Wikipedia:井戸端/subj/「記事名」は「不快なコンテンツ」の対象となるか

「記事名」は「不快なコンテンツ」の対象となるか[編集]

記事名はWikipedia:不快なコンテンツのガイドラインの対象となるでしょうか?

一見して不快、下品な記事名の記事があって、「正確性を増すのにどうしても必要」ではないし、「代替的な」記事名も存在するので、「不快な記事名であること」を理由に改名を提案したところ、『「不快なコンテンツ」はWikipedia:記事名の付け方にはあてはまらないので、記事名がWikipedia:中立的な観点に沿っているかを議論するべきだ』というご意見をいただきました。確かに「記事名の付け方」には「不快な記事名をつけるべきではない」とは書いてありませんが、記事名が不快な場合も当然「不快なコンテンツ」に該当すると私は思ったのですが、いかがでしょうか。或いは、「記事名の付け方」において、「不快な記事名を避けること」を明記すべきでしょうか。--宇井木辺出夫会話2015年10月28日 (水) 09:43 (UTC)[返信]
コメント基本的には含まれないと捉えるのがよいと思います。
あるいは、「Wikipedia:不快なコンテンツ」の文書は、不快なものは排除できるということではなく、「ウィキペディアの百科事典としての使命には、人を不快にさせるおそれのある素材を収録することも含まれます」し、「記事名前空間においては、冒涜的、侮辱的、下品、卑猥な素材は完全体として記述される(か、あるいは一切記述されないべき)」ということですから、対象としたとしても、十分な根拠と有用な対案が必要でしょう。制限が加えられる対象となりうるのは「多くの読者にとって冒涜的、侮辱的、下品、卑猥だと感じられるであろう語句や画像」ですから、少なくとも一人の編集者が「一見して」という程度では、除去あるいは改名の理由とはならないと思います。
含まれない、と、捉えておいて、「Wikipedia:記事名の付け方」にある「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」といった要素を満たすならば、記事名の選択として「どうしても必要」であり、これらの視点から同等な複数の記事名の候補がある場合に、補助的に考慮の材料となるという程度に、対象になっている、と考えるのがよいのではないでしょうか。
「不快な記事名であること」は、今の方針やガイドラインからは改名の理由にはならず、「記事名の付け方」において「不快な記事名を避けること」を加えることを提案されるのは自由ですが、ウィキペディアの使命や百科事典という目的から、同意を集めることは難しいと思います。
提案された記事のノートでも、改名提案の趣旨、理由付けに反対されているのであって、改名そのものに反対されているわけではなさそうです。中立性や、「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」といったことから、現在の記事名が適切ではなく、代替可能なタイトルがあるから改名ということなら話は進んでいくでしょう。--Ks aka 98会話2015年10月28日 (水) 10:43 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。「一人の編集者が不快だと感じたこと以上に必要な十分な根拠と有用な対策」については、既にWikipedia:不快なコンテンツの中で規定されていると思いますし、それにのっとって「不快」かどうかを判断すべきだという点については異論ありません。ただ、質問内容はあくまで、記事名が上記の狭義の「不快なコンテンツ」かどうかの判断対象になるかどうか、という点です。
Ks aka 98さんは『「含まれない」と捉えておいて、(…)他の要素を満たす候補が複数あるとき、補助的に考慮する材料となるという程度に対象になっていると考える』とされていますが、それは『含まれる(判断する)が、「記事名の付け方」の他の基準には劣後する』ということなのではないでしょうか?前段で「含まれないが」としておきながら、後段で結局補助的な判断基準としているのは不自然な感じがします。
特に、本文中であれば、出典が古くて今日的に不適切な表現があっても、「白馬(白人女性とセックスする様子を白馬に乗ることになぞらえたもの、原文ママ)」のように注記すれば「完全な形」で記載したことになると思いますが、記事名に関しては、このような注記が推奨されにくいため、「不快なコンテンツ」に関して本文以上に気を使ったほうがいいように思います。
利用者名に関していえば、「中立的でない」利用者名は使えても、「不快な」利用者名は使えませんから、規範としては、前者の方が包括的で弱い規範であり、後者の方が特殊で強い規範のようにも感じるのですが。(私は利用者名に「屁」という字を入れようとしたのですが、できませんでした)。--宇井木辺出夫会話2015年10月28日 (水) 11:50 (UTC)[返信]
記事名も「不快なコンテンツ」のガイドラインの対象だと考えても良いと思います。
ただ、Wikipedia:記事名の付け方に従って選ばれる記事名は認知度が高い=最も一般的に使われている名前のはずです。みんなが平気で使っているということは、みんながあまり不快に思っていないか、あるいは、不快であっても敢えてその名前を使うべき理由があるということになると思います。
また、同じ言葉でも、文脈次第で不快だったり平気だったりするということもあります。誰でも面と向かって「馬鹿野郎」と言われれば不快に思いますが、「昔、吉田茂が国会で馬鹿野郎って言っちゃって…」という説明を不快に思う人はいないでしょう。「白馬」についても、もし私の友達が「昨日クラブでナンパして白馬に乗った」みたいなことを言ったら何て下品な奴なんだと思うでしょうが、「昔、白人とのセックスを白馬に譬えた不届き者がいた」という説明の「白馬」に対しては別に何とも思いません。--Dwy会話2015年10月28日 (水) 22:26 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。ご意見ごもっともだと思っております。むしろ私は「記事名は記事名前空間に属する」、「記事名前空間は『不快なコンテンツ』のガイドラインの対象になる」、だから「記事名は『不快なコンテンツ』のガイドラインの対象になる」という三段論法から、対象になって当然だと思っていたのですが、井戸端でも「対象にならない」ととらえておられる方も居られることからすると、やはりWikipedia:記事名の付け方に、不快なコンテンツのガイドラインとの関係について記載があった方がいいのかな、と思っています。そちらで意見提起の際にはまたご意見いただければ幸いです。
今使われている記事名が最適なはず…というのは理想としてはありますが、あまり一般的でも適切でない記事名が放置されているのが現実かなと。
文脈があれば文言が「不快」であっても問題ない、というのはそのとおりだと思いますが、記事名の場合は「前後の文脈」は本文を見に行かないと書いてありませんから、そこをどうするかは少し問題になると思います。記事名に「白馬(原文ママ)事件」と記載するわけにもいかないと思いますので--宇井木辺出夫会話2015年11月3日 (火) 11:32 (UTC)[返信]
コメント ノート:白馬事件#改名提案の件ですか。ところで、事件に関する記事名が不快かどうかは以下のどちらに基づいて判断すべきでしょうか。
  • Wikipedia利用者の個人的な感想
  • 信頼のおける出典での扱われ方
また、記事名が不快かどうかは、どの立場を尊重すべきでしょうか。
  • 加害国の戦争を知らない世代で戦争を美化したい人
  • 戦時中に実際に事件の被害者となった人の意向
『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』は、強制連行され後に軍事裁判で証人となった女性の一人、ジャン・ラフ=オハーンの著で、うち p.211 は倉沢愛子の解説ですが、ここに
このスマランでのオランダ人慰安婦事件は、日本軍関係者の間では「白馬事件」と呼ばれ、白人の女性を「制服」することができたという大きな優越感を彼らに与えたようである。
とあります。このように信頼のおける出典で「白馬事件」という名称が使われているため、「白馬事件」という記事名が不快だという主張には根拠がありません。この下卑た名は当時の日本軍関係者の人権蹂躙の酷さを示す歴史的事実 (それが過去を美化したい人にとっては不快なんでしょうが) であり、Wikipediaを改名した所で歴史は書き換えられず、被害者にとって何の慰めになりません。
『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』p.208 で、ジャンは自分が「慰安婦」と呼ばれる事を拒否しています。これは例え話で考えれば、強姦の被害者が加害者からデリヘル嬢呼ばわりされたら”不快”などというレベルではなく怒り心頭になるようなものでしょうか。ところが不快な記事名だとして改名提案が出されている白馬事件の、最有力改名案には慰安婦の文字が入っており、存命の被害者であるジャンの意向など眼中に無い議論となっています。本当に記事名が不快という事であれば、ジャンの意向こそ最優先にすべきでしょう。このような状況で始められた議論ですので、井戸端として「自分はこの記事名を不快に感じる」的な理由での改名は認めないとすべきです。それにしても
宇井木辺出夫さんはガイドラインを適当にひっぱってこられてるだけでちゃんとお読みになっておられないのではないでしょうか。--大和屋敷(会話) 2015年10月26日 (月) 19:44 (UTC)
「不快なコンテンツは記事名の付け方にはあてはまりません」という点について井戸端で質問中です。大和屋敷さんのコメントにはWikipedia:個人攻撃はしないに反する記載が含まれていると思いますので、投稿ブロックを申請中です。当該記述については、もしご本人がコメントアウトされない場合は、私の方でコメントアウトさせていただきたいと考えております。--宇井木辺出夫(会話) 2015年11月3日 (火) 11:38 (UTC)
こういうやり方は、いかがなものでしょうか。--114.181.43.5 2015年11月7日 (土) 07:11 (UTC)[返信]
私はWikipedia:不快なコンテンツに異論はなく、「記事名が不快かどうか」は同ガイドラインに基づいて判断すればよい、と考えています。同ガイドラインでは、「多くの読者[1]にとって冒涜的、侮辱的、下品、卑猥だと感じられるであろう語句や画像は、記事の情報を増やしたり正確性を増すのにどうしても必要であり、かつ他に代替がない、という場合にのみ使用すべきです。」としており、「多くの読者」とは「ウィキペディア日本語版の一般的な読者を指します。ただし、不快なコンテンツについて議論する際は、特定の文化に偏らず広い視野を持って臨むようにしてください。」と規定されています。
疑問を持っているのは、『Wikipedia:記事名の付け方の中で、「(ガイドラインに規定されている)不快なコンテンツに該当するかどうか」が基準として挙げられていないこと』です。少し調べましたが、日本語版には規定がありませんが、英語版(3段落目)には(やっぱり!)規定がありますね。
白馬事件の記事名が不快かどうかはノート:白馬事件#改名提案で議論した方がいいと思いますので、もし議論されたければ、そちらにコメントください(上で記載いただいた文章のコピペでかまいません)。
ノート:白馬事件#改名提案での利用者:大和屋敷さんのコメントに関しては、個人攻撃に該当する記述があったので、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃への対処法により利用者‐会話:大和屋敷に警告文を貼り、Wikipedia:投稿ブロックの方針#利用者を危険にさらす個人攻撃(他の利用者の安全を脅かす攻撃)に該当すると思われますので投稿ブロックを申請しています。引用文中の「不快なコンテンツは記事名の付け方にはあてはまりません」という発言は大和屋敷さんではなく、利用者:Takabegさんという方のコメントですので、大和屋敷さんに対する投稿ブロック申請は、この井戸端における議論とは直接関係しないものと考えています。(議論の内容に関わらず、個人攻撃を受けたので、相応の対処をしたつもりです。) --宇井木辺出夫会話2015年11月8日 (日) 13:23 (UTC)[返信]