Wikipedia:査読依頼/ウルム戦役 20171126

ウルム戦役 - ノート[編集]

今回初めて査読を依頼します。こちらの記事は英語版の秀逸な記事より翻訳致しました。日本語版の良質な記事の選考に提出するために、選考前の査読をお願い致します。人名などの翻訳には注意を払いましたが、不備等があればご指摘頂ければ幸いです。Arisen会話2017年11月26日 (日) 11:53 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価。
翻訳お疲れ様です。大枠としては良質な記事として問題無いように思います。一部原文と対照してみて気になる点があったのでご確認いただければ幸いです。
  • 戦役節冒頭
「ウルム戦役は一ヶ月近く続き、ナポレオン率いるフランス軍は混乱するオーストリア軍に打撃を与えた。オーストリア軍の損害は10月20日に頂点に達した。」となっているのですが、後半部の原文は「It culminated on 20 October with the loss of an entire Austrian army.」であり、また本文でも10月20日にオーストリア軍が降伏したことをもって戦役の終結としている点からして、「頂点に達した」というよりは遂に20日にオーストリア全軍が敗北した、とか降伏した、ということではないでしょうか。特に10月20日にオーストリア軍が大きな損害を出したような記述もないので、やや不自然な表現に見えます。
  • フランスの計画節末尾
「ミュラがシュヴァルツヴァルトが通れることを証明している間、フランスの軍の主力はドイツの中心部に侵攻し、南東に進みアウクスブルクを占領した。この動きによってマック将軍は孤立させられ、オーストリア軍との連絡網を絶ちきった。」とありますが、後半部の原文は「a move that was supposed to isolate Mack and interrupt the Austrian lines of communication.[18]」なので、「マック将軍を孤立させ、オーストリア軍の連絡網を断ち切るつもりであった。」或いは「断ち切ることを目的としていた」だと思います。
  • ウルムの戦い節後半
「しかし徐々にマックがハイデンハイムとネレスハイム(英語版)での降伏の知らせを聞くと、降伏を5日早めて、20日に降伏することに同意した。」これは日本語が少し変なような気がします。「しかし、マックの耳にハイデンハイムやネレスハイムでの降伏の知らせが徐々に入り~」というような文章にした方が自然であるように思います。--TEN会話2018年1月4日 (木) 07:47 (UTC)[返信]
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【その他】 ──表記・文体など