Wikipedia:井戸端/subj/コメントアウトの扱い

コメントアウトの扱い[編集]

二足歩行ロボットの編集ページを見て驚いたのですが、コメントアウトだらけでした(「<!-」で本文内を検索すると38か所)。Help:ページの編集では「ウィキテキスト中の記述を除去する代わりに、一時的に非表示にする(コメントアウトする)」(原文を引用)とされ、一次的な除去とされていますが、いつまでコメントアウトにしてるかが期限がわからない上に、誰も気にしなければいつまでも改善されることがなく残ることを危惧してます。(編集の邪魔でもあります。)

参考ですが、英語版のen:Wikipedia:Manual of Style/Hidden textでは、このような場合は、期限が「合意が得られていない間」とされており、「その間はコメントアウトせずにノートページに移した方が良いかもしれません」とされています。

合意を得るために、ノートページでの議論などの何かしらアクションがとられているならともかく、なんの表示もない状態で放置されかねない状態にされるのは、どうなんでしょうか?--Tekeonin会話2023年3月3日 (金) 06:01 (UTC)[返信]

(以下、COの使い方が適切であることを前提とします。WP:PNに相当する落書きは論外ですので想定していません)コメントアウトという機能自体、掲載に期限もないし、追加も除去も合意形成を必要としないものです。この分野におけるソース内部の非表示情報という意味ではコメント (コンピュータ)と同じような使い方と考えて構わないかと。
改筆の過程で検証ができたならCOを解除すればいいし、誤りだったか改筆の結果その記述自体が不要になったならば除去すればよいでしょう。タッチする予定がない箇所のCOについては放置で特に問題とも思いませんが、将来この記述が有効活用されるとは思えない、ということであればノートへの退避もありかもしれません(そこでバッサリ除去するか、ノートか、放置かは各人の感覚の問題)。
なお、最初からノートを活用するという方法もあります(Wikipedia:ノートページのガイドライン#記事のノートページの使い方の「素材を共有する」)。なので、最初からCOで未検証情報を残すのではなくノートで管理するという使い方をしている人もいるでしょう。COの欠点は編集画面に入らないと気が付かない、ノートの欠点はノートを見ないと気が付かない(プラス話題が集積すると紛れる)、といった感じで、どちらが気付きやすいか、という観点からの選択もあるでしょうね。--ButuCC+Mtp 2023年3月4日 (土) 05:26 (UTC)[返信]
ノートだと、誰が問題に思っているか合意のための議論も行えるメリットがありますよね(ノートで議論を行っている告知テンプレートも記事の冒頭に設置できます)。要出典範囲や要検証、疑問点のテンプレートを張ってくれれば誰かが改善できるのですが、誰が何の意図でコメントアウトしたのかもわからない場合、いつまでコメントアウトにするのか誰も気が付かないじゃないですか?もう少し、コメントアウトを使用する基準を絞った方がよくないでしょうか?--Tekeonin会話2023年3月4日 (土) 06:12 (UTC)[返信]
「誰が問題に思っているか合意のための議論」というのが何を目的にしているのかいまいち分かりません。先に述べた通り、COの追加・除去自体に合意は不要です。利用者間でCOを巡って編集合戦になったら合意形成が必要になりますが、別にそれはCOに限った話ではありません。
コメントアウトを「誰が」残したのか、その記述を「誰が」問題視しているのか、それは少なくともコメントアウトによる方法を採った時点で消え失せる観点です。要出典タグなどもそうですが、タグ付けをした人が納得したら外せるという運用はしていません。(出典の追加などで)問題が解消された時点で誰の確認を取ることもなく外せます。コメントアウト対応も同様で、タグ貼り・タグ除去の判断と同じようにCO化・CO解除はいつでも行えます。タグ使用もCO化も(ノート退避やバッサリ除去も)各人が自由に選択できる複数の問題対処法の選択肢の一つにすぎず、特にどれを選べという指示は無いですね。
逆に言えば、『「私が」問題視しているんだ』『「私が」ただちに除去せず保留しているんだ』という、問題提起者の意思を残したいのであれば、コメントアウトは向きません。その場合はノートページを使う方法にして他の方に情報を募集する体にした方が良いですね。
あと、「いつまで」という観点も意味がありません。日本語版ではコメントアウトの使用期限を定めていませんので、現状では「いつまでも残る」こと自体が問題になりません。COは非表示ですので読者には影響がなく、編集者間で気にならない箇所であればずっと残っていても全然平気かなと思います。なので、二足歩行ロボットのケースのように編集がし辛いから整理したい、という特異例があったらその時に個別で検討・対処すればいいことで、原則は無期限使用で問題はないと考えます。--ButuCC+Mtp 2023年3月4日 (土) 10:04 (UTC)[返信]
日本語版でのコメントアウトが問題だと思うのが、誰がテキストを除去したのか、どのような改善が必要なのか読者から見えず、改善する機会が少なくなることです。テキストを削除する荒らしは注意されますが、責任の所在がうやむやになるコメントアウトは許されるのでしょうか?
改善される機会を大幅に奪われてゴミの不法投棄みたいに誰の目からも隠されて、ある意味で扱いが困るデータが増え続けるので、せめてノートページ等での議論もセットで運用するか、論争テンプレートの方を優先して使って、誰からも何か起こっていることが見える形にしてほしいのですが。--Tekeonin会話2023年3月4日 (土) 11:18 (UTC)[返信]
それは単純にTekeoninさんが関与する記事においてそういうやり方に変えれば済む話ではないでしょうか。既に述べた通り、対処法の選択の話に過ぎないので、COでなければならないことはないです(逆もしかりで、ノート使用やテンプレート類の活用を強要するのもそぐわない)。少なくとも私が関与する範囲では別段CO状態でもノート退避でも改善機会が変わったという認識はなく、扱いにも困っていないし、困ったとしてもその困った記事単体で収まる話であり、一般論ひいては方針化という考えには至らないので、現状に不満がなく何らかの規定を作ることには消極的です(「誰の目からも隠されて」というのは誇張表現では?編集画面では表示されるのがコメントアウトの役割ですので、そこでも隠れるのはコメントアウトではないです)。--ButuCC+Mtp 2023年3月4日 (土) 13:06 (UTC)[返信]
返信ありがとうございます。読者や一部編集者から見て、見えてなかった問題だからこその消極化なのでしょうけど、乱用されたら編集画面でも邪魔になるし、編集者から見てもどういう理由でCOされているか一目で見れませんし、記述の隠蔽になるのは事実です。文量が多い記事なら「<!-」で検索でもかけないと、編集者も存在に気が付かない場合もあるでしょう。だから、英語版Hidden textで、乱用しすぎないよう注意文や、合意が得られてない間という条件が付けられているように思います。英語版に準拠して、使用に制限をかけた方が良いと思います。--Tekeonin会話2023年3月4日 (土) 22:39 (UTC)[返信]
私の場合、「この記述が不足しているのではないか」と思って編集画面に入ったらその内容がCO状態でメモされていて、その記述に見合った情報源を探そうとなったことはあります。その目的で、みずから未検証情報のCO化を行うこともありました。その欠けた情報が「事実であろうと思われるが検証可能性や情報源の問題から掲載する準備が整っていない状態」の場合、単純除去だと別の方によって同じように書き込まれる可能性があるわけですが、COでその方が書こうとした内容が残っていると、そこで踏みとどまる効果を発揮します。実際、未出典記述の処遇について編集合戦になりかけた時にこちらがCO対応で留めたらその状態で収まり、相当期間の間同様の記述の追加を試みようとする投稿は無くなりました。場合によっては準備稿に「<!--未検証-->」などのメモを添える事もあります。初心者の場合、ノートなど別の場所の存在に気が付かないことも多いので、加筆されそうな箇所に設置することでダイレクトに伝わるCOの方が効果的だったりします。冒頭テンプレートではピンポイントの指摘は出来ませんし、要出典タグ等だと解消する方法(=出典を見つけてタグを外す、という作業)に思い至らず、よく分からないままタグ除去に及んだりしてかえって編集合戦に陥ることもあります。
故に私はコメントアウトが「編集画面でも邪魔になる」という感覚がまず相容れないですね。「ゴミの不法投棄」だとか「記述の隠蔽」だとか穏やかでない表現を使われますが、コメントアウトの悪用例を前提に物事を考えていないでしょうか。もう一度言いますが、Tekeoninさんが直面した記事で乱用と思われるほどCOが使われていたなら、通常の雑草取りと同じように整理すればよいのですよ。もちろん、単純除去では心配ならノートに移すなど、対応の仕方は色々あるでしょうが、いずれの方法にしても現体制下で何の方針類の追加を行わなくともできる事です。
今後COの期限について英語版を参考に何らかの規定を検討されるならその際に内容を吟味して意見しようと思いますが、現時点で読み取れるTekeoninさんの方向性のみであれば、問題ある使い方をしている記事を根拠にして正常な使い方で収まっている記事にまで影響を与えるような提案になりそうなので、おそらく反対することになるでしょう。--ButuCC+Mtp 2023年3月5日 (日) 10:49 (UTC)[返信]
法律でもプログラムでもそうですが、基本問題がある方法が使われていればパッチが当てられます。そういった問題ある使い方について話をしているのですから、そういう話にもなります。英語版においてそれらの改善策が示されており、また正しい使い方についても列記されています。こちらの話としては、その英語版に準拠した方が良いのではという提案でもあるわけです。別の論争テンプレートや理由付きで除去などで解決する方が読者や他の利用者にもわかりやすいのに、後々まで問題が残り続ける可能性のあるコメントアウトを選択する意味があるのかなという話です。編集者向けへのよくある間違い・編集方法の説明等までは制限をかけるという話ではないですよ。--Tekeonin会話2023年3月5日 (日) 11:40 (UTC)[返信]
それは承知しています。それに対し、私は「問題はない」としています。コメントアウトを選択する理由と利点についても説明しました。「後々まで問題が残り続ける」というTekeoninさんの考え方に対し、「無期限で残っていても邪魔にならないし、問題でもない」という私の見解も示しました。お互いの見解はもう出尽くしたものと思われ、私がTekeoninさんが英語版のような基準を欲していることを理解たように、あなたは私がそれを必要としていないということも理解されたかと思います。
全体の話はこれで平行線だと思いますが、個別の話はどうでしょうか。「Tekeoninさんが関与した記事でCOの乱用があった場合、雑草取りとして無用なCOは除去するか、必要ならノートへの退避やノートで提議したりすることができる」という話です。これは方針類をいじらずともできますので、二足歩行ロボットのCOは整理されるのでしょうか。--ButuCC+Mtp 2023年3月5日 (日) 12:01 (UTC)[返信]
そうですね。他人を変えるより、自分と文章とルールを変える方が楽ですからね。
二足歩行ロボットのCOは、(1)論争テンプレートにした方が改善が見込める例(2)注釈にした方が良い例(3)理由付き削除した方が良い例などなどがあります。
ただ、現状の日本語版のルールでは改善する道理が無いので、そのまま悪い例として残して放置した方が良いと思います。一つ治すと全部治す羽目になるからめんどくさいとか、加筆するのにCOが邪魔とか、他にもいろいろ理由をあげれますけど。
そうして残された問題を見なかったことにしたり、法律も骨抜きにしたり、誰もやらず後になって問題になるのが日本人の悪い所かと思います。--Tekeonin会話2023年3月5日 (日) 23:37 (UTC)[返信]
コメント へのいちと申します。ここまで読みました。私もButuCCさんと同じ考えです。コメントが埋め込まれていても特に読者には影響がないし、編集していて邪魔だと思うなら除去すればよい(もちろん、その内容に応じて多くの参加者に除去が支持されるだろうという場合には、ですが)というだけのことで、特に何か新たな規定は必要ないと思います。お二人だけでやり取りしていても平行線のようなので、お二人以外の参加者の意見もあったら参考になるかと思って書いておくことにしました。--へのいち会話2023年3月6日 (月) 00:20 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。COの問題点は他にも上げており、COより論争テンプレート等を貼った方が記事の改善につながるのにCOが選択される点です。英語版でもノートページで指摘され、ルールとして明文化している点からも規定はあった方が良いのではないでしょうか?--Tekeonin会話2023年3月6日 (月) 00:39 (UTC)[返信]
へのいちです。その点についてもご意見は読んでいました。Tekeoninさんが編集に参加されている記事ではコメント(「CO」っていうのは「コメントアウト」のことで良いのですよね?)にせずに論争テンプレート等を貼ればよいですし、Tekeoninさんとは関係ないところでその記事の編集に参加している人たちがコメントを活用してやり取りしているなら放っておけばよい、というのが私(おそらくButuCCさんも)の意見です。コメントを活用している人は、そこで生じている問題点について、テンプレート等で広く告知するような性格のものではなくて、その記事に関心をもって実際に編集画面を開いてくれる人にだけ伝わればいいや、と判断した上でのことでしょうから。あとからそのコメントを見つけたTekeoninさんが、それは広く周知すべき問題点だと感じたのであれば、そうしてよいと思いますし。いろいろなやり方にそれぞれ利点があると思うので、一律の決まりを設けて適用するよりも、その記事のそこの問題点に詳しい人たちの判断にまずは任せておくのが良いと思うわけです。--へのいち会話2023年3月6日 (月) 01:10 (UTC)[返信]
そしてだれも見ずに干渉しなかった結果が、「老廃物」のように大量に残っていくわけです。COは改善に寄与しないのですし、読者に必要かもしれない情報を提供できていない点でも問題ですし、編集者に問題が起きていることを知らせていないのも問題なのです。--Tekeonin会話2023年3月6日 (月) 01:38 (UTC)[返信]
ガイドラインと方針に照らし合わせるとするのなら、COによるテキスト除去は、Wikipedia:合意形成、またはウィキペディアでは検閲は行われませんWikipedia:編集方針も関わってくるのではないでしょうか?
そもそも書いた人に直接何かを伝えたいなら直接会話ページに書き込めば済む話で、Wikipediaの記事内で行うのは違うのではないでしょうか?--Tekeonin会話2023年3月6日 (月) 03:12 (UTC)[返信]
(インデント戻す)Tekeoninさんの持論自体はもう把握している(その上で同意していない)ので「誰も見ない」「改善に寄与しない」という意見については既に述べたコメントやへのいちさんの意見を見返していただくとして、他の点についていくつか。
>読者に必要かもしれない情報を提供できていない
未検証情報のCOを無出典のまま読者に提供するのは有害なので、それは前提が間違っていますね。CO以外の選択肢はノート退避か単純除去か要出典タグでしょう?タグの場合のみ警告付きで残していますが、他の方法だと本文から取り除いているので、非表示化するCOよりも読者から遠ざける措置です。COは除去とタグの中間ですね。
>COによるテキスト除去は、Wikipedia:合意形成、またはウィキペディアでは検閲は行われません、Wikipedia:編集方針も関わってくるのではないでしょうか?
Wikipedia:ページの編集は大胆にという点から言って、COか否かに関係なく文章の追加・除去は自由に行えるという意味では、Wikipedia:編集方針#多様な参加姿勢が受け入れられますは関わってきます。それで論争になったらWikipedia:合意形成のプロセスになる、というのもCO以外の通常の文章を巡る争いと一緒です。WP:CENSORはまあ検閲目的の「除去」が「CO」に変わっても一緒、という意味では関係するでしょう。つまるところ、挙げられた文書は「COによるテキスト非表示」でも「テキスト自体の除去」でも同じように考えられ、COだからと特別に決める事はないですね。
>そもそも書いた人に直接何かを伝えたい
そういう意図はコメントアウトによる方法を採った時点で消え失せると既に述べた通りです。COが意図するものは編集画面を開く人すべてに向けたメッセージです(ノート退避の場合も同様の意図)。特定ユーザーへのメッセージとしてCOが使われている箇所があるならそれは不適当ですので除去して構いません(可変IPユーザーなど会話ページでは伝えにくい場合は記事ノートで)。
>残された問題を見なかったことにしたり(後略
「問題を放置する」のと「問題ではないと判断する」ことは違います。問題と考えるTekeoninさんからしたらそう見えるのかもしれませんが、問題ではないと考える私からすれば放置された問題など存在しないのです。「誰もやらず後になって問題になる」と仰いますが、私からしたらやらなくても良いことをやろうとしているからこのままでは反対せざるを得ないだけです。--ButuCC+Mtp 2023年3月6日 (月) 17:27 (UTC)[返信]
無出典で理由があるのなら、「その理由を要約欄に記述して除去」が適正な処置で、COの必要なんて全くありません。逆に、COにしておく方が問題でしょう。
適正な論文などの出典付き文章でCOしている例もあります。除去しているなら、編集履歴で「出典付き文章の除去」タグが付くような編集です。理由もない・理由があっても、その隣にCOで記述。合意の場を作るか、論争テンプレートを貼れば、解決しているでしょう。
COでは、合意形成する努力がなされていないのです。共同で運用していくWikipediaの方針とは逆の問題の隠蔽になります。COは、編集の注意点、よくある誤解について注意などには有益です。ですが、文章の編集でCOにしている場面では、その多くはCO以外の手段を取った方が解決につながるものが多数で、わざわざCOにする理由も利点も全く見当たりませんでした。逆に、隠蔽されたことで人の目に触れる機会が減って、改善につながりません。
「問題ではない」「私からすれば放置された問題など存在しない」とされていますが、誰かが問題だと思ったから文章をCOにしている(またそれらが放置されている)わけで、その問題を見ないふりしているだけじゃないでしょうか?それは問題解決につながりませんでしょう(この場においても)。--Tekeonin会話2023年3月7日 (火) 00:12 (UTC)[返信]
実例を探すために適当に日本あたりの編集画面を見て気が付いたのですが、当記事の概要節冒頭にある<!--あくまで概要であることに鑑み、冗長な記述の加筆はご遠慮ください。-->という編集者向けメッセージはCOが最適ですね。既に書いてある内容への注意喚起ではなく、今後書かれる内容に対する予防ですので、読者は言うまでもなく編集者も編集画面を開いた方以外には関係のないものです(WP:SELF#「ウィキペディア」への言及を避ける)。「編集の注意点、よくある誤解について注意などには有益」との意見から無条件に全てのCOを有期限化する意向はないものと捉えましたので、承知されているかもしれませんが、仮に規定化を目指すのであればケースの選定は必要になってくるでしょうし、大丈夫な事例の一つと考えていただければ。同種のものでTemplate:予定の記載についてのお願いというものもあるようです。
>適正な論文などの出典付き文章でCOしている例もあります。除去しているなら、編集履歴で「出典付き文章の除去」タグが付くような編集です。
それは『編集履歴で「出典付き文章の除去」タグが付くような編集』に対する措置と同じことをすればよいだけです。繰り返しますが追加・除去ともCOへの対応とCO以外の記述への対応に違いはないので、除去行為で問題となるパターンはCOでも同じですよ。その除去およびCOが無出典記述に対する対応(WP:BURDEN)なら適切だし、品質に問題がない記述の不当な白紙化であれば除去と等しくCOも非難されます。
>COでは、合意形成する努力がなされていないのです。
記事の内容を何か変更する前には必ず前の著者に相談する必要があると考えている人はいませんし、そんなことをしていたら、執筆や推敲は遅々として進まないでしょう。何度か申し上げた通り、COの追加や除去も通常の文章の追加や除去と同じく、原則として合意形成プロセスの必要もなくいきなり行えます。合意形成が必要になるのは編集者間の争いが生じてからです。CO処理の手法に対する異論で争うことがあるならそれについての合意形成プロセスが生じることになるでしょうが、それもなく、記事の改善に取り組む編集者間でCOが有効に機能しているなら、合意形成の手順は出番がありません。
もちろん、それでいいのかという異論はいつでもできますし、これはCOする必要はないよねと思ったなら、実際に対応して見ても良いでしょう。それでリアクションがないなら「有効活用されていなかったCOの雑草取り」ですし、復帰されたならその記事の改善に取り組んでいる人達に有効活用されていることが確認できます。同時に、後者の場合は「誰も気が付かない」「放置される」「改善につながらない」といったTekeoninさんの見立ては杞憂だったことになります。Tekeoninさんとその記事の編集に実際に携わっている人達とで認識が異なっていたと。
>共同で運用していくWikipediaの方針とは逆の問題の隠蔽になります。
COでは編集画面を開けば丸分かりなので隠蔽できていません。隠蔽しようという悪意を以って行為に及んでも阻止は容易ですよ。除去した場合もリバートされれば終いですが、版を重ねて紛れる可能性はあります。それに対し、COは常に残っているのでいつでも気が付きます。なので、そもそも隠蔽しようとしてコメントアウトなんて方法を選択するのだろうか?という疑問があります。
>「問題ではない」「私からすれば放置された問題など存在しない」とされていますが、誰かが問題だと思ったから文章をCOにしている(またそれらが放置されている)わけで
勘違いされているようですが、上の「」に入った私の意見の「問題」とは手法のことです。今ここで話しているのは問題記述に対する処理方法についての検討ですので、「そもそも記述内容そのものに問題がない」などという、前提を覆すような話はしません。
改めて申し上げますが、COという「手法」が問題ないと考える人はCO処理を適切な措置と意図してやっているのであって、それは「問題の放置」ではありません。COという手法は問題だと考えながらもそのままにしておく場合が「問題の放置」です。それは「COは不適切」「二足歩行ロボットのCOについて放置する」という2点を公言されたTekeoninさんのように立場を明確にされた方でないと真意は分かりません。そこが分からないままに第三者のCOの向き合い方を「問題の放置」などと非難するのは早計でしょう。Tekeoninさんが関わっていない記事において、その記事の改善に取り組む編集者間で有意なツールとして活用されているなら、その状況を崩す意義はありますか?--ButuCC+Mtp 2023年3月8日 (水) 17:17 (UTC)[返信]
有益な手法については、英語版にも書かれていますね。「Template:予定の記載についてのお願い」は初めて見ましたが、面白いですね。リンク元を見ましたが、ほとんど使われていないようですが。
「COが有効に機能しているなら」「それは杞憂だった」という仮定の話をされていますが、他の文章に紛れて何年も放置されてるケースが散見されている時点で、当事者間の話し合いや問題の編集や除去行動が行われていなかったという実例になるかと。
「CO処理を適切な措置と意図してやっている」のでしたら、英語版のように、コメントアウトの編集説明に別の手段を検討した方が書いた方が良い・もしくはコメントアウトで行うべきではない利用方法などの説明が必要になるのではないでしょうか?
COは、あくまで多くの編集者向けに説明を行う機能であり、単に除去する目的、私的な意見の表明の場に使われるような性質のものではないのです。--Tekeonin会話2023年3月9日 (木) 00:49 (UTC)[返信]
(横から失礼)おそらくですが、subst展開して使うテンプレートなのでリンク元には出ないというだけだと思います(それを抜きにしても使われているのを見たことがほとんどないですが)。--鼓天会話2023年3月10日 (金) 11:48 (UTC)[返信]
>「COが有効に機能しているなら」「それは杞憂だった」という仮定の話
私という実例が目の前にいるではありませんか。私自身が利点を説明し実際に活用していると表明しているのに、それは無視ですか。へのいちさんも自身が使うかどうかはともかく、活用する人の想像は出来ているようです。
>他の文章に紛れて何年も放置されてるケースが散見されている時点で、当事者間の話し合いや問題の編集や除去行動が行われていなかったという実例になるかと。
それが本当に記事にとって無用なCOであるなら散見された時点で処理されていますよ。COは聖域ではなく、通常の文章同様に整理添削することができるものですから。逆に言えば、残されているCOはその状態が有益だから後発編集者が除去しなかったとも考えられますね。残っていること自体は直面した編集者の取捨選択の結果でしかなく、なんの指標にもならないでしょう。私も無用なものなら消して、有用なメッセージなら存置しています。後者の対応で残されたものについて無用と判断したなら消せばよい(異論が出たらどうすべきかその人と話し合えばよい)ので、二足歩行ロボットの記事についてTekeoninさんが気になるなら同じようにすればと私は勧めました。どう行動するかは本人の自由なので問題と分かって放置されるのも一つの選択ですが、それと後者判断を混同しないようお願いします。
>別の手段を検討した方が書いた方が良い・もしくはコメントアウトで行うべきではない利用方法などの説明が必要になるのではないでしょうか?
通常の文章と何ら対応方法に違いはないという立場からルール不要という考えで英語版の文書をこれまで見ていませんでしたが、改めて読むと「良い例」は想定されるCO使用例がおおよそ網羅されていて、非COでは実現できない用法が含まれていて文書化する価値を感じましたが、「悪い例」は既にWP:OWNとかWP:VANなど別文書に抵触するような行為の羅列でCOか否かに関係なくダメだよなというものしかなく、新文書なしで対応できる範疇に思えました。--ButuCC+Mtp 2023年3月10日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
英語版に説明がある「将来記事に追加される少量の情報を準備する」など有用な利点は認めますが、日本語版では「要出典」なり付ければ改善が見込める文章、なんのつもりでCOしたものか不明、何かしら改善や話し合いが必要なのにアクションされずに文章をCOした例、英語版にある適切な利用になってない例が散見されます。
編集方針「記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに」にあるように、「加筆によって改善を行うのであれば、三大方針や方針、ガイドラインを満たすように行ってください。除去によって改善を行うのであれば、その記述を行った人を含めた他の編集者への呼びかけを行うなどの配慮をしてください。どのような方法で改善するにしても、十分に検討を行い慎重さを忘れないようにしてください。」とあります。COは、記述を行った人、他の編集者などへの呼びかけになるでしょうか?
私も含め編集する人の多くは自分の書きたい内容以外は無関心な人・面倒ごとに関わりたくない人が多いと思います。また、編集画面のみの表記である他、他の文章や多数のCOに紛れて気が付かないかもしれません。そうなると改善に関われる人は限られ、実際に放置され、乱雑な状況は続き、乱雑な文章は加筆を難しくし加筆機会を減らす原因にもなります。
英語版では、編集画面が乱雑になるから、COを乱用しないように、スタイルマニュアルのHidden textやスタイルマニュアルのInvisible commentsなどで注意をしていますよね。ちなみに、英語版では、記述の除去に使えますよという文言はなく、あくまで他の編集者へのコメントに使えますよという感じですね。--Tekeonin会話2023年3月11日 (土) 02:17 (UTC)[返信]
>英語版にある適切な利用になってない例が散見されます。
でしたらそのケースのみ即座に対処してください。追加も除去も他者の確認を取ることなく行うことができます。
>COは、記述を行った人、他の編集者などへの呼びかけになるでしょうか?
呼びかけになります。編集画面を見るのは「他の編集者」ですから。それに対し、単純除去は履歴で差分を見ない限り確認ができないので、COよりも呼びかけに対応していません。「変更する前には必ず前の著者に相談する必要があると考えている人はいません(後略)」にあるように、全ての状況で他者にお伺いを立てる必要があるわけではありません。その時点で、呼びかけを行わない編集は何でも駄目という考え方自体が成立しません。結局はケースバイケースであり、単純除去にしろCOにしろ、状況を吟味せず行為のみを取り上げてあれこれ言えることはありません。どの方法にしても合意形成などの手続きを踏むべきだとなることはありますし、即座に編集しても適正な行動となることもあります。
>他の文章や多数のCOに紛れて気が付かないかもしれません。
気が付かないということは当該箇所を触っていないということではないでしょうか。「自分の書きたい内容以外は無関心」とあなたが仰ったように、要出典タグにしろ、表に表示されっぱなしの駄文にしろ、編集しようとする箇所以外に意識が向かないという点では一緒ではないでしょうか。自分が直接書き込みをしようとしている箇所の記述さえ確認せずに手を入れるような不用心な行動をされるようでは書き間違いなどを起しそうで不安になりますね。
>乱雑な文章は加筆を難しくし加筆機会を減らす
これの意味が分からないです。加筆する際に既存の文章を改造する、あるいはまったく新しい文にして元の文章を使わないとするならば、COだろうがCOでなかろうが関係なくないですか。編集画面に入ってはじめて(加筆予定内容に関係がありそうな)COに気が付いたとして、それを利用するなら加筆予定内容にブレンドすれば良い事だし、全く用がないなら除去整理してしまい自身による全く別の新規加筆による発展的解消で終わりではありませんか。大胆な編集を行う場合、元の文章を全く利用せずに新規文章に書き換えることはよくあります。COか否かはその際に「利用しない記述」が表に出ているか否かでしかなく、その違いは加筆に「使うか・使わないか」の二択に影響しません。ほとんどの人はCOだからといって手が出せない、などということはなく、無用なら容赦なく消します。それは編集者同士で共有するメモ書きに過ぎず、読者には関係のない内容だからです。この点で言えばTekeoninさんの方がCOというものを大袈裟に考えているように感じます。
>編集画面が乱雑になるから、COを乱用しないように
そう書いてあるだけで、有期限にしろとは言っていません。結局、乱雑・乱用されている記事について雑草取りを行えば良いのであり、その域まで達しておらず、適切な利用で編集者たちの利便となっている記事にまで手を入れる必要は当該文書から読み取れませんでした。
>英語版では、記述の除去に使えますよという文言はなく、あくまで他の編集者へのコメントに使えますよという感じですね。
その通りです。除去を保留する場合、元の文(の末尾など)にコメントを添えることがあると使用例を申し上げましたが、まさにそんな感じです。Providing information to assist ...の一例もそれに則っています。単純除去だと事情を知らない方に改めて加筆される可能性があるので、読者には有害でも編集者には再発防止の点で有益な記述としてCO退避が選択されます。それが「現段階では未検証だが、近い将来検証可能となることが確実な記述」の場合、Preparing small amounts ...の一例に相当するわけですね。
ところで、ガイドライン化に進む予定はあるのでしょうか。ここまで対話して、仮に英語版を翻訳して日本語版もそれにほぼ準拠することになったとしても、現状で問題となる使い方は変わらず問題だし、問題ない使い方は以後も使えるという認識です。日本語版では独自に違う規定を設けるなら話は別ですが、いずれにしろ導入には合意形成が必要なので、その際に改めて賛否を表明します(まあ既にTekeoninさんの論理に批判的なコメントしかしていませんが)。--ButuCC+Mtp 2023年3月12日 (日) 16:45 (UTC)[返信]
ガイドライン化というか翻訳する気もなく、単に何の配慮もなくCOする例、別の手法の方が改善されるのにCOされる例、乱用されるCOが問題じゃないかなっていうガス抜きをしに来た程度の感覚なので、モチベも優先順位も低めで対応してます。
>>乱雑な文章は加筆を難しくし加筆機会を減らす
>これの意味が分からないです。
注意書きが地の文に混ざって、ページ全体に詰まった文章を編集したいかという話ですね。自分ならゲンナリして、見なかったことにして、そっ閉じしますね。--Tekeonin会話2023年3月13日 (月) 08:38 (UTC)[返信]
了解です。であれば互いの発想について十分な意見交換は出来たと思いますので、私も静観することにします(「自分ならゲンナリ」とのご回答ありがとうございます。私は別にゲンナリしないので、意見の相違が理屈ではなく感覚の問題であることが分かって良かったです。この上ガイドライン化を企図していないなら、別に個々の持つ感覚を揃える必要はありませんからね)。井戸端は正式提案の場とは違ってこういう感想を前面に出せる良い場所だと思います。--ButuCC+Mtp 2023年3月13日 (月) 16:10 (UTC)[返信]