Wikipedia:井戸端/subj/ソースを提示することについて

ソースを提示することについて[編集]

よく編集合戦になる問題についてですが、

  1. 経験者が執筆して、経験上わかっていることについて(例:九州旅客鉄道について現在の地域における状況や経営方針を記事にする)
  2. 評論家、マスコミ報道の主義主張について、「○○という発言、××という主張から△△主義と考えられる」というような表現で記事にする場合(例:産経新聞、ある芸能人の発言から思想信条を記事にする)
  3. 状況証拠が多く、確定しているような事象だが、マスコミ・評論家が公にしない場合(例:鉄道ジャーナル誌記事の批判、川島令三の特徴と主張、亀田興毅とマスコミの関係、高校野球とマスコミの利害)
  4. 評論家・マスコミのタブー
  5. 報道と実際が違う場合

しかし、これらのことは記事にするには重要であるが、マスコミ、評論家が訴えることがほとんどないという部分でもあります。ウィキペディアがマスコミ・評論家の主張の後追いをするしか書けないことになってしまいます。暴露本でもないかぎり「証拠がない」ことになっています。決まって「妄想」「主観」として処理(削除)されるか「論文」扱いさえれます。マスコミや評論家が言わない限りダメなのでしょうか?ブログや掲示板はソースにならないとされますが、それだとかけないことが多すぎます。実際、ウィキペディア内にはグレーゾーンの記事もあったりします。また、事実でも批判は編集合戦になるので削除ということをされたこともあります。(九州旅客鉄道鉄道ジャーナル。)賛美者は批判を認めたくないことは分かりますが、「批判」「主観」と決め付けて「ソースを示せ」とごねて削除して中立的でない記事にする例もあります。経験者でも目撃者でも本を書いたり、評論家やマスコミに好意的に取り上げられなければ「出典」になれないことになります。たぬき 2006年9月8日 (金) 12:06 (UTC)[返信]

実にすばらしいご賢察です。ウィキペディアを一次情報源へと変貌させるような行為は慎まなければなりません。そのような事象についてWP:VおよびWP:NORに体系的な説明があります。グレーなものを発見したならば、適切な方法によって取り除いてください(グレーなものが既にあるから自分もグレーなものを書くということにはなりませんので念のため記しておきます)。明らかで確実なのにかけないと仰る場合、信頼の置ける情報源となりうる場所に、ご自身で論文なり何なりと言った形で公にすることから始めなければならないでしょう。--Lem 2006年9月8日 (金) 12:15 (UTC)[返信]

一応わかりました。しかし、評論家・マスコミには全て主義主張があります。全く中立で全く信頼できる情報源なんてあるのでしょうか?自分に不利なことは隠すごまかすというのが現実でしょう。少なくとも鉄道関係はそうです。それと、評論家・マスコミの利害関係に対しては全て論文を書いて、それを全く利害を関係しない人が査読して発表・・・ということは非現実的な話といえます。つまるところ、企業や官庁の公式発表を書き写す以外はできないことになります。噂話もどんなに事実であってもダメですね。もっとも噂話レベルの話を自分のメディアの記事で大きくする例はありますが・・・。ブログやサイト、なんて、経験者が書く例がありますが、どうなんでしょう?有名人かどうか、でしょうか?それと、JANJANなどのインターネット新聞はどうでしょうか?たぬき 2006年9月8日 (金) 14:12 (UTC)[返信]
そもそも、たぬきさんはウィキペディアとはどのような場所とお考えでしょうか?ちゃたま会話|投稿記録2006年9月8日 (金) 14:54 (UTC)[返信]
たぬきさんの応答を見る限り、「一応」どころか全く理解していないことが分かります。ウィキペディアの3大指針では、中立性では対立する異説があるときは両論併記で対応するべきことが、検証可能性では任意の第3者が到達可能な典拠に依拠しなければならないこと・かつ・それらの典拠の真実性をウィキペディアンが問題にしてはならないことが、独自研究の禁止では権威によって承認されていない新説の発表の場としてウィキペディアを使ってはならないことが述べられています。
「ブログやサイト、なんて、経験者が書く例がありますが、どうなんでしょう?有名人かどうか、でしょうか?それと、JANJANなどのインターネット新聞は」は全てダメだと明示してあります。また、Wikipediaにおける中立性の概念とは非常に独特のものであり、たぬきさんが気にされているようなものとは別のものです。そして、これらのどちらも文書を読めば明確に書いてあります。
ウィキペディアは誰でも参加できるわけではなく、いくつかの決まりごとに従える人のみが編集に参加できます。その範囲でできる執筆では不満なのであれば、他のところで自説を発表なされば良いだけのことです。--ikedat76 2006年9月8日 (金) 15:58 (UTC)[返信]
たぬきさんは、文面よりわかりますが、自分の頭で自然な疑問より演繹し、しっかり考えることができる方だとお見受けします。新参者でまだWikipediaのルールの詳細が皆さんのように慣れていないので理解されておられないだけですね。それをなぜ、すぐ、別のところへ行けみたいな調子にあなた方はなるのですか?みんな最初は初心者でわからないからここで聞いているのでしょう。このように頭の良い人はルールに基づき優秀な編集者に成長される可能性がおおいにあり、それは歓迎すべきことではないですか?誰でも参加できるものではない、不満ならよそへ行け、このような「理解不足」にただ端を発する誤解をしている頭のよい人を排除したい理由はなんですか?私は、ここもそうですが、いたるところで見受けられるそのような風潮に憤りを感じます。新参者をいじめないでください的なガイドラインも読んでいないわけではないでしょうに。--FXST 2006年9月8日 (金) 18:34 (UTC)[返信]
で? だからなんだというのですか。風潮に憤りをお感じになられるのは FXST さんのご勝手に属することでしょうけれども、しかしながら実際に FXST さんの論には実がありません。FXST さんがなさろうとしているのは、ウィキペディアを原則から踏み外し、過去成されてきた膨大な量の議論を単に無視することにすぎません。それによって形成されるものは、ウィキペディアが目指そうとする百科事典 +α な存在ではなくて、いかんとも形容しがたい未知の α でしかないでしょう。--Lem 2006年9月9日 (土) 00:34 (UTC)[返信]
はい、非常に憤りを感じます。では実のある議論をしましょう。
『実にすばらしいご賢察です。ウィキペディアを一次情報源へと変貌させるような行為は慎まなければなりません。そのような事象についてWP:VおよびWP:NORに体系的な説明があります。』
まずこのあなたがリンクした、WP:VおよびWP:NORの体系的説明とやらですが、WP:Vの要旨のことも含め、WP:NORWikipedia‐ノート:独自の調査において9 ウィキペディアで扱える一次情報二次情報とは印刷された出版物のみではないという議論をはじめました。あなたがウィキペディアの原則とか言いながら、ちゃんとその意味を理解していますか?私の立場は、包摂主義者です。+α、無視などと安易な批判を行うまえに包摂主義を参照してください。そして、あなたのための議論でもあるので、以上告知した議論に参加してください。--FXST 2006年9月9日 (土) 09:42 (UTC)[返信]
"出版物" = "紙媒体に印刷された刊行物" というきわめて稚拙な読み間違いに基づく決め付けと、それに基づくあなたの言葉遊びの相手をするつもりは毛頭ありませんので、当該議論への参加はお断りします。この手のむちゃくちゃな等式を勝手に捏造しては、それで安易な批判に走っている FXST さんの行為にわたしは非常な憤りを感じます。私の個人的な憤りなどウィキペディアには無関係な些細なことですから、どうということもありませんが。--Lem 2006年9月9日 (土) 10:02 (UTC)[返信]
むちゃくちゃな等式ということですね。よろしいでしょう。
わたしもどなたかに「出典は?」と聞かれたので良く覚えておりますが、普通に出版物のことだと思っておりましたし、その質問された方もこの情報源=出典=書籍というような理解であったと思います。おそらくこの誤解はこの出典という日本語さらに、
日本語Wikipedia:検証可能性の要旨にある、情報源を明記というリンクを踏むとWikipedia:出典を明記に飛ぶ、ここから始まっているのは想像に難くありません。
これきわめて「稚拙な読み間違い」ですか?あなたが最初に誘導した「そのような事象についてWP:VおよびWP:NORに体系的な説明があります。」ページの頭のリンク情報源を明記をふむと、こうなるのですよ。踏んでみてはいかがでしょうか?あなたがそこにユーザを誘導しているわけですからね。ご自分も踏んでから「稚拙な読み間違い」などと発言されるべきでしょう。"紙媒体に印刷された刊行物"の内容「だけが」そこにあるのは読めますね?--FXST 2006年9月9日 (土) 10:45 (UTC)[返信]
"思います"・"想像に難くありません" ですか、あなたのその「(想像に基づく)自分に都合のいい仮定」を話の前提に置いて議論を始める悪い癖にはほとほと呆れます。繰り返しますが、あなたの言葉遊びに付き合う気はありません。--Lem 2006年9月9日 (土) 10:53 (UTC)[返信]
 実のある議論がないとかいうわりには、そんな言葉尻をいじって逃げているのはあなたですよ。ユーザに体系的文書がここに書いてあるといいながら、その誘導の最後は、あなたがいうところの「稚拙な読み間違い」なんですね?これ、仮定でも、前提でもなくれっきとした事実ですよ。リンク踏みましたか?事実を見ましたか?この程度の理路をたどれないほうが呆れますよ。この議論みてるひとには明らかでしょう。どっちが言葉遊びなのか。--FXST 2006年9月9日 (土) 11:00 (UTC)[返信]
捏造された前提に始るあなたの議論には実(じつ、実質・実態)が無いといっているのであって、あなたと実(み)のある議論をしたいとは言っていません。既にこのセクションの本題からすっかり外れていることにすら気を向けられないほど FXST さんは酷い人間ではありませんでしょう? なんなら別に私が尻尾を巻いて逃げたことにして下さって結構ですが、「この議論みてるひとには明らかでしょう。どっちが言葉遊びなのか」というセリフはそっくりそのままあなたにお返しします。(インデントを直すのはいいんですが、ちょっと深すぎる気がします(苦笑) > NiKeさん)--Lem 2006年9月9日 (土) 11:09 (UTC)[返信]
まず、安易に「捏造された前提」とかおっしゃっていますが、捏造というのならば、どの部分が捏造された前提であるのか具体的に示す必要がそう糾弾する人にはあるのですよ。わかっておっしゃっていますか?それとも、単なる印象ごりおしで、捏造だとかわめいているだけなのですか?このセクションの本題ですか?あなたが、たぬきさんに、最初にこのリンクを参照せよ、と勉強しろと言ったことですね?あなた自身の主題はそうでしょう?私はその行動について、いかに欺瞞的な行動であるのか、無批判にそのような「体系化」した文書を読めと言っているのか、というのを例示したのですよ。その結果、あなたが思うところの「稚拙な読み間違い」を強制するページへ飛んだでしょう?どうこの仕組みとあなたの「体系化した文書ですよ」という発言の整合性が取れますか?と聞いているのです。極めて明快でしょう。--FXST 2006年9月9日 (土) 11:15 (UTC)[返信]
「セクションの本題」は「たぬきさんの疑問」に決まっているでしょう。またもや「このセクションの本題ですか?あなたが、たぬきさんに、最初にこのリンクを参照せよ、と勉強しろと言ったことですね?あなた自身の主題はそうでしょう?」というあなたにとって都合のいい決め付けから議論を始めています。わたしはそれを捏造された前提であると述べています。これ以上あなたとは話し合う余地などありません、私の負けでかまいませんから、これ以上たぬきさんを無視したあなたの演説を此処で繰り広げるのはおやめください。それにそもそも、提示したページの中身を読むことでなしに、その中に置かれた一つのリンクを辿る行為のみに頼って整合性云々と捻じ曲げられたあなたの疑問なんぞ私の知ったことではありません。--Lem 2006年9月9日 (土) 12:03 (UTC)[返信]
本題は彼の疑問とその回答です。これらはセットです。リンクを辿る行為のみとおっしゃいますが、WP:Vこの頭の目立つところにある色つきの要旨、つまりまとめに埋め込まれているリンクであり、具体的な行動を取るのにはここへ行けというリンクですからね。多くの中のリンクという矮小化は正当化されません。--FXST 2006年9月9日 (土) 12:11 (UTC)[返信]

本題からそれているような気がします。マスコミにバイアスや主義主張の問題が存在することが重要視されていることが年々明らかにされつつある現状と、尼崎列車脱線事故でのマスコミの言動、川島令三の評論内容と主義主張の関係をみると、信頼あるソースは実際にあるのかということです。評論が事実とは限らず、また評論でないところに事実がある場合、何らかの形で記述に反映できないかという問題です。それと、誰でも参加できるものではない、不満ならよそに行け、だと、メインページの記述

>ウィキペディアは自由にご利用頂ける百科事典です。

>基本方針に賛同して頂けるなら、どなたでも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます。

は間違いになります。また、私は特定の主義主張を広めるつもりは全くないこと、不満があって疑問をぶつけたわけではないことを申し添えます。思い通り行かないことがあるという意味では決してなく、報道や評論家によって特定の主義の文章が、現場や当事者や市民メディアや評論を行なうことを行なえない人の存在に優先されることへの疑問です。もちろん、私はルールは尊重しています。尊重するがゆえに疑問が出たのです。たぬき 2006年9月9日 (土) 01:53 (UTC)[返信]

ウィキペディアは報道機関ではなく、真実の暴露の場ではなく、たとえば「○○という報道機関は××と言った」という形式の検証可能な事実を記す場だということです。検証可能な状態を確保する妥当な手段を用意できるならばそれは認められ、またルールに反映もされていくでしょう(トップダウン式の方針は GFDL と NPOV しかなく、それ以外の方針・ガイドラインはボトムアップ式であり、常にそのルールについては議論・運用・改訂が繰り返されています)。「信頼できるソース」というのはそういう意味であり、別にバイアスや政治的主張をまったく持たない政治的中立なものを用意しろという意味では決してありません。例えば政治的傾向がある媒体があり、その偏りから導き出される表現があるならば、そのような傾向を持つ媒体によるものであるということを明記した上でその表現を用いればよい、ということです(ウィキペディアにおける中立的な観点およびその一つの典型としての「両論併記」とはそういうことを意味しています)。
ウィキペディアには、ウィキペディアが商利用まで含めたかなり広範な意味での自由な情報源を目指すという目的のために、投稿に際しては細心の注意を払うための様々なハードルがあります。これらのハードルに関して「基本方針」に基づく理由を挙げ、それに対して「納得がいかない場合はウィキペディアとしてはあまり協力できない」と表明することは「ウィキペディアは自由にご利用頂ける百科事典です。基本方針に賛同して頂けるなら、どなたでも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます」という表現に矛盾しません。ウィキペディアのいう「自由」というのは、二次利用に関する制限をコピーレフト・ライセンスに従うことでなるべく軽減しよう、という内容を指し示すのであって、オープンコンテントによって参加者の無制限さを担保することとは異なります。--Lem 2006年9月9日 (土) 02:13 (UTC)[返信]
メインページの文言には何ら間違いはありません。基本方針に賛同して頂けるならという限定が明確に述べられています。Lemさんが詳細をすでに述べて下さったので繰り返しはしませんせんが、そうした制限はこのWikipediaという百科事典をつくるプロジェクトの目的を達するためのものです。--ikedat76 2006年9月9日 (土) 11:13 (UTC)[返信]