Wikipedia:井戸端/subj/「同期には」という記述

「同期には」という記述[編集]

ノート:小黒一正で の議論に際して気づいたのですが、ウィキペディアの人物関係の記事には「同期には…、…、…らがいる。」という記述を伴っているものが結構たくさんありま す。そしてその殆どには出典がついていないようです。私としてはこれらは検証可能性なし、情報の合成の典型例であり、別途その判断を覆すに足る資料がない 限りは記述に値せずと判断するのですが、いかがなものでしょうか。さらにいえば内容的な特筆性があるのか極めて疑問に思います。甚だしきは、土肥ポン太のように「ほぼ同期」などというのが挙げられている例もあります。一方、同期という情報を書くのがふさわしい例としては、たとえば湯川秀樹朝永振一郎などがあげられると思います。このへんのルールを整備して、単に同じ時期に同じポジションに付いたというだけのことを一々書き込むなというルールを整備すべきではないでしょうか。ご意見お願いします。--Kojidoi会話2013年10月26日 (土) 05:59 (UTC)[返信]

いちいちルール化する必要ありますかね?Kojidoiさんがご自身でおっしゃっている通り、これまでにあるルールだけから記述すべき・しないべきの判断は十分にできます。それができていない記述があればこれまでのルールに基づいて粛々と除去すればいいし、話の分からない人がいれば説明すればいい。説明してわからない人がいればお引き取りいただく。すべてこれまでのルールで対応できることじゃないかと思うのですが。--60.132.30.147 2013年10月26日 (土) 10:10 (UTC)[返信]
そのご主張は分からないではありませんが、「これまでにあるルールだけから記述すべき・しないべきの判断は十分にできます。」と言い切るには、十分出来ているとは思えない記事があまりにも多すぎるように思います。ここで私が、これらの記事の不要な「同期には」記述を片っ端から削除し始めたとして、それがすんなり受け入れてもらえるとは思えないのです。ルールは言い過ぎとしてもガイドライン的なものを検討する余地はあるのではないでしょうか。--Kojidoi会話2013年10月26日 (土) 10:23 (UTC)[返信]

コメント不要。出典がなければ{{要出典}}。出典が出てこなければ、除去。まず既存のルールを徹底して、それではどうしても間に合わないときにだけ初めてルールを追加する。既存のルールが徹底されていないことは、既存のルールの上に屋上屋を架す理由になっていない。--ikedat76会話2013年10月26日 (土) 10:53 (UTC)[返信]