Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/陸奥国分寺 20100130

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(コメント)表で書いたとおり、いくつか気がついたことがあったので記します。

  • 形式
    • 年代表記。西暦と元号の併記が有ったり無かったりします。冒頭の「奈良時代の740年代頃」のように幅を持った年代に言及したいときはそれでもいいかな、という気がしますが、「概要」節第4段落の「1607年完成の薬師堂」のような場合は、併記が無いのは不統一の印象を受けます。
    • 同じく年代表記。元号に内部リンクがありません。自分で直してしまいました。
    • ウェブサイトの参照。注33・59で外部サイトを参照していますが、Template:Cite webへ貼り替えられた方がよいかと思います。
    • 参考文献。「参考文献#近世まで」に挙げられている文献は、史料という性格のものだと思います。特にそれらを区別するのであれば、「史料」というタイトルにした方が適切ではないかと思いました。手前味噌で恐縮ですが、私が関わった小辺路#文献では「史料」「調査・研究」のような分け方をしました。
  • 内容
    • 白山神社のリンク。白山神社白山神社 (仙台市)が混在していますが、おそらく必要なのは後者ですよね? また白山神社の重複リンクがちょっと多い気がしましたが、多い少ないは個人的な感覚によるところかもしれません。
    • 「概要」節の最終段落に、周辺の開発に伴う調査が続けられているとあります。さして成果は挙がっていない、というように読み取れたのですが、そういう理解でよろしいのでしょうか。
    • 「仏像・宝物等」という節が設けられていますが、例えば「文化財」というタイトルに改めて、文化財に関する基本的な情報(名称、指定の種類、指定年月日など)を集約してるといいかと思います。あと、文化財の指定年月日が無いものがありますが、加筆できるでしょうか。
    • 「室町・安土桃山時代」の節。最終段落で白山神社に初めて言及がありますが、何故ここなのか、ちょっと前後のつながりが分かりにくく感じました。文献を見ていないので推測でしかないのですが、史料上の初出が確認できるのがこの年代だということなのでしょうか。であれば、「陸奥国分寺の鎮守として祀られていた白山神社の史料上の初出が確認されるのはこの時期のことで、3月3日の祭礼では流鏑馬を執り行ったとの記録がある」のような書き方にすると違和感が減るかもしれません(ちがったらすいません)。

ひとまず以上です。今後の記事の成長の上でお役に立てばうれしく思います。--ikedat76 2010年1月30日 (土) 16:42 (UTC)書き改め若干。--ikedat76 2010年1月31日 (日) 07:25 (UTC)[返信]

超遅レスになりましたが、指摘いちいちごもっともと感じました。修正もありがとうございます。めだった成果はないということでよいです。白山神社は自分でもきちんと調べていないのです。江戸時代に文献初見、(国分氏が絡んでいるので)室町時代までは存在確実、なのだと思いますが。指摘の点を直しつつ、また図書館で調べなおして少しずつ手を入れることにします(もちろん他の方が加筆・修正してくださるのは良いことです)。実は一番重要な1950年代の発掘調査報告書に目を通しておりませんので。--Kinori 2010年3月6日 (土) 10:37 (UTC)[返信]