Wikipedia:井戸端/subj/出典必須→出典推奨

出典必須→出典推奨[編集]

「出典は必須」というルールは、「出典は推奨」と緩和した方が良いと、私は考えています。理由は幾つか有ります。

1.「誰でも編集可能」というシステムと相性が悪い Wikipediaユーザは老若男女問わず色々な人がいます。人数も膨大です。そして、図書館の嫌いなユーザが非常に多いと推測します。Wikipediaは出典必須なので、これは致命的です。しかし、図書館嫌いユーザを、なぜかWikipediaは歓迎しているのです。その一方、ルールは「出典必須」です。図書館嫌いユーザにとって、これは非常に窮屈なルールです。相性悪過ぎです。「図書館嫌い」と「出典必須」は二律背反。こんなルール、守れっこ無いんです。プロ・ヘナチョコ問わず誰でも気軽に執筆参加できるボランティアサイトで「記事の充実の阻害になるので、出典の無い記事は削除」という基本方針は不自然です。例えるなら、「国益の阻害になるので、年収200万未満の成人労働者は刑務所工場・遠洋漁船・シベリア重労働に強制転勤」と日本国憲法に書くのと同じように思います。「出典必須」を今後も不変の憲法として続けるなら、品質検定制度を設けて執筆者に合格報酬(例えば商品券)を与えるべきです。そんなの無理でしょうから、せめてIPユーザを規制にすべきだと私は思う。

2.自治・取締りが甘い 実際に削除のターゲットになり易い記事は、ムカツク記事です。出典の有無は2の次です。出典の有無に関わらず、ムカツク記事は削除され、ムカツカナイ独自研究はスルーされます。ムカツク記事は目立ちますから、草取り専門ユーザはそれに気が取られてしまい、基本方針に忠実に草取り出来ていないのです。「出典必須」がムカツカナイ独自研究に殆ど機能しないのなら、無い方が良いです。

3.アンサイクロペディアンからナメられている。アンサイクロペディアの「要出典」と「ウィキペディア」と「ウィキペディアン」の3つを見て、危機感を持って欲しい。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%A6%81%E5%87%BA%E5%85%B8

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2

4.質だけでなく量も重要 図書館嫌いのヘナチョコユーザをWikipediaが歓迎しているのは何故か、それは記事量を増やしたいからでしょう。ユーザ無制限だと、独自研究が増えちゃうのは火を見るより明らかです。しかし、ユーザを有識者等に制限すると、記事量産するのにリソースが足りません。また、本屋さんに売ってる既存の百科事典と変わらなくなります。検証可能性なんか厳格に課すと、記事量産なんて出来っこないと思います。

5.全ての第三者が検証可能である必要は無い 「母体が年齢を重ねると、羊水が腐る。」これが検証できる人は医療関係者くらいです。これを本当の意味で検証するには、医学の基礎が必要です。ド素人は書籍に書いてある字面を追って鵜呑みにするしか無く、こんなものは検証とはいえません。要するに、全ての第三者の検証可能性を保障するのは不可能なのです。医療関係の記事は医者だけが検証できれば十分です。記事に医学的誤りが有れば、医者ユーザの編集で訂正されるのです。今のままだと、「太陽は西から昇る(出典=バカボンの歌詞、赤塚不二夫著)」のような検証になってしまいます。--ニッタユカ 2010年4月4日 (日) 03:36 (UTC)[返信]

  • いやいや、これはぶっちゃけましたね。痛快なご意見です。ムカツク記事の辺りとか。アンサイクロペディアのその記事は、以前、私も楽しく読ませて頂きました。一部加筆したりもしていますが(笑)。ですが、それを導入することは、JAWPが「記事の信頼性」を放棄することになります。信頼性を(完全にではないにせよ)担保するのは出典しかないんですよね、実際。出典がなくとも「大多数の人が妥当と認めている」ので放置されている記事も実に多数あるのも、また事実ですが。ま、なんのかんのと歴史が有りますので、それはちょと難しいでしょう。WPの成り立ちとかは、語れるほど詳しくは存じ上げませんけどね。むしろ、「ちゃんとしたユアペディア」的なものを作る事に情熱と時間を注いだ方が良いんじゃないでしょうか。私も一時期考えましたが、そんな器じゃない上に健康上、それに伴う経済上の問題が有り、管理に責任が持てないので画餅以前の話でした。ガチで身障者ですので。無念。しかしまあ、その様なコミュニティは、恐らくWPよりも数桁上の規模で、これは正しいいや正しくないと各所で論争が繰り返される様な気がしてなりません。よって、信頼性の求められる・・・・例えばメインカルチャーや学術的なものなどはWPで、比較的そこらへんはどうでもいい様な記事は真・YPで自由闊達に。私ならこう行きたいですね。--Hman 2010年4月4日 (日) 03:51 (UTC)[返信]
  • コメント「出来るはずの無いことは、しなくて良い」というのが許されるのであれば、私はニッタユカさんからお金を借りたいと思います。なぜならば「私は、お金を返せる気がしないので、ニッタユカさんにはお金を返さなくても良い」ということだからです。賛成していただけますよね?--あら金 2010年4月4日 (日) 04:01 (UTC)[返信]
  • 「「出典は必須」というルール」の必要性が理解できないのであれば参加をお控えください。なぜ必要なのか、いままで一度ならずさんざん説明を受けてこられてきたはずです。--ikedat76 2010年4月4日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
  • 目次でニッタユカ氏っぽいなあと思ったら本人でした。しかし、あれですね。ニッタユカ氏は本当に図書館がお嫌いなのですね。--EULE 2010年4月4日 (日) 07:02 (UTC)[返信]
  • 一概に「図書館嫌いユーザーを歓迎している」ということはないと思うのですが。ただ、図書館に足を運んで調べ物をするのが面倒だと感じる人が、閲覧者としてウィキペディアを好むということはあると思います。提示の羊水の例のような、一部の専門家の間だけで共有されているような事実は、やはりウィキペディアには不向きです。他のプロジェクトでそういう、ある意味うわさの域にとどまるような事柄を集成するものがあれば、それはそれで面白いとは思います。はてなダイアリーとかどうなんでしょう。--Calvero 2010年4月4日 (日) 07:22 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:出典を明記するは、「考慮すべきガイドライン」であって「公式な方針」ではありません。「考慮すべきガイドライン」は「多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨」されているものであって、必須ではありません。「出典は必須」というのは、ニッタユカさんの誤解と思われます。--4行DA 2010年4月4日 (日) 11:18 (UTC)[返信]
  • 4行DAさんのご指摘どおりWikipedia:出典を明記するは、「考慮すべきガイドライン」であって「公式な方針」ではありませんが、「公式な方針」であるWikipedia:検証可能性に「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」とあります。誤解のないようにコメントしておきます。--アルビレオ 2010年4月4日 (日) 12:28 (UTC)[返信]
2年程前であれば、このような書き込みを井戸端にした数時間後には、管理者(当時)のLonicera氏に投稿ブロックされていたでしょうね。「千回jawpの方針文書を音読しろ」とかなんとか。
あれでだいぶ、新規参入者を減らしてしまいました。彼は百害だった。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月5日 (月) 22:33 (UTC)[返信]
結局、「包摂」か「排他」かの話に行きつくような気がするのですが。前者を支持する方々の多くは、Wikipediaルールをまるで知らない人でも、自分で各種の決まり事を熟読したり、他の編集者から助言や指導を受けるなりして、つまり時間をかけて経験を積んでいけば結果としてコミュニティーがより良い方向に向かうということを期待しておられるのだと思います。
「現行ルールに納得ができない」という人は少なからず存在するでしょう。誰にも内心の自由はあります。そして、変えたいと思えばそのための場所も機会もあるのです。しかしここに、「納得できないので、もしくは、変えることを提案してもどうせ合意は得られないだろうから、ルールは守りません」と明言して、それが「Wikipediaのための貢献」だと確信して編集を続ける人が出てきたら困ったことになりはしませんでしょうか。「熱意がある」ことを理由に、都度修正編集を親切にもやってくれる人たちも、それが度重なってくると、やがてはいわゆる「疲弊」という言葉が脳裏をよぎってくることが避けられないような気がします。--JSBB 2010年4月6日 (火) 02:01 (UTC)[返信]
Wikipediaにおける「出典は検証可能性を担保するためである」は言うまでも無いことですが、百科事典は調べ物に於ける入り口的存在ではないかとも思うのです。さらに詳しく調べたい方に対しては、このような文献を参照くださいと記しておくのが親切ではないかと。むしろ出典はこの意味で重要と考えます。例えば強い相互作用のような有名すぎる基本知識についてはわざわざ出典を示すまでも無いという意見もあります。私がWikipediaを辞めたわけ しかし、理系の人間にとって常識的な知識であっても、そうでない方にとってこの内容はどのような文献を調べたらよいのか、示しておく必要があるのではと考えます。--As6022014 2010年4月6日 (火) 07:55 (UTC)[返信]
提案者においては相変わらずの論理の飛躍で、毎度のネタ振りなのかと推察しますが、まじめにレスすると、
(1)「誰でも編集可能」≠「誰もが記事を書かねばならない」
なお「要出典」は、ある記事が必要という使命感に燃えているが出典を記載する能力がない人のためにあるという見方もできます。
また、「要出典」のある記事は逆に、その他の部分についてはある程度信頼できるだろうと推測されることで、ある意味品質検定の役割を果たしています。
IPユーザ制限については何の解決策にもなっていません(出典との関連性が薄い)
(2) 「”基本方針に忠実”な草取」って何ですか?ムカツク記事に効果があるだけでも十分でしょう。”削除”という手段については是非があると思いますが。
(3) 楽しく読ませていただきました。
(4) 少なくとも「質を落として量」という人は少数派ではないかと。。(どこかで投票でもしてみるといいかもしれない)個人的には量だけの百科事典というのもそれはそれで害悪だと思います。
(5) 検証可能=理解可能と意味を間違えていませんか?
(結論)いずれにせよ出典を推奨にすることは、記事全体の(ただでさえ高いとはいえない)信頼性をさらに下げるもので、wikipediaの存在価値自体を否定するものに思えます。Fuji 3 2010年4月6日 (火) 13:30 (UTC)[返信]
出典が得られないとき、周りに迷惑をかけない範囲で「これこれについての出典を探しています」という要望をノートで行うのであれば、まだしも理解は得られると思うのですが、いきなり質や検証性や正確性に欠ける文章を記事や新記事に書いてしまい、その後も周りとの対話や合意でトラブルが多発するようではちょっとレスキューしようがないです。漫画キャラの名前にこれ以上泥を塗りなさんな。--Su-no-G 2010年4月9日 (金) 07:25 (UTC)[返信]

ニッタユカさんが、「皆さまご意見ありがとうございました。今後の参考にさせていいただきます。これで終わりにしましょう」などといって幕引きしてしまう前に質問させていただきます。

  • 何人かの方々の意見や指摘、助言は御理解されましたか。質問や反論はないのですか。
  • (おそらく)みなさんは、「参考にする」だけではなく、「理解の上、今後の活動に反映させてほしい」とお考えだと思います。そのことはお分かりですか。

--JSBB 2010年4月9日 (金) 09:13 (UTC)[返信]

JSBBさんの仰っている言葉の意味がよく分からないのですが、分からないなりにお返事します。質問や反論をすればいいのかな?

皆さんのコメントは、出典の重要性の説明になってない気がします。ガイドラインに書いてあるから鵜呑みにしている様に感じます。「出典必須」はジミーウェルズの恣意によるルールではないでしょうか。これは数年にも渡り、Wikipediaに浸透している憲法です。ここで何を私が叫ぼうが、改正されないでしょう。しかし、Wikipediaに出典は不要です(有った方が良い)。何故なら、力を合わせて充実した百科事典を作ろうとする意志を一人ひとりが持てば、間違いは他者の編集で正されるからです。ジミーウェルズには、今一度この憲法が適切かどうかを再考して欲しいです。

読者はバカじゃないので、出典の有無に関わらず記事の真偽を判断できます。また、出典の有無に関わらず怪しい記事は真実でも信じません。例えば、「3角形の面積=底辺×高さ÷31」と書かれた記事を見れば間違いだと分かります。この記事の真偽を出典で検証しようとする読者は絶無です。一辺が1の正方形の面積を1と定めて3角形にドンダケ敷き詰められるかを演繹すれば検証できます。こんな記事に出典を示しても無意味です。間違った記事は正しく直せばいいのです。--ニッタユカ 2010年4月11日 (日) 03:38 (UTC)[返信]

「ニッタユカさんの主張は、俳句の句会に出かけて行って「なんで俳句に季語なんか求めるんだ、季語がなくても、良い詩はいい詩じゃないか!」と言い放っているようなものです。間違ってはいないかもしれませんが、それならここから出て行って自由詩の句会に行きなさいと言われるのが落ちでしょう。」(独自研究を見つけましたが黙認しますよりKojidoi氏の発言を引用)
さて、そもそもニッタユカ氏の意見にはもはや何の重みも無いと思います。財務官僚が政府紙幣の是非について論じれば一考に値するが、シンナーで歯が溶けてるような奴が言っても「インフレ誘発すれば日本社会はハッピー」って馬鹿なことを言ってるようにしか見えません。それと同じように、ある程度に常識と教養を持った人が出典に関して論じるのは一考に価すると思いますが、もはやニッタユカ氏が何を言おうと「図書館の機能もろくに知らない人間が自分にとって不都合なルールを捻じ曲げようとしている」ようにしか見えません。これまでの経緯によって氏は、既にこの問題について論じる資格を失ったと思います。wikipediaで言う「いつまでも納得しない」って点もある。
wikipediaが出典要請を重要な方針について掲げる以上はたびたび起こる論争でしょうが、ニッタユカ氏がもうこの問題を論じても何の意味も無いからもう諦めて、もっとまともな論者が出てくるのを期待して待ったらどうですかね。このままじゃ堂々巡りだ。--EULE 2010年4月11日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
>読者はバカじゃないので、出典の有無に関わらず記事の真偽を判断できます
私はバカではないつもりですが、専門外の分野では記事の真偽を判断できないことは多々ありますし、怪しいかどうかの判断がきいていないことも多々あると思っています。
なお、あなたのいう三角形の面積のような例については、公式というレベルでは小学校の教科書を出典としてもいいでしょうし、ちゃんと証明している数学書を出典としてもいいでしょう。常識と思われることにも出典が必要かどうかについてはいろいろ意見はあると思いますし、ガイドラインで触れられているわけでもないので、その観点で疑問を投げるのはありだとは思いますが、それは最初の「出典必須→出典推奨に」というテーマから外れていますね。Fuji 3 2010年4月13日 (火) 04:09 (UTC)[返信]
(ニッタユカさん)改めて質問させていただきます。「ジミーウェルズには、今一度この憲法が適切かどうかを再考して欲しいです。」と思う人はあなただけではないかもしれません。ここまではよいとして、「自分にはそれよりもっと良いアイデアがあるのだ」「しかしそれをいくら唱えても無駄だから、自分ひとりは正しいと信じた方法で編集を続ける」というお考えなのですね。自分以外は、ガイドラインに書いてあるから鵜呑みにしている、とのお言葉は言下にみんなを小馬鹿にしているように感じます。--JSBB 2010年4月13日 (火) 22:46 (UTC)[返信]
しかし、グーグルで調べれば、誰にでも分かるようなことまで、一から百まで出典を求められるのも、非常に面倒でストレスですよね。出典タグ・出典要求タグだらけのページなんて、見ていてイライラします。質問者さんの言いたいことは、そういう事なのでは? --アイバー 2010年4月16日 (金) 08:23 (UTC)[返信]
そういう趣旨をおっしゃりたいらしいのですけれど、常識だとご本人が思って書いている文章に、傍目から見ると表現の不正確さや恣意性が目立つので、チェックの必要性が高くなってしまっているということのようです。改善がなく、チェックの段階で突っ張るので悪循環に入ってしまっています。--Su-no-G 2010年4月16日 (金) 08:44 (UTC)[返信]
自明な記述にまで出典はいらないんじゃないの?っていうような話は既に出典の意義は何か?の時にされているんですよ。その次の独自研究を見つけましたが黙認しますでもされている。だけど、本人はそれらの議論に対して何の質問や反論も無く切ってしまう。だから結局、ニッタユカ氏が何をしたいのかってのもぼやけるし、狙いは別の所にあって実はもっと個人的な理由であって恣意的な提案をしているように見える。11日に述べたように、それらの話は論旨自体は一考の余地、議論の余地があると思いますが、やるとすればニッタユカ氏じゃない人が、改めて提案するべきでしょう。--EULE 2010年4月16日 (金) 15:40 (UTC)[返信]
これは私の勝手な思いこみですが、ニッタユカさんは図書館や品揃えの良い、それなりの規模の書店へのアクセスが非常に悪い地域に居住してらっしゃるのではないでしょうか。そうだと仮定すると、上のような主張を述べられる動機も分かるような気がしますし、「苦衷」を察することもできます。--ShellSquid 2010年4月16日 (金) 08:38 (UTC)[返信]

賛成 ググレカス、で。-基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年4月16日 (金) 18:34 (UTC)[返信]

◆真面目に検証されてる方にあまりにも失礼だと思ったので突っ込んでおきます。
いたってごく普通の出版物(参考文献として他の書籍などをあげている出版物はたくさんあると思いますが)で、「出典:ググレカス」って書いてある書籍をお持ちでしたら教えていただけますか。私は、「記述に注釈や出典が書かれている書籍で"ググレカス"などと書いてある」書籍をついぞ見たことがございません。そうしたいい加減な書籍およびその作者また出版社の出版物は今後一切購入したくないので、ぜひ教えていただけますか。
ちょっとあんまりじゃないでしょうか。-- いすか (talk/wikimail/contributions) 2010年4月19日 (月) 04:59 (UTC)[返信]