Wikipedia:井戸端/subj/無期限ブロック者が記述した内容と同じ記述をしてはならないか?

無期限ブロック者が記述した内容と同じ記述をしてはならないか?[編集]

長期ブロック者がブロックを破り、記述した内容はリバートされることが方針上OKとされてたと思いますし、慣習ともなっています。しかし、その長期ブロック者が記載した内容が特に問題のないもので、NPOV的であると判断した他の編集者は、それを記載してはならないのでしょうか?

具体的に書きたいと思います。「南京大虐殺」に関連することなのですが、この事件は殺害された数のみならず事件存在自体も否定する研究者もおり論争のあるものです。またその呼称も色々あり「南京大虐殺」という名称が確定しているわけではありません。そのため、ある長期ブロック者が、例1例2のように「~とされる」としたり南京大虐殺という呼称にカッコを記載しました。当然、無期限ブロック中の者の編集ですので、それは一度リバートされても仕方がないものと思います。 そこで、それを見た他の編集者(今回は私)が、ブロック者の編集ではあったが中立的な書き方だな、と判断して同じ編集をしました。 すると、利用者:ロンドル氏が「長期ブロック者の編集」との理由で何度もリバートを繰り返しています一例。(もちろん私は長期ブロック者と同一人ではないですし、同一ならとっくにブロックされているはずです。)

私としては、カッコ書きなどの内容について異論があってリバートするならば、討論すれば良いのみであり、当初はそのつもりで、利用者:ロンドル氏のノートにお邪魔し、「NPOV表現でお願いします」と提案しに行きました[1]。しかしロンドル氏は内容ではなく、「無期限ブロック者の特徴と同一内容の記載だから書くな。ブロック者が書いた内容はそもそもすべて問題があるのだ」という趣旨の主張の一点張りで強行リバートを繰り返すため埒が開かない状態です[2][3]。私としては内容についての議論(カッコを付けることが正当化否か等)ならば喜んでするつもりでしたが、彼が何を根拠としているのか知りませんが、「ブロック者の編集だから」の一点張りでどうしようもありません。

さて、第三者が書いた記述について内容ではなく「無期限ブロックとされた人間が書いたものと同じだから」という理由でのリバートは正当化できるものか?無期限ブロック者が書いたものは他の者は書けなくなるのか?そのような方針は見たことないのですが、このままリバートし返しても埒が開かないと判断し、それについて皆様のご意見をお伺いしたいと思いましたので、よろしくお願いします。また、できましたらこのような主張の相手に対し、どのような行動をすることが正当な手順か、アドバイスをいただければ幸いです。--PSIA 2009年10月24日 (土) 17:49 (UTC)(修正)--PSIA 2009年10月24日 (土) 19:40 (UTC)[返信]

無期限ブロックされた利用者と同じ記述だから差し戻すという主張には無理があるでしょう。書き込まれていることがWP:POLで定義されている基本的な3つの方針(WP:NORWP:VWP:NPOV)に従っていれば、書かれていても何ら問題はありません。
該当利用者との話し合いはすでになされているようですし、WP:RFCを出して、利用者の行為についての意見を募るのがいいと思います。もしも差し戻しを続けるのであれば(現状を見ると続けそうですが)、WP:ANに報告するなり、WP:BLを出せばいいと思います。--Kazusan会話投稿記録 2009年10月25日 (日) 00:28 (UTC)-一部修正--Kazusan会話投稿記録 2009年10月25日 (日) 00:30 (UTC)[返信]

きっと、被害妄想にとりつかれているのですよ。記事を大切にしていれば、そういうことはよくあるものです。そういうことをいう方はとりあえず放って置けばいいと思います。 ところで、「~される」としたら中立かといったら、それは単に語を濁しているだけですよね。単に語を濁して、読者に判断させようとしても、読み手は調べ始めることができませんので濁さなかった場合と大して情報量は変わりません。そんなことで議論するのは時間の無駄です。濁す理由が、確からしさを否定する出典によるものであるならば、Aであるという説とAではないという説を両方併記する形にすればいいでしょう。それぞれの出典にはそれなりの根拠が記載されているはずですので、賢明な読者はそこからどちらの説がもっともらしいかを読者なりに判断できます。--山間部 2009年10月25日 (日) 00:33 (UTC)[返信]

kazusanさん、アドバイスありがとうございます。今後の様子を見て内容でなく「ブロック者と同じ編集だから」の一点張りでリバートを継続するようならば、広くコミュニティーにコメント依頼でお伺いしようと思います。--PSIA 2009年10月25日 (日) 00:53 (UTC)[返信]
山間部さん、アドバイスありがとうございます。確かにある程度放置も必要ですが、長年、同じ記事に張り付いている方のようで時間で解決できない方のようでして・・。「~される」「~言われる」は確かに言葉を濁すものであり、禁止事項でしたね。忘れてました。訂正するにもはっきりとした書き方にできるよう注意したいと思います。--PSIA 2009年10月25日 (日) 00:53 (UTC)[返信]
それをするとPEACE系の荒らし行為と全く同じでしょう。南京虐殺については南京虐殺、論争については論争の記事がそれぞれあるのだから他の記事では誘導に留めるべきです。第三者であるなどと主張するからおかしいのであって、はっきりPEACE系と同じ史観であってかつ中立的な観点を満たす編集の仕方はどうあるべきかと問うた方がよいのではないですか。関連記事で場外乱闘的行為を繰返すのは荒らし行為に他ならない。johncapistrano 2009年10月25日 (日) 13:06 (UTC)[返信]
johncapistranoさん、アドバイスありがとうございます。「それをするとPEACE系の荒らし行為と全く同じでしょう。」この根拠を伺っています。PEACE系の編集内容で問題がないと判断した他の編集者が同じ編集をしたら、同じくブロック者になってしまうのでしょうか?その方針やガイドラインなどの根拠はどこか、できれば提示していただきたいのです。ブロック者の問題というのは、記載内容ではなく、ブロックを破って出てくることにあるはずです。だから本来はなかったはずの編集なのだから記載内容に関わらず、リバートして除去できる、と。しかしそれが問題のない編集であると判断した「第三者」の編集は「ブロック者と同じだから」として除外することはできないですよね?これが可能になるならば、ブロックされた者側の「史観」は記載できないことになってしまいますから。一方で「逆の史観者」にはこんな都合の良いことはなく、それが続けばPOV記事の完成となってしまいますよね。そして現在、ロンドル氏はその行為をしている。リバートするにも相手が長期ブロック者と確定してからできるものであり、個人で相手を「長期ブロック者だから」と決め付けてリバートできるものではないですよね?johncapistranoさんには、ここら辺のロンドル氏の行為について明確な回答をいただきたかった。
「中立的な観点を満たす編集の仕方はどうあるべきかと問うた方がよい」というはもっともだと思いますが、ご覧になっていただければわかるように反対者のロンドル氏は内容について話さず、「ブロック者と同じ編集だから」の一点張りでどうしようもないのでアドバイスをいただきに来た次第です。johncapistranoさんは「他の記事では誘導に留めるべき」という主張のようですが、その誘導する呼称が当然のように書かれるいかがなものか、と私は考えるのでアドバイスどおり、その点については後日、より広くコミュニティーに中立的な呼称の記載法についてなどの意見をいただこうかと思っています。--PSIA 2009年10月25日 (日) 14:54 (UTC)--PSIA 2009年10月25日 (日) 14:58 (UTC)[返信]
LTA:PEACE/T、方々で同じような議論がありますが、不毛ですね。南京虐殺の評価は信頼できる情報源に依るべきでしょう。ウィキペディアの利用者による多数決では集団的な独自研究であると思います。PEACEと史観が同じだけなら問題ありませんが、自演せずとも同じ振舞いをするのであれば模倣荒らしやそのブロック逃れとして扱われても無理がないと思います。PEACE系やYukarin系であっても偽装期間にはブロックされない場合もあるのと同じで、ブロック理由が改善されないために長期荒らしとして対処されていると考えるべきでしょう。johncapistrano 2009年10月25日 (日) 15:12 (UTC)[返信]
「同じ振る舞い」でブロック者と同一と判断されてからリバートできるものですよね。そこをしっかり述べていただきたい(もっとも管理者の方は見る目があると思っており、同一か否かはしっかり判断できる方々と思っていますし、また一般ユーザーが同一と判断するならば正式な手続きが必要です)。長期ブロック者であると確定していない一般ユーザーの編集を「ブロック者と同じ編集だから」としてリバートできる正当性はないですよね。あるならば「不毛」などという意味不明な説明ではなく、正式な根拠を是非いただきたい。ロンドル氏の行為は不当であり、それを指摘できないjohncapistranoさんの非中立的姿勢には残念です。「ウィキペディアの利用者による多数決では集団的な独自研究であると思います。」とのことですが、それを言ってしまったらwikipediaに参加しないほうが良いのではないでしょうか?コミュニティーの否定ですよ、それ。--PSIA 2009年10月25日 (日) 15:20 (UTC)--PSIA 2009年10月25日 (日) 15:23 (UTC)[返信]
1点目は私はあなたはPEACE系と同じ振舞いであるがブロック逃れでないと思いますよ。ブロックが必要であると判断するにはブロック依頼が必要であると考えますが、誤認されても無理はないとも考えます。あなたが書いているように、一般利用者には投稿から判断するしかないからです。ロンドル氏とあなたはどっちもどっちです。一方のみが不当ということはあり得ません。2点目は信頼できる情報源を守らない利用者が多過ぎるというのと、学術的な動向が一般利用者に分かり辛いのと両方でしょうね。参加したくなければ活動を止めればいいのでそのようなお言葉は要りません。johncapistrano 2009年10月25日 (日) 15:35 (UTC)[返信]
「PEACE系と同じ振舞いであるがブロック逃れでないと思いますよ」とのことですが、そうでしょうね。johncapistranoさんは誰と誰が同一かに熱心の方であり、私の前アカウントも予想しておられるでしょうし。私としては「同じ振る舞い」との発言は心外ですけどね。最低でも誤認されてから一般ユーザーはリバートでき、誤認(確定)される前のユーザーを「ブロック者と同じ編集だから」としてリバートスルことに正当性はない。これにjohncapistranoさんも異論はないと思います。「信頼できる情報源」ってのもコミュニティーの判断で変わる難しい微妙なものであり(例;学術的な笠原などは著書で「南京事件」呼称を良く使うというように研究者はどちらの呼称も使用し、数の統計は難しい。そしてなぜか一般社会では「南京大虐殺」呼称が有名で、どれを使用するか大変に難しい)、皆で相談していくものです。それを「集団的独自研究」と言ってしまったら話し合いもできませんよ。--PSIA 2009年10月25日 (日) 15:47 (UTC)[返信]
そういう議論は南京虐殺や論争の記事のノートで出典を伴ってやるべきことですよね。関連記事でPEACEと同じ振舞いをしても不毛でしょう。私からのコメントはこれぐらいにしたいと思います。johncapistrano 2009年10月25日 (日) 15:53 (UTC)[返信]
ですからそのつもりなのですが、その話し合いを「ウィキペディアの利用者による多数決では集団的な独自研究」などと意味不明な発言をされたので、説明させていただいた次第です。PEACEと同じ振舞いかどうかはjohncapistranoさんの判断・レッテル貼りであり、心外ですし、そもそも今回はPEACEではありませんので、しっかり読んでからコメントいただきたいところです。--PSIA 2009年10月25日 (日) 15:57 (UTC)[返信]

関連しそうな履歴などは追っていませんが、一般論として。

既にブロックされている人と、似たような考え、「史観」を持っているというだけでは、ブロックされるべきではありません。しかし、「長期ブロック者の編集」と同じ編集をするだけでは、それはそれで模倣でしかありません。編集を強行し、他者の意見に耳を傾けず、中立的な観点を理解しないのであれば、別人であっても、やがて同様にブロックされるでしょう。

模倣ではないのならば、他者から内容について指摘されたことに対して、ウィキペディアの各種の方針に沿って、説明を行なったり、修正された記述をしたり、根拠となる資料を示したりすることができるでしょう。論争があったことを知っているならば、リバートする側に、何かを求めるのではなく、自分が編集する際に、長期荒らしと同じ編集をするが、それはこのような根拠があるのだから、この表現のほうが適切と考えられるがどうだろうかと、あらかじめノートで提案をするところから始めるほうがよいと思います。

なお、ウィキペディアにおける「中立的な観点」は、一方の説に断定するのではなく両論併記をすることを推奨しますが、その資料の質や信頼度に応じてバランスをとること、敵のために書くことも望んでいます。自分が信じる「中立」な記述をすることが、方針に合致する編集ではないということをご理解ください。また、「~される」「~言われる」という表現は、避けることが望ましいですが、断定するためには、それなりの根拠が必要です。Wikipedia:言葉を濁さないの基本的なガイドラインにも「曖昧なことを断言してはいけません。」の一文があることを確認してください。--Ks aka 98 2009年10月26日 (月) 18:45 (UTC)[返信]

Ks aka 98さん、一般論のアドバイスありがとうございます。中立的な観点については、議論すべきことなのは当然だと思います。今回の件につきましては、「他者から内容について指摘」をこちらは受けておらず、逆にこちら側から「中立的観点」について「内容についての指摘」をしたのですが、相手側は他者の意見に耳を傾けず「ブロック者がした編集だからリバートは当然であり、そもそもブロック者の編集は問題がある」の一点張りでリバートを繰り返すので困っていた次第です。それはリバート理由にはなりませんよね?これをリバート(除去)理由として正当としてしまうと、一方の観点を封じ込めることができてしまう危険性が出てきますよね?この点について困っていました。
「~される」「~言われる」という曖昧表現に関しては上記でも述べたように、その表現は間違えであることを忘れてましたので他のはっきりとした言い方(両論があるという事実)に変えていこうと思っています。これまでは両論があるのに一方の論のみの表現で書かれていたり、「意見」を「事実」のような書き方がされていた状態だったので、それを訂正していく必要性を感じています(ブロック者の編集がきっかけで気付いたわけですが)。--PSIA 2009年10月26日 (月) 19:57 (UTC)[返信]
まったくばかばかしいことがまかり通っていると感じる。本来、記事内容と執筆者はしっかり切り分けて考えるべきで、こんなもんは当たり前のこと。記事をみて中立的な観点から問題があれば、それを話しあって、中立的な観点になるように手段なり講じて実現する。当たり前のこと。簡単のため、「右」「左」で話をすると、過去、強硬に「右」よりの編集をしてコミュニティを疲弊させた人物/集団が存在したのは事実。しかし過去の議論をみていると、そこには同時に「左」よりの強硬な編集をしてきた集団も存在する。たまたま「右」のほうのグループがブロックになり、「左」のほうはお咎めなしになった。端からみればどっちもどっちだが、その過程、そしてこれまでずっと、その「右」側がブロックされた既成事実を「左」側がおおいに歓迎し、自分らの思想的隔たりの記述に利用(悪用)してきた形跡が色濃くある。ロンドル氏なんてその典型例だろう。上でロンドル氏に援護射撃している人も同類。それは彼らの編集履歴をみれば第三者にも容易に確認できる。ここで問題なのは、中立的観点よりも「右」=悪、嵐&「左」=お咎めなし、の事実を悪用する連中であって、中立的観点を「左」よりの記述に固定して良しとして記事のクオリティを貶めている連中。そういう蓄積の傷跡として、こういう歴史記事の部分部分に今回指摘されているような、「左」よりで固定された記述が多く散見される。これを中立に戻すには、左にあったもんを真ん中に戻す作業なのだから、両論併記、あるいは記述自体を中立にする際、その「左」の意味はきれいに抹消するのだから、それは左を否定する=つまり「右」のニュアンスを追加する、とそういう「左」の連中は捉えることが多いだろう。その際に、その行為はピース系だから禁止されているとか馬鹿なことを言って牽制する。これは「右」の強硬派は排除されたが、あいかわらずロンドル氏はじめとする「左」の強硬派のみ存続している非対称性から当たり前のように出てくる暴力行為だが、当たり前のように正当性なんてこれっぽっちもない。この辺の「左」の強硬派はその行為の正当性について、まとめてコメント依頼出して、行為を改めないようであれば、ピース系と同様の処置にすることが人的バランスとして公平になるんじゃなかろうか?--121.84.163.194 2009年10月27日 (火) 17:10 (UTC)[返信]