Wikipedia:井戸端/subj/平井正穂 氏のページについて

平井正穂 氏のページについて[編集]

平井正穂氏のページの「一方、文学の立場をめぐって蟻二郎から告発されたり、自分より優れていると考えた教え子の高橋康也を、教養学部における英文学の発展のために文学部英文科での採用を見送ったことは、東大(文学部)英文科の一時期の停滞を招いたとする見方もある。」という記述に強く抵抗を感じています。 (現在では出典の明記テンプレートが貼られていますが、過去の版を見るとむしろ出展は明記されていたのに消されたようです[1]。) 教授の業績の評価の出典に用いるのに『文学研究という不幸』は明らかに不適当だと思うのですが、こうした記述はどう対処するべきなのでしょうか。--雲霞会話2016年1月14日 (木) 16:28 (UTC)[返信]

  • 井戸端会議ですし大ざっぱな意見になることをお許しください。過去の版のリンク先を拝見したところで気になる点がありました。「情報源秘匿」とあるので、その時点で検証できなかったのでしょうか?検証可能性を満たさない場合は記事を書く時に不利な扱いを受ける場合があります。まずは情報源の特定をされてはいかがでしょうか?もしくはそれに相応する別の出典を探すという方法もあります。--Kaonohito会話2016年1月17日 (日) 04:23 (UTC)[返信]
    • 過去の版にある「情報源秘匿」とは、元の書籍には誰の発言か書かれていたけれども、Wikipediaに加筆する際に伏せた、ということではないでしょうか?--Assemblykinematics会話2016年1月17日 (日) 07:15 (UTC)[返信]
      • 私の文章に問題があり、誤解を生んだようです。私はこの「一方〜」という部分について出典で補強して残したい訳ではないのです。「情報源秘匿」についてですが、これは『文学研究という不幸』の中で情報源秘匿とされているのではないかと思います。--雲霞会話2016年1月17日 (日) 08:59 (UTC)[返信]
  • コメント 問題の記述は初版からあり、この時は出典がありません。ある時に『文学研究という不幸』ISBN 978-4584122648 の記述を引用する形に修正されましたが、こちらの版で元の記述に直されています。ややこしいのですが、蟻二郎氏から告発されたことは出典不明、高橋康也先生の採用見送りについては『文学研究の不幸』に記述あり、英文学科の停滞を招いたかもしれないという見解については出典なし、という状況のようです。
なお、『文学研究という不幸』はamazonの書評を見る限り、文学的な批評ではなくゴシップ的な批判をしている書籍のようですが、マイナーながらもちゃんとした出版社からの書籍ですので、信頼できる情報源として批判的な記述として記載されても仕方なさそうです。ただ、引用された記述を見る限り、著者本人が平井先生から聞いた話ではなく、どなたかからの又聞きのようですので、信頼性に乏しいのは否めません。
現状では教え子や英文学会で会長を務めたことを述べた後の記述ですので、好評価と批判的記述のバランスが取れていない訳でもありません。ですが、文学的なものではなく人柄に対するものですので、少ししっくり来ないのは確かだと思います。--Assemblykinematics会話2016年1月17日 (日) 07:15 (UTC)[返信]
  • 分散する形になりますがこちらで報告します。蟻二郎の件についても『文学研究という不幸』(pp.111-114)で触れられており、追記した方はこれを参考にしたのではないかと想像します。1967年前後の(本来の意味での)同人誌『新批評』において告発が行われたようです。ただ、『文学研究という不幸』では高橋氏の件とは異なり、この件については平井氏に対して批判的な事は特に書かれていません(むしろ蟻二郎に批判的とも取れます)。これを「東大(文学部)英文科の一時期の停滞を招いたとする見方もある。」という結論に繋げるのは少々問題を感じます。蟻二郎に関する記述を平井氏に否定的な形のまま残すためには『新批評』に当たらねばならないと感じていますが、ちょっと現実的ではないですね--雲霞会話2016年1月31日 (日) 09:45 (UTC)[返信]
コメントたとえば「英文学研究の業績」として書かれているのであれば、いかにも不自然ですが、記事のどこかに、ということなら、教え子である批評家からの告発や、「東大(文学部)英文科の一時期の停滞を招いた」要因となるようなエピソードの記載は、(資料の信頼性などは別として)許容されるでしょう。今の本文の分量であれば、冒頭部で人物の概要として書かれていることはやむなしと思います。
同じように、「教授の業績の評価の出典」に『文学研究という不幸』は適切ではないですが、文学者/大学教授の人物記事のなかの記述に対して、『文学研究という不幸』が不適切とは言えません。
雲霞さんの対応としては、否定的な記述の情報源としては十分な信頼性がないとして、記述をそのまま除去しても構わないと思います。一方、この記述自体は百科事典として残したほうが良いと考えるなら、否定的な記述ですし、別の情報源がない状態ですから、書誌情報を復活させ出典として示し、「小谷野敦によれば」「小谷野敦は」のように、事実の指摘や分析の帰属を本文中で示すのが好ましいと思います。雲霞さんが前者のような対応をしたのちに、誰かが後者のような対応をしたなら、今示されている資料の範囲からは、そういうものとして受け入れてほしい(再度除去するには、情報源の信頼性についての議論なり合意なりが必要になる)。--Ks aka 98会話2016年1月17日 (日) 09:26 (UTC)[返信]
コメント 業績や人柄、エピソードといった観点からの記事のバランスの問題、記事の信頼性の問題もありますが、高橋先生が英文学科ではなく教養学部で常勤になったいきさつをどう書くかも鍵でしょうか。初版では教養学部の発展のためというプラス視点ですが、『文学研究という不幸』では自分より優秀な後輩を入れたなかったというマイナス視点になっています。
記述を残すとすれば、中立的な観点から「なお、平井が高橋康也を文学部英文学科で採用しなかったという逸話がある(出典『文学研究という不幸』)。これは教養学部の英文学を発展させるためという見方(出典不明)と、自分より優秀な人間を入れたくなかったという説(出典『文学研究という不幸』)がある。」という書き方になるでしょうか?片方が出典不明なので悩ましいところではありますが……。--Assemblykinematics会話2016年1月18日 (月) 14:16 (UTC)[返信]
たくさんのご意見を頂き、ありがとうございました。皆さんのご意見を参考に、いずれ書き直してみます。ただ、事実に対する評価という形に書き直すとしても、肝心の高橋康也氏の人事問題自体がどこまで本当なのか、東大関係者ではない私にはちょっと調べようがないと感じています(平井氏も高橋氏も故人ですし……)。--雲霞会話2016年1月20日 (水) 12:21 (UTC)[返信]