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中立性とそれらに関する出来事[編集]

ご意見を頂ければと思うのですが、以下の事に関してどうでしょうか?

>記事はどこにも偏らない書き方で、信頼できる第三者情報源が該当人物に関して出版・公表したものを文章化すべきです。場合によっては当該人物自身によって公表されたものを文章化するほうがよいかもしれません。同情的・擁護的視点にもかたよらないよう、中立的に、事実に即し、抑制しながら書いてください。

とありますが、中立性を求めるのなら現在の裁判、司法制度(国内外問わず)などを検証すればよい判断基準のひとつになると思います。勿論これはあくまでひとつの見方、具体例でありますが、司法制度は実際に極力、中立に尚中立に判断し、遂行していこうとするものであります。しかし、詰まる所、完全な中立性を求めるが故に相互間に不当性や不当感を孕む。それはそれで表裏一体、然りとも思いますが結局のところ、「中立的に、事実に即し、抑制しながら」というのも、その点の不当性や不当感の追求が見落とされている感じがありますが、どのように思いますか?中立性だけでなく合議制のもつ性質であっても同じようなことがいえるかと思います(説明するまでもないと思いますが此処では司法制度の善し悪しを話す目的ではありません)。

「扇情的な速報を伝え、あるいは人々の生活について刺激的な主張を先頭に立って広めることはウィキペディアの果たすべき役割ではありません。」とありますが、結果として扇情的になりやすい点は否めませんし、百科事典と題してはあるものの、不当性や人権配慮にまでなかなか行き届いていない記事も見かけたことがあります。ほかのものならともかく、ネットでフリー百科事典の特質をもつウィキペディアは、市販の百科事典とはやや違うものに感じますがどういう意見をもっていますか?

実際の百科事典は完全中立性を主たる指針として求めて書かれているものとは思えませんし、やや擁護的又は、見るもの、調べるものにとっての良心的・有益的創造性、発展性、建設性、汎用性を前提に書かれているものである感じますが、そう考えると虚偽や憶測ではなく事実であったとしてもまた信頼できる情報源にもとづくもの或いは信頼できる第三者的情報源であったとしても不利益を被る場合や不快な思いを受ける場合、それを、インターネットや当ウィキペディアのような瞬間的に世界の人々がアクセスできる場に流すのは如何なものかと思うのですが(ウィキペディア内でもよく見かけます。)どうでしょうか? 無論、何も言えない状態というのもある意味異常ですので、固執するつもりはありませんが、バランスシートの薄い中でのウィキペディア内で、そういった著作活動を行うという点について如何でしょうか? この点、有識者、非有識者問わず、各々の意見を聞きたいと思います。

勿論、テレビ等、雑誌等で出ているのだから、良くも悪くもそれなりの批評や評価をされるのはある程度了解の上で、出られているというのは当然であるとも言えるでしょう。そういった視点で、必要以上に擁護的視点を持ち込むべきでないというのなら、わからない訳でもありません。また、テレビ、マスコミ以外の仕事に従事している人とも当然ながらその線引きを行い、混同させないことは言うまでもないでしょう。しかし、普通に活動をして普通に視聴者の方を楽しませたいと思っている有名人、著名人もいるかと思います。もっとも、視聴者がいるからこそマスコミ活動も成り立つ訳で、その辺は、最低限の事として、をわきまえてもらいたいとは何よりも思いますが…。

もし、具体的案を申し出すことができるなら、あくまで概念的ですが擁護的・三分の二、非擁護的或いは上に述べたようなできうる限りの中立性・三分の一程度にすると、少なくともこういったウィキペディアのような不特定多数による構築型情報サイトでも、いい意味での変化が若干でも見られると思うのですが如何でしょうか?

結局、百科事典の主旨がぶれてしまわないように、というのがひとつの要望と同時に、このことに関して改めて意見を伺いたいと考えます。如何でしょうか?--kdaihj 2007年7月30日 (月) 13:05 (UTC)[返信]

そのような総量的なバランスの取り方はメリットよりも害の方が大きいでしょう。
  • 記述の中でどこが批判または中立、どこが擁護なのかについて、合意を取る必要がある。
  • 大幅な加筆や削除をする場合に、比率を維持するため反対の立場の記述についても加筆や削除が必要。
とりあえずこの2点だけでも加筆や削除の大きな妨げになり、このご提案は運用が非常に困難です。要求される労力に見合うメリットが感じられません。現状どおり一つ一つの記事について、その特定の記述が必要か不要かを議論するのが現時点での最善かと思います。--MikeAz800o 2007年8月1日 (水) 06:34 (UTC)[返信]
(追記)記事によっては当事者が二つ以上に分かれる場合があり、どの立場を「擁護」とするのかでまた論争が発生するでしょう。例えばダルフール紛争について、スーダン政府の側に立った記述は擁護なのか批判なのかという話です。--MikeAz800o 2007年8月1日 (水) 06:43 (UTC)[返信]
擁護をメインと言う方針には納得がいきませんね。例えば正しいかどうか分からない批判意見があるとし、それが正しいと誤解されかねない場合に何か配慮した記述が求められ、記述量のバランスが必ずしも均等でなくなることはあるかもしれません。しかしそうでもないのにわざわざ擁護するとやはりMikeAz800oさんのおっしゃるような問題でややこしくなると思います。--Marine-Blue [ 会話 履歴 ] 2007年8月1日 (水) 11:18 (UTC)[返信]

有意な編集履歴もないのにこんなことを言っている輩を相手にする必要があるのか、と。なんにせよ、方針文書を最後まで読んでから出直すのが先決かと。最後までちゃんと読んでないのがバレバレです。--ikedat76 2007年8月2日 (木) 15:40 (UTC)[返信]