Wikipedia:査読依頼/イギリス領インド帝国 20080930

イギリス領インド帝国 - ノート[編集]

ムガル帝国と現在のインド共和国・パキスタンスリランカミャンマーネパールブータンの間をつなぐ、重要歴史記事です。とりあえず、日本語文献で調べられる文献を活用することで、スタブ状態を脱したと思いますが、まだ、不十分のところがあるかと思います。忌憚なき意見を期待いたします。--Tantal 2008年9月30日 (火) 12:43 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
おしらせありがとうございます。回答として(インドについてはあまり分からないけれど)書いてみます。知っている分野からほぼ外れるので通り一遍なことだけになりますが…。
「歴史」について
読点がいささか多いという個人的かつ些末な話はともかく、人が前に出すぎてわかりにくくなっていると感じました。総督・副王を網羅する必要も読者的にはないと思います。「イギリス領インド帝国」というよりも「帝国で要職にあった人たちの列伝」というか…。登場人物が多く、それぞれにイメージを持てないまま続々出てくるのが、わかりにくくさせている要因なのかなあと。おそらくこの手法で書くなら、個々人をイメージづける/印象づける表現を加えると良くなりそうですが、となると相当長大になる上に百科事典というよりイギリス領インド帝国物語になってしまいそうです。私としてはブローデルの「地中海」よろしく、イギリス領インド帝国自体を主人公にした書き方がいいんじゃなかろうかと思いました。
長さについて
さらに追い討ちをかけるようですが、冗長になっているかなという気はしました。構成を練ると余地はありそうです。各章の字数配分や何を書くかを明確にするだけでなく、規模では全体を見渡せる程度に抑えることで格段に良くなるでしょう。私の個人的印象では、字数制限がないため存分に書き、結果的に書き手の構成力を超過していると思う記事が時々あります。
「経済」について
人の問題はあまり見られません。かわりに註をうってほしいところはありました。たとえば「頻繁に発生した飢饉」節の第一文。農業生産力を数量で示した文献があって初めて、この一文は書けるはずです。段落まるごと「深刻なものにした」の後でもいいので註が欲しいところです。ところで、経済の節がほぼケンブリッジ版世界各国史と南アジア史_3で収まっているのは…いいっちゃいいけど…もうちょっとほしいな…とも。個人的な意見ですが、ケンブリッジ版は文献として使うにはちょっと危ういところがあると感じています。
「社会」について
ふたたび人おおすぎではと思いました。知っているトピックを書くと固有名詞は私も増えてしまいます。この削りたくない固有名詞にまで踏み込んで削ってこそ、知らない人が見て分かりやすい記事になると私は思います。じっさいこれだけ多く出てくると、予備知識のない私には読むのがつらいです。
「文化」について
文学以外の文化もあるはずなので、文学をひとつの節にまとめてさらっと紹介、それ以外を節分けというのはどうでしょう。
上記以外について
カーゾンの引用は面白いです。このようにインドがどのように見られて来たかという史学史的観点は一節ほしいと思いました。
以上です。何もしてない私が、横から長々と難癖つけて恐縮ですが…。--S kitahashi(Plé)2008年11月12日 (水) 20:59 (UTC)[返信]
査読ありがとうございます。文学面以外の文化となるとこれはかなりの難題です。音楽、絵画、建築……となるんでしょうけど、前二者に関しては、藩王国のもとで庇護されていたぐらいの文章程度しかかけないんでしょう。文学に関しても主要言語で簡単に書いたつもりです(というよりこの時代のインドの記事は日本語版ではほとんど希薄、タゴールでもあの内容ですから……)。建築に関しては、経済と密接に関連するのですが、ダージリン・ヒマラヤ鉄道あるいはチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅になるのではないでしょうか。一応、記事本文には取り込んだつもりですが。
記事の構成については、人を前面に出したのがいいのかどうか苦渋したのですが、インド国民会議設立前史(1858-85)、民族運動の始まりの時代(1885-1915)、ガンディーの登場と塩の行進(1915-1931)、印パ分裂での独立(1931-1947)ぐらいの4分割が適切なのかもしれませんけど、どうもそうすると後半の節が長くなっちゃいます。それで、総督の就任期間で区切りを入れて8分節にしています。
近代インドの歴史には様々な人物(支配者としてのイギリス、被支配者としてのヒンディー、ムスリム、パールスィー、シク教徒)、カースト制度(これも地域によって一部の階層がなかったり、一まとめに述べることは困難)、さらに、現在のインド共和国よりも広い領域(ネパール、スリランカ、ビルマ、パキスタン、バングラデシュ)を支配していた国家であることに起因する多様性があることから、ヨーロッパ各国史や中国史を執筆するよりも大きな困難が生じます。1個ずつつぶしていくしかないんでしょうねえ。
とはいえ、ムガル帝国・イギリス東インド会社・イギリス領インド帝国の3部作で近代インドの加筆(最低限ですが)は完了したと思っています。あとはどこを足して、どこを取り除くか。もう少し、検討してみましょう。--Tantal 2008年11月24日 (月) 09:01 (UTC)[返信]
【感想】 ──専門外の方による感想。
ウガンダ鉄道関連の論文を見て思ったことで、この記事でなく印橋関連の記事でもいいのかも知れないが、経済統計の載った文献があるとうれしい。ウガンダ植民地の貿易相手の首位はウガンダ鉄道建設にインド人移民が加わったことも絡んでインドがわりに長い間独占していたらしい。johncapistrano 2008年9月30日 (火) 13:44 (UTC)[返信]
コメントが遅くなって申し訳ございません。当方には近代インドの経済について言及した本がほとんど無いので、論文集なり何なりご紹介いただけると助かります。--Tantal 2008年11月24日 (月) 09:01 (UTC)[返信]
素人なんで私も手元には何の本もありませんし、経済統計がどこで手に入るのかも知りません(当局〈インド省〉が統計自体は作成してたようですが)[1]し、論文集も知りません。坂出健氏のレジュメ[2]によるとインドの黒字がポンドでイギリスに留置かれてインドの資金繰りが悪化したそうです。探しているとその類いのものはよくでてきましたが、日本語の統計はあまりでてきませんね。レジュメの孫引ですが、井上巽『金融と帝国 イギリス帝国経済史』に必要な統計があるかもしれません。細切れなら、ウガンダ鉄道で参照した林一哉「ウガンダ鉄道と英領東アフリカ 植民地鉄道の現地経済への影響」、綿と商品ベンガル、イマイチですね。見かけたら何処かにメモするようにします。johncapistrano 2008年11月24日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
【その他】 ──表記・文体など