Wikipedia:井戸端/subj/あらすじ紹介における文体について

あらすじ紹介における文体について[編集]

小説・映画・ドラマ・コミック等の記事に見られる「あらすじ紹介」の書き方について議論したいと思います。

先日の3点リーダー議論の続きともいえる議論なのですが、以下の編集行為を見て、やはりウィキペディアにおけるあらすじ紹介の正しい在り方というものをキチンと明確化しておく必要があるのではないかと感じました。

前回の議論でもそうでしたが、アイバー氏と私とではふさわしい文体についての認識にかなりの隔たりが感じられます。私は氏の推す文体はあまりも情緒的すぎて、エッセイや新刊案内ならともかく、WPの記事としてそぐわないと考えます。読者に勝手に想像の翼を広げさせるなどというのはWPでやる話ではありません。もっと淡々と書くべきではないでしょうか。

具体的には次のような点を考えるべきでしょう。

3点リーダー
(前回一応の決着を見た話だが、一応書き置いておく。) 原則的に使うべきでない。3点リーダーは引用・引用の部分省略・数式・ワイルドカードとしての使用にとどめるべきで、つまり、あらすじ紹介では基本的に使うべき場面はほぼ皆無である。
体言止め
原則的に使うべきでない。その文の主語に当たるものが何をしたのか、あらすじ上どういう重要性を持つのか不明確になる。時制も不明確になる。基本的に「……である」・「……であった」のように修正し、趣旨がより誤解なく明確に伝わるようにすべきである。
その他の曖昧な言葉
本件でいえば、「奇怪で疑心暗鬼の渦巻く、凄惨な悪夢の世界へと」とかどういうつもりなのか。くどくど解説するまでもないと思うのだが、執筆者の感情の赴くまま読者がどうとでも想像を広げてしまうような記述は、小説ならよいがWPではふさわしくない。

かねがね感じていたことですが、アイバー氏の今回の編集に限らず、あらすじ紹介には同様な問題が感じられる例が多すぎると思います。しかし、どうもこの人たちはあらすじ紹介とはこのようなものだと固く信じて疑わず、逆に文章としての明確性に関する認識が弱すぎるように思います。

この際、「 WPらしく客観性・明確性を持たせるにはどのような用語・文体が推奨されうるか」について議論して「Wikipedia:あらすじ紹介のスタイルマニュアル」などというものを作成し、必要ならTemplate:あらすじの文体みたいのものも作成すべきではないかと思います。Kojidoi 2009年2月7日 (土) 03:15 (UTC)[返信]

私も、あらすじ紹介で、三点リーダーや体言止めを基本的には使用するべきではないと思います。何か例外があるかもしれませんが、いまのところの例外は、Kojidoiさんのおっしゃる「引用・引用の部分省略・数式・ワイルドカード」以外には思いつきません。
「その他の曖昧な言葉」という点も基本的には賛成です。ただ、これは個人の判断の違いが小さくないでしょうから、合意が取れたとしてもあまり強硬な編集をするよりも、その項目の主な執筆者の意向を尊重するという要素も加味するべきかもしれません。「奇怪で疑心暗鬼の渦巻く、凄惨な悪夢の世界へと」云々の記述について言えば、その項目の主な執筆者がそれが好ましいというであれば、無理に争うほどのことでもないと感じます。
『ひぐらしのなく頃に』からはなれますが、高校生のころ、学校の新聞にウィリアム・ギブスンニューロマンサー』の紹介を書こうとして、当該作品の文体をまねた文体(訳文)で書き、ボツをもらったことがありました。文体は作品のいわば顔であり、それをまねることは、それ自体その作品の紹介となりえます。そういった紹介をしたいということは心情として分かりますし、また状況によっては相応しく、好ましいことでもあるでしょう。しかし、文体は作品の「顔」であるからこそ、ウィキペディアの記事はウィキペディアに相応しい「顔」をしておいてほしいとも考えます。『ニューロマンサー』の文体について言えば、いまでも語り草になる特徴的な文体ですが、こういった場合は、それこそ「文体」という節を設けてべつに解説するに足りるものであり、またそれで十分というべきでしょう。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年2月7日 (土) 04:54 (UTC)[返信]
◆こんにちは。文体以前の問題として、「あらすじ」というものに対しての編集者の認識が様々なのが原因かと思いますが。英語版では「en:Wikipedia:How to write a plot summary」が最近作られガイドライン化されました(ただ日本語版では、スタイルマニュアルを整備するならば、先に「こちら」ではなかろうかと思います)。また具体的なご意見については、3点リーダーの使用については概ね同意いたしますが、他の2つについては、体言止めは日本語の用法として存在するものですし、量や使われ方によっては非常に安っぽい印象を与えるものではありますが、場合によっては使用に適した場合もあるでしょうし、一律ふさわしくないと断定する禁止系のマニュアル化をすることには私は消極的に反対いたします。……近年の日本語版は、こうした方がよりよくなるというアドバイス的なマニュアルよりも、編集の幅を狭める駄目出し系の禁止マニュアルの整備が盛んな印象を受けるのが少し流れとしてはどうなのかなと思う時もあります。--Giftlists 2009年2月7日 (土) 05:35 (UTC)[返信]
(コメント)表現方法が気に入る気に入らないは主観の範疇ですし、文章の意味を誤認識するしないは客観の範疇です。個々の文章表現において実際に誤認識する・しないという観点において個々に、客観的に議論すべきです。審美観的や形式論的な形而上学なルール改正は不毛だと考えます。つまり、三点リーダーや体言止めをつかうことによって事実や概念と記事文章の表現とのあいだに実際に齟齬があるかどうかが問題で、三点リーダーや体言止めの機能を研究したり、文章表現の傾向と対策を寝る煉るのは記事執筆とは別次元だと考えます。--あら金 2009年2月7日 (土) 05:49 (UTC)[返信]
(提議者より)少なくとも私の問題提起に「表現方法が気に入る気に入らない」という話は含まれておりませんので、その点誤解なきようお願いします。また、「個々に、客観的に議論」したいからこそ、恰好の具体例として具現した3点リーダーと体言止めの話を持ち出しています。最後に、スタイルマニュアル作成とルール策定は似て非なるものです。体言止めよりは「……である」の方がベターでしょ、という話は正しく「こうした方がよりよくなるというアドバイス」であり執筆記事の質を向上させるために有意義と考えます。Kojidoi 2009年2月7日 (土) 08:16 (UTC)[返信]
(コメント)三点リーダーは無くても大丈夫(引用は別ですけどね)ですし、体言止めは「○○である」と書いても意味は変わりません。とすると、単純に好みなので、百科事典の書き方としてどうなのかが問題になるだけですよね。で、ワタシは百科事典の書き方としてという限定をつければ、三点リーダーも体言止めもふさわしくないと思います。基本的にKojidoiさんの提案に賛成です。--Kodai99 2009年2月7日 (土) 14:05 (UTC)[返信]
「奇怪で疑心暗鬼の渦巻く、凄惨な悪夢の世界へと」という部分についてですが、そもそもこの部分に反対派の方は、原作をプレイされていますか? 鬼隠し編だけでも良いですし、アニメでも漫画でも小説でもドラマCDでも、なんでも結構です。作品を体験していれば、おそらくこの表現は的確だし、けっして過剰ではないと感じていただけると思います。
また、「……である。……であった。……になるのだった。」という文章が、最初から最後まで延々と続いたとして、それは「あまりに非日常的な文章」のように思うのです。たぶん、こういった文章を日常で見せられたら、間違いなくその人の国語力は疑われます。これは、小説云々の話ではないと思うのです。判例集じゃあるまいし、明治時代のような堅苦しい文章にとらわれる必要性は、まったくないと思います。そこに拘りすぎるのは、完全に「主観」ではないでしょうか?
それでも主観ではないと言うのであれば、「百科事典では体言止めを使わない」とする、明確かつ信頼できる複数の出典はありますか? 他人には出典を求めておいて、提示したらそれを無視して、自分は主観で話すのはいかがなものかと思います。私に対して、議論中の編集は不誠実と言っておきながら、差し戻しを行うのも疑問を感じざるを得ません。
あと、体言止めから変更することで、無駄に文章が長くなったりして、分かりづらくなっている部分が見受けられます。こうした長い文章は、できるだけ短くしたほうが読みやすくなる…という旨が、たしか記載されていたはずです。また、反対しているのに、一部に体言止めが残っているのが不自然な気がするのは、私だけでしょうか? --アイバー 2009年2月7日 (土) 18:30 (UTC)[返信]
まず、ひとまず貴殿の発言以前のインデントに関してはオリジナルに戻させていただきます。こういうことをすると個々の発言が特定の誰かの発言に限定したコメントのようになってしまいます。そういう意図の発言であればよいですが、私にはそうは読み取れません。発言者の意図に反したミスリーディングを招きかねず、もっと慎重にやっていただきたいと苦言を申しておきます。
問題の編集に関しては、ほんとのことを言うと全部消してゼロから書き直してしまいたいぐらいなのですよ。Giftlists氏も言っていますが、表現以前に内容としてどうなのかという疑問がありますので。しかし、全文消去をやるとさすがに戦争が起きそうなのでね……。 ひとまず大部分は保留として控え目に修正しておいたということです。Kojidoi 2009年2月8日 (日) 04:42 (UTC)[返信]
ひとまず思ったことを書きます。
(1) 「Wikipedia:あらすじの書き方」というようなものをつくって、その節のひとつとして「文体」のようなものを設けるか、enのように「あらすじは何でないか」のような節を設けるかするのは、よいことだろうと思います。すでにWikipediaに書かれたあらすじを意識するのはもちろんのことですが、今後何もないところからあらすじを書くときに、見て参考になるスタイルマニュアルのようなものになればよいのではないでしょうか。
(2) 本を買わせるための煽りではない百科事典的な記述としては、3点リーダーや体言止めは回避したほうがいいと思います。ただ、文法的な誤りではないので、どうして禁止するのか、その観点が必要となりそうです。どちらも、使うことで文意があいまいになるから回避すべきというよりは、使ったときの余韻の効果というものが百科事典としてふさわしくないからだろうと考えます。観点としては、たとえば、w:Wikipedia:How to write a plot summaryにある "It is always tempting, in describing the plot of something, to attempt to recreate its emotional impact. This should be avoided. Wikipedia is not a substitute for the original. As emotionally moving as the end of Hamlet is, the final fight does not need to be described in exquisite detail that attempts to recreate every emotional beat of the scene. Our article should not try to be a replacement for actually reading the play." は参考になります。
(3) 多少は3点リーダーなどの機能の話になってしまうのは避けられないでしょうが、込み入った議論にならないようにしなければならないと思います。
(4) 「奇怪で疑心暗鬼の渦巻く、凄惨な悪夢の世界へと」は、反対ではないが、そのままはまずいだろうと考えます。「疑心暗鬼」も「凄惨」も、まさにそこが売りの展開だったと思いますが、このままでは、本当に売り文句のように感情を煽っているだけだと感じました。ただ、反対ではないと書いたように、「疑心暗鬼」や「凄惨」を残しても、改善の余地があるだろうと思います。「はたして、連続未解決事件「オヤシロさまの祟り」の正体とは何なのか?」についても同様に思います。百科事典のあらすじ紹介と、宣伝文句としてのあらすじ紹介を比べるなら、百科事典のほうが平叙的な書き方になります。百科事典の記述としては、「……する。……した。……だった」の連続で、淡々と書かれていれば十分でしょう。それで国語力が疑われるかどうかは、書いた文章の出来によりますし、過剰に堅苦しいとは思いません。紙の百科事典を範にとるなら、日常的な文章より多少硬いくらいになりそうです。いくらすっきりしていても、煽りがちな文章よりは、多少硬くても抑えた筆致で書くほうが、百科事典的な記述としては好ましいと考えます。実際には、表現を消すよりは改善で何とかなる部分が大きいと思いますので、en版のように「煽らない」のような目安をつくればよいと思います。--Shaz 2009年2月7日 (土) 21:38 (UTC)[返信]
おはようございます。Shazさんのご意見に大筋では賛成です。ただ「禁止する」という強い書き方にするのは、やはり消極的に反対いたします。基本的にHowToの類は、書き方をご存知無い方が読むものですから、まっさらな状態で読んだ方は予想以上に引きずられやすいものです。体言止めにしても新聞等では多用される用法ですし、一律に硬い文章では使用できないものだとの印象を植え付けてしまいますと、それが使われた個別の文意を考えずに機械的にただ消して周ってトラブルの火種となる方も出てきそうに思います。この問題の根本に、商業媒体で宣伝として使用されている「あらすじ」を真似ながら、そこから宣伝的な「表現」だけを削ったり修正したりさえすれば百科事典的なあらすじになると誤解をされていることにあるのではないかなと個人的には思います。私は、あらすじ関連の軌道修正をするならばまず中身からで、文体・表現といった手法は、細かく禁止事項などを作らずとも中身が整えば後から自然についてくるものだと考えます。……と長々と書いていましたら、冗長になってしまいましたので、やや脱線含みの部分は「別の場所」に置いておきます。--Giftlists 2009年2月8日 (日) 00:54 (UTC)[返信]
Giftlistsさんの指摘は鋭いと思います。たしかに内容として何を書くべきか・書かないべきかを明確化することが重要ですね。スタイルガイドにはまずそこをキチンと記述すべきでしょう。「それが使われた個別の文意を考えずに機械的にただ消して周ってトラブルの火種となる方」防止策も必要だというのも分かります。
しかし、「中身が整えば後から自然についてくる」との考えについては私は疑問です。WPのガイドラインがあれほど多岐にわたっているのも、「中身が整っている」だけではどうにもならないからではないでしょうか。
あらすじに関しては、商業用のあらすじ紹介があまりにも身近にありすぎて、それらが執筆者たちに、いうなれば「負の学習効果」をもたらしているように見えます。WP的でない記述に流れて行ってしまう事情が他の種類の記述以上に特別にあると思います。この軌道修正はそれなりに強力に行わなければ事態は改善されないのではないでしょうか。
とはいえ、私は「禁止するという強い書き方」などどこにも提案してはおりません。また、さすがに「疑心暗鬼」という言葉は使用禁止などとできるはずはありません。それはただの言葉狩りです。ですが、あるていどは具体案を示さないと、とても認識のギャップを埋めるには至らないのではないでしょうか。Kojidoi 2009年2月8日 (日) 04:42 (UTC)[返信]
こんにちは。まずは、百科事典の作品の項目を参照するのが良いと思います。「ひぐらし」は載ってないと思いますが、「源氏物語」や「神曲」なら、たいていの百科事典に載っているでしょう。先行する研究の数や、物語をどこまで記述するかといった点で配慮すべき事柄は違いますが、表現については大きな違いはないはずです。
「3点リーダー」「体言止め」は、基本的には使わないということでよいと思います。文書化するかどうか、どういう位置づけにするかは別にして、作品記事の内容を記述する節の書き方(内容も含めて)のガイドラインは、書けるひとがいたら書いていただければ有用だと思います。体言止め禁止というのは、ちょっとやりすぎだと思います。基本的には、「筋書きを書く/まとめる」というのではなく、「筋書きを説明する」という意識を持ってほしいかな。「ストーリー」節の冒頭部なら、「舞台とされる雛見沢村は、某県鹿骨市にある人口2000人に満たない寂れた寒村で、かつては「鬼ヶ淵村」とも言われ、近隣の住人からは「人食い鬼の村」として恐れられているという状況設定が、まず鑑賞者に提示される。」というくらい距離を置いて書くのが、好ましいと思います。
「3点リーダー」「体言止め」もそうなのですが、表現や描写に凝った修飾的な表現を用いることは極力避けるべきで、「奇怪」「凄惨な悪夢」といった表現は、それこそ本編を知っている人なら、そうそうそんな感じ、と思うのかもしれませんが、数多くの幻想小説に対しても使える表現であって、本編を見ていない人には、雰囲気しか伝わりません。「疑心暗鬼の渦巻く」というのは、せめて「登場人物同士が互いに疑いを抱きあう」でしょう。
もっとも、公式ページや現物で示されている、当事者による「あらすじ」で、どのような説明がなされ、どのような表現を用いているかということを、適切に引用する上では、これらの表現が文中に含まれてもよいと思います。--Ks aka 98 2009年2月8日 (日) 05:08 (UTC)[返信]
◆Kojidoiさん、こんにちは。「禁止するという強い書き方」については、Kojidoiさんの最初の提案文の「原則的に使うべきでない」に私はその印象を抱いています。「原則的に」とはなってはいても「べきではない」と言い切ってしまっているのは、実質読み手には禁止と同じことかと思います(「はっきり禁止されているわけじゃないんだから俺は使うよ」という考え方をされる方もいらっしゃるでしょうが、私はそれは少数派であろうと思います)。「~べきでない」系の語句は、杓子定規に捉える方も多く、書き手の思惑を外れて一人歩きしがちです。私はできましたらこうした言葉の使用は慎重であってほしいと思います。で、うーん、実のところ私の意見はKojidoiさん側なのだろうと思います。少なくともアイバーさんのご意見に同調できる部分は殆どありません。ですが、こう、なんていうのでしょう。ガイドラインやHowToは、良質な記事を作るアドバイス的な形がいいと思うのです。良質な記事を多く作られた方が「俺のノウハウを教えてやるぜ」のようなノリといいますか。英語版のガイドラインも最初はエッセイといいますか持論の披露から始まっています。対して「あれはやっちゃ駄目だよね」「あの書き方はまずいよね」というマイナス的なもののリストは存外作りやすいように思うのです。数人で持ち寄れば、やってはいけないリストというのはすぐに膨れ上がります。ですが、アプローチとしてこのやり方がいいのだろうかというと、私は懐疑的です。Kojidoiさんは、「中身が整えば後から自然についてくる」に懐疑的なようですが、私は逆に骨格となる幹を整える前に、枝葉のアレ駄目コレ駄目の細かいルールばかり先に増やしてしまう方法論に懐疑的です。これは考え方の違いなのでしょう。ですが、Kojidoiさんは「何を書くべきか・書かないべきか」についてまず記述されるとのことですから、そうした駄目出し系のガイドにはならないであろうと期待します。応援していますので頑張ってください。--Giftlists 2009年2月8日 (日) 09:38 (UTC)[返信]

利用者:Kojidoi/ストーリー紹介の在り方についての解説素案を書いてみました。ご意見あればよろしくお願いします。Kojidoi 2009年2月15日 (日) 12:18 (UTC)[返信]