところどころ疑問を感じた箇所があります。以下列挙します。全体的な出来はいいと思いますので、これらの点が改善されるか納得のいく説明がされた場合には賛成票を投じるつもりです。
  1. 「1943年9月、イタリアが連合軍に降伏すると、イタリアが占領していた地域はドイツ軍が占領を行ったが、その際に戦闘が発生することもあり、イタリアが降伏したことにより、エーゲ海へ侵攻しようとするイギリス軍の目論見はレロス島の戦いにより失敗に終わった。」(「3分割占領」節)ですが、何故イタリアが降伏したりイタリアの占領地をドイツが占領した際に戦闘が発生するとイギリスがエーゲ海へ進攻できなくなるのか、わかりませんでした。
  2. 「ナチスの蛮行」節で、同盟を結んでいたはずのイタリア軍兵士をドイツ軍が虐殺したことには何か背景があったのでは。その説明がないとちょっと納得がいきません。
  3. 「抵抗活動」節のギリシャの旗にまつわる逸話を「感動的」とするのは表現として不適切では。
  4. 同じく「抵抗活動」節の「1943年秋、イタリアが降伏すると、ドイツ軍はイタリア軍を攻撃、同時にEDESへの掃討作戦も開始されたが、これにはEDESのゼルバスが同意していたとされ、」の「EDESへの掃討作戦」は、後に続く「ドイツ軍と反共系パルチザンはお互いを攻撃しないことに同意していた。」との関係から考えて「ELASへの掃討作戦」への間違いでは。-- 2009年10月23日 (金) 14:02 (UTC)[返信]

(終了・見送り)選考期間が終了しましたが要件をみたさなかったため、選出は見送りとなりました。-- 2009年11月3日 (火) 15:12 (UTC)[返信]