Wikipedia:査読依頼/プロイセン王国 20080308

プロイセン王国 - ノート[編集]

幅広いコメントを依頼します。--Pruqsa 2008年3月8日 (土) 10:13 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
良質な記事である点をまずは評価したいと思います。その上で、1701年から1870年までにおけるこの王国の通史(いうなれば、王朝史)におけるブラッシュアップの方策を提示していければと思います(以下、この記事の査読に関しては、「王国」という言葉でプロイセン王国のことを記します)。
  1. 「人口」 - 170年間の通史において、領域を拡大してきた王国において、民族構成、人口は大きく変化されているだろうということは推測されます。3度にわたるポーランド分割、ナポレオン戦争以降の領土獲得(これにより、ライン川流域もとびとして領土を獲得したので)を経験している以上、王国建国時代と帝国建国前夜では、ドイツ人、ポーランド人、デンマーク人他、様々な民族が居住しているはずです。そのあたりの人口統計が良書の歴史書(日本語、ドイツ語を問いません)に記載してあれば、表にして、表すといいかと思います。
  2. 「歴史」 - ここは王朝史の根幹をなす部分ですが、大きな瑕疵はないと思いますので、大丈夫。とはいえ、ブラッシュアップは可能です。以下に、学説を紹介して、脚注をつけてくれると深みが増すと思います。
  1. 時代遅れの王位をブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世は追求したのか。
  2. シャルンホルスト、グナイゼナウ、クラウゼヴィッツによる軍制改革の内容は具体的にどのようなものだったのか、シュタインとハイデンベルクの農民解放の意義とは何か。
  3. フランクフルト国民議会とフリードリヒ・ヴィルヘルム4世の間の関係性。文中には王権神授説を信奉した国王の下からの革命を忌避した説が紹介されていますが、その真相はどうか。これをめぐる学説の紹介はなされているか。
  1. 「政治」 - 王朝史を叙述する上で、社会と政治を切り離して考えることは不可能です。ユンカー制度であった王国の実態(当時の農民の生活も交えることができれば理想かも)、シュタインによる改革で王国の社会はどのような変化をしたのか。
  2. 「軍事」 - フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が兵隊王とあだ名されたのは人口に膾炙していますが、ここに書くべき記述は、王国がどのような軍事機構を保有していたかを書くべきです。フリードリヒ2世が王国の拡大に成功した時点での軍事機構、また、陸軍国家の性格が強い王国が当時のオランダ、イギリス、フランス、ロシアのように海軍の機構を保有していたのか。
  3. 「文化」 - フランスのヴェルサイユ、オーストリアのシェーンブルン宮殿と対比できるのが、ポツダム宮殿やサンスーシであることは理解できますが、王国が持っていた建築に対する哲学を詳しく知ることができません。また、この時代は、オーストリアではモーツァルト、ベートーベン、シューベルトといった音楽家が活躍した時代でもある。この王国ではどうだったのか。文学はどうか。このあたりは詳細に調べて書く必要がありそうです。
  4. 「人物」 - カントと国王と宰相の記載がありますが、宰相は、全員が一覧になっていません。ビスマルクがあまりにも有名すぎて、記事にするには問題があるでしょうが、宰相の数が多ければ、分割して宰相の一覧を作っても問題はないと思います。
以上、思いつくままに加筆・修正すべき点を記しました。記事のブラッシュアップ、がんばってください。--Tantal 2008年3月8日 (土) 22:25 (UTC)[返信]
査読して頂きありがとうございます。まだまだ穴があることが分かりました。
さっそくですが、人口については現在資料を探している途中です。日本語は図書館やインターネットなどで調べましたが、詳しい記載がありませんでした。しかし、プロイセンだけではなく、ドイツ人やポーランド人などについての資料から探せば資料が見つかるかもしれませんので、今度調べてみます。また、ドイツ語やポーランド語の資料の方が期待できるかもしれませんので、そちらも参照したいと思います。歴史についても、Tantalさんが提示して下さったものや、ドイツ統一を巡るヴィルヘルム1世とビスマルクの考えなどを紹介していきたいと思います。
政治は、封建制度から立憲君主制に変わるとき、保守派の動きについても詳しく書けそうなのでもう少し手を加えたいと思います。軍事についても、王国の海軍に関する資料がどこかにありました。もう一度探して、まとめたいと思います。文化については、芸術を嫌うフリードリヒ・ヴィルヘルム1世と芸術を愛するフリードリヒ2世が対立していたこともあり、フリードリヒ2世の即位後に大きく変わったようです。ロココ調の宮殿や、フリードリヒ2世とボルテールの関係についても記述できそうなのでまとめてみます。人物は、マントイフェルについてや、それ以前の宰相に関する情報が少ないので苦労しそうです。
乱雑で読みにくい文章になってしまいすみませんでした。課題を少しずつ取り除いていこうと思います。丁寧で分かりやすい助言を頂きありがとうございました。--Pruqsa 2008年3月9日 (日) 13:31 (UTC)[返信]


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