Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Phew&遠野能史

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Phew氏のコメント[編集]

私、保護解除に反対はしておりません。「できれば・・」というだけです。よろしくお願いいたします--Phew 2007年5月3日 (木) 11:09 (UTC)[返信]

05:55 管理者伝言版で霧木さんより議論をする場所ではないと注意が入れられる。

これに私も含まれるか確認してください。そうでなければ誰に対してか明記をお願いいたします。議論にならないよう、遠野さんに対してではなくみんなに呼びかけるような形に書いたので。「コメントに対するコメント」ではないし。

「コメントに対するコメント」が行なわれたので、議論になりつつあると判断しました。

露木さんの「警告」は二つとも遠野さんのコメントに対してついてるし。確認まで削除してください。よろしくお願いいたします。--Phew 2007年5月3日 (木) 11:26 (UTC)[返信]

リンク先を見ましたが、あれでは確認できないと思います。--Phew 2007年5月3日 (木) 11:38 (UTC)[返信]
本人に確認まで削除してください。よろしくお願いいたします。--Phew 2007年5月3日 (木) 12:03 (UTC)[返信]
私のは「コメントに対するコメント」ではなく「報告に対するコメント」だし、一応確認まで削除していただけませんか?--Phew 2007年5月3日 (木) 12:35 (UTC)[返信]
14:34 昭和天皇の編集にPhew氏が参加。(遠野氏は参加済)

わたしがはじめて昭和天皇の編集に参加したのは 2007-02-11T01:14:28 のようです。--Phew 2007年5月3日 (木) 11:36 (UTC)[返信]

2月の編集に関しては、今回のお二人の論争に関わっていなさそうなので省かせていただきました。--Tiyoringo 2007年5月3日 (木) 11:39 (UTC)[返信]
関連あるのだけだと
2007-04-28 14:52:16 昭和天皇の編集に遠野能史氏が参加。(Phew氏は参加済)
となりませんか?

Tiyoringoさんはちょっと中立性に疑問があると思います。

利用者:遠野能史より

よく話す利用者 * 利用者:Tiyoringo

--Phew 2007年5月3日 (木) 11:49 (UTC)[返信]

4月29日 03:34 管理者伝言版に遠野氏報告される。

遠野氏が報告されたのは2007年4月16日 (月) 16:32 (UTC)。関係あるのに限定しても「報告」ではなく「コメント」です。--Phew 2007年5月3日 (木) 12:24 (UTC)[返信]

MZM-MSYKさん、Tantalさん、私は合意の無い節ごと除去が方針文書に即さない行為と判断し、それに対応するために節を復活させたのです。復活作業をおこなう人間がその部分に責任負うような方針も慣例もないと思ってます。また、方針では検証可能性に疑問があり出典がない場合でさえもトラブルを避けるために即除去は薦められない行為です。検証可能性でさえそうなのに「ニュース・ニュース速報の場所ではありません」を根拠に即除去はすべきではないでしょう。ましてや、誰からもノートや要約でその点について疑問が投げかけられていなかったのですし。--Phew 2007年5月7日 (月) 13:11 (UTC)[返信]

遠野氏のコメント[編集]

霧木さんが本文でおっしゃっておいででしたが、私は要出典テンプレの乱用を問題にしております。 一文の中にいくつも小さなテンプレを貼るよりは、出典明記テンプレを一つ貼るほうが見やすいかと…。--遠野能史 2007年5月4日 (金) 06:43 (UTC)[返信]

霧木さんの会話ページでの議論[編集]

はじめまして。遠野と言います。以前は私の作成したカテゴリについての指摘をどうもありがとうございました。ところで、一つお願いがあるのですが。 昭和天皇の保護に関連し、私と意見の対立する編集者利用者:Phew氏が非常に感情的になっており、暴走している様子です。ノート:昭和天皇での議論でも感情的かつ、私への反感剥き出しで、すでに議論が口論になってしまっております。また、これらの氏の暴走に対し冷却期間が必要だと考え、私が投稿ブロックを依頼したところ、これにまで絡み、あげくには報復的に投稿ブロック依頼をする始末。私を荒らしだと断じており、その前提が崩れず、建設的な議論ができません。 これまでお二方に仲裁を依頼しましたが、仲裁をして下さった方がいなくなるや、反感剥き出しになり荒れるということが繰り返されております。管理者の利用者:おはぐろ蜻蛉さんにも対処を依頼しましたが、断られました。正直困り果てております。対処をお願いしたく思います。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 06:00 (UTC)[返信]

霧木さん、お世話になります。遠野も述べられているWikipedia:管理者伝言板/荒らしでの「警告」は私の「利用者:遠野能史」へのコメントについても含むでしょうか?これはよいにしても「利用者:Phew」へのコメントの方はまずかったでしょうか?よろしくお願いいたします。--Phew 2007年4月29日 (日) 11:14 (UTC)[返信]

「コメントに対するコメント」が行なわれたので、議論になりつつあると判断しました。ですが管理者伝言板は基本的に報告を行なうところですので、報告された当事者が長文の抗弁を行なうのはあまり適切ではないと思います。
お二人にお願いしたいのですが、相手を荒らしではなく自分と主義が違うだけの普通のユーザとして見ていただけませんか。ウィキペディアにおける議論は相手を叩きのめして追い出すためのものではなく、記事内容をより適切なものにするためのものです。
編集合戦は遠野さんがA級戦犯合祀についての節を除去したことから発生したようですが、これは遠野さんがこの節は未検証であるから不適切だと判断したためと思われます。提案などをせずにいきなり節丸ごと除去したのは論争を招きかねないことですしPhewさんがかっとなったのもわかりますが、これは「百科事典を改良するためになされた(Wikipedia:荒らし)」と善意にとることもでき、ノートで穏当にその意図を確認することもできたのではないでしょうか。
とりあえずお二人は互いに記事の何が問題(どこが余計もしくは不足)だと考えているのかをはっきりとしてください。ノート:昭和天皇を見ても互いに方針文書を突きつけて相手を追い出そうとしているようにしか見えないため、このままでは議論の終着点が現れることもないでしょうし、第三者が見ても何のために議論をしているのかわかりません。―霧木諒二 2007年4月29日 (日) 12:07 (UTC)[返信]
了解いたしました。彼は他の記事富田朝彦富田メモでも同様の行為をおこなっており、それは改めていただきたいです。確かにそれでも善意からおこなってる(特に昭和天皇では)と思われ、行為さえ改めていただき私がブロックされるようなことがなけければ、全く水に流せると思います。たとえ彼の追放を口にしても、それは彼が方針文書に沿って活動していただきたいからなのです。できれば、そちらのほうが良い姿だと思います。--Phew 2007年4月29日 (日) 13:04 (UTC)[返信]
あなたは要出典テンプレをよく使われるが、史実として確定していないと思われる内容の記事に対して要出典を貼るのは、追加情報が出にくくなる行為である。記事の成長を望むのであれば、これははがすべきである。また、私がコメントアウトした箇所は主観的な内容だった。あなたは私の編集について偏向、主観的と言うが、あなたの編集も十分主観的だった。私は記事を中立的な内容に近づけたかっただけである。以後あなたは要出典テンプレを使うときは、それによって記事の成長が妨げられることをまず考えるべきである。あなたは私の投稿ブロックを管理者掲示板に依頼されたが、元々、「警告」「荒らしとして扱う」などの感情的・脅迫的な言動を最初に取ったのはあなたであり、あの措置は報復以外の何物とも取ることはできない。私はあなたや大日本氏の記述を差し戻し削除した際、コメントをつけたはず。このコメント内容を無視しての記事復活をしておきながら、私を荒らし呼ばわり、保護解除のみを声高に要求し続けた挙句投稿ブロックまてで要請した態度は到底冷静なものとはいえず、このまま看過はできない。まずはこの件について、あなたは改めるべきである。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 15:50 (UTC)[返信]
要出典テンプレを貼り逃げするような行為は慎まれるべきですが、Wikipediaでは出典を明記することは推奨されています。他の記事には出典がないというのは日本語版がまだ十分整備されてないだけですので、出典を求められましたら可能な限り応じられたほうがよりよい記事になるとお考えください。―霧木諒二 2007年4月29日 (日) 16:40 (UTC)[返信]
「中立的な内容に近づけ」はあなたの主観であり、除去よりも出典要請をしなければならないのです。除去のほうが除去された方は今後ひるむことになりよほど、成長をはばむと思います。主観的と表するのはよいが除去はやめていただきたい。依頼というより、報告をしたわけで報復ではないことを神に誓ってもよいです。報復でないことは既に申し上げてることでありその様な事を根拠なく言うのは中傷行為ですよ。やめてください。感情的というより強く言っただけです。あなたの行為に対しては霧木さんも特殊ではあるが「荒らし」と考えているのです。--Phew 2007年4月30日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
「出典要請をしなければならない」と上から見下ろす言い方をされる謂れはない。あなたはこの百科事典の管理者ではないし、それ以上の権限を持っているわけでもない。私もあなたも一利用者に過ぎない。見解の押し付けはやめるべきだ。報復でない、というがあなたの行為は私があなたの主観と異なる考え方に基づいて編集を行ったすぐ後であり、その後も継続していることから客観的に見て、報復以外の何物でもない。霧木氏がここで議論するなと言った後、さらに報告を重ねているが、問題があるとすればあなたの報告がなくとも管理者が私の履歴を調査するだろう。あなたは私に対する印象を悪くしようとしていると取られても仕方のないこういであるとは考えないのか。中傷というが、そもそも最初に感情的・脅迫的な言辞で私を攻撃したのはあなただった。それから、他者がどのように考えているのか、憶測で断定し、その権威を借りて発言を封じる行為は私と霧木氏双方に対して非礼である。マナーをわきまえた発言を望む。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
方針文書に書いてあることですから、お願いします。やってください。あなたは方針文書にも書いていないようなことを根拠に度々編集や提案をおこなってることに気がつきませんか?
そんな理由で報告不要ならあの項目の報告コメントは全て不要ということになります。あなたが方針文書に沿って行動すれば、報告は不要なんです。
「荒らし」については露木さんの書き込みを読み間違えておりました。これはお詫びいたします。しかし、方針文書に沿った行動ではないので改めてください。--Phew 2007年4月30日 (月) 18:04 (UTC)[返信]
方針文書は確かに重視すべきものだが、自分の我侭を押し通すために用いられていいものではない。貴方は次から次へと方針文書を出しては私を攻撃しているが、その行為は我意を押し通すことのみを目的としているもので、それは編集にも如実に現れている。これらの行為は却って方針文書の権威を軽くするものである。慎まれたし。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 19:46 (UTC)[返信]
方針文書はみんなの合意に基づいて作られたものですから、わがままではないとおもいます。方針文書にそって行動したから、富田メモ否定派の保坂さんの出典も出てきたではないですか。普通皆さんは方針文書を守っているとおもいます。あなたのように方針文書にも書いていないようなことを根拠に編集をする方がわかままかとおもうのですが。どうでしょう?露木さん。--Phew 2007年5月1日 (火) 00:32 (UTC)[返信]
我侭以外の何物でもない。保坂氏の見解を発見したのは私ではない。事実を正確に挙げることもできないということは、貴方が方針文書を私への攻撃に使用している証左、新たに起こった事態を自説を強化するために利用している証左である。方針文書は重要であるが、それ以前にマナー違反の行動をあなたは犯している。今回の件について、貴方は私への反感を剥き出しにする態度を終始とっている。のみならず、富田メモの頁については私のコメントアウトをさしたる理由もなく復活させるなど編集合戦を疑われる行為を行っている。記事の中立性を確保しようという努力が見られない。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 05:59 (UTC)[返信]
落ち着いてください。相手に対して露骨な批判を強い言葉で浴びせることは、建設的な議論の妨げとなります。―霧木諒二 2007年5月1日 (火) 07:01 (UTC)[返信]
別にあなたが保坂氏の見解を発見したなんて言ってないではないですか?「そって行動した」のはテンプレートをはった人やテンプレートをはがす機会があったのにはがさなかった人、出典を出した人ですよ。あなたが含まれるのかはよく知りません。露木さんも
出典を求められましたら可能な限り応じられたほうがよりよい記事になるとお考えください
といってるではないですか?ちゃんとしたがってください。--Phew 2007年5月1日 (火) 11:57 (UTC)[返信]
なるほど、お話の向きはよく分かりました。私がPhew氏の記述を差し戻したのは、富田長官及び卜部侍従の日記の内容は史実として確定しておらず、確定した史実として昭和天皇のページに記すのは不適切である、書くべきでないと考えたからです。その後、私は大日本氏がこれを反日的な記述に改めて投稿したものをNPOV抵触として差し戻しました。しかしこの除去後にPhew氏が最初のものを改悪した記事(糾弾調の語尾など)を投稿したため、これは作為的な行動であると判断し、削除と同時に保護依頼を提出したという次第です。最後の保護依頼については、Phew氏が私が天皇時代の節に追記したA級戦犯の靖国合祀に関する記述を無視して記事の復活を行ったという事情もあります。保護依頼は悪意からのことではなく、場の荒れを防ぐための措置として行ったものです。昭和天皇の頁は少なくともあと一週間は保護されるべきです。理由としては、休日が続いて編集に携わる人数が増えるであろうことから、偏向した記事を書き込まれて荒らされる危険があること、Phew氏らの記述を復活させる、削るの編集合戦が発生すると考えられるからです。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 15:50 (UTC)[返信]
保護の期間は一ヶ月となっています。なお編集合戦の当事者はPhewさんと遠野さんのお二人ですから、お二人が編集方向について合意された場合はこれより早く解除することもできると思います。―霧木諒二 2007年4月29日 (日) 16:40 (UTC)[返信]
「改悪」とはあなたの主観に過ぎないからそういう言い方はやめませんか?せめて言うのなら根拠を示して欲しいです。結局のところ、多くは主観によって除去しているわけですね。そういうのはやめてください。それと露木さん彼は私へのコメントの口調が粗くなっています。改めるように注意していただけないでしょうか?前にノート:昭和天皇では注意申し上げたのですが。--Phew 2007年4月30日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
あなたは自分も十分主観的な物言いをしておきながら私に対して主観的であると指弾している。ダブルスタンダードである。さらに、ここで口論を誘発する発言をすることは霧木氏に対して迷惑であるから、すべきではない。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
私の主観的な物言いとはたとえばどれですか?口論を誘発したくないからお互いにそういう言い方はやめましょう。--Phew 2007年4月30日 (月) 18:04 (UTC)[返信]
揚げ足取りである。その返答自体口論を誘発する行為である。霧木氏に迷惑であるから止めるべきだと言っていることを理解されたし。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 19:46 (UTC)[返信]
でしたら最初から「主観的」とかも言わないでいただけないでしょうか?いいたいことだけいっておいて都合が悪くなると「霧木氏に迷惑であるから・・」というのはやめませんか?--Phew 2007年5月1日 (火) 00:54 (UTC)[返信]
それは全て貴方の行為である。都合が悪くなるとやめよう、と唱えてはいるが、自分から自体を収拾するための努力は全く行っていない。霧木氏に対する迷惑行為である。もう一度言う。この場での口論は迷惑行為であるから、直ちに止めるすべきだ。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 05:59 (UTC)[返信]

(話を戻します)とりあえず話を戻しましょう。争点は以下でよろしいでしょうか。お互いの行為については記事と関係ないので触れません。

  • 昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀をどう考えていたかについて、「どのような文章を」「どこに」入れるか。

Phewさんによる 2007-04-27T 6:03:48 の版では「エピソード」節に一つ下の「靖国神社のA級戦犯合祀に不快感」という節が立てられ、以下のような文になっていました(<ref>は省略してあります)。

昭和天皇は靖国神社が戦争責任者であるA級戦犯を合祀したことに不快感を抱き、1975年11月21日の参拝を最後に靖国神社へ行くことを止めた。 靖国神社の信者たちは、「昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を感じたという証拠は無い」と主張していたが、その証拠になりうる富田メモの存在が日本経済新聞によって報じられた。それでも「富田メモは捏造」等と主張する者もいたが、生前の卜部亮吾侍従が朝日新聞社に託した日記(2007年公開)に昭和天皇の参拝取りやめの理由として「A級戦犯合祀が御意に召さず」等と明記されていた為、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を覚えたという事実は確定した。

遠野能史さんによる 2007-04-28 06:09:41 (UTC) の版では、「エピソード」節の箇条書きの一つとして以下のようになっています。

いわゆるA級戦犯とされた者など、戦争を指導した重臣に対しどのような感情を抱いていたのかは不明である。法務死を遂げた東条英機に対して温情ある言葉をかけたという逸話が伝わる一方、非公式発言においてこれらの重臣の靖国神社への合祀に反対していたとも伝えられる。詳細は冨田朝彦などを参照。関係者の多くが故人となっている今、非公式発言に関する真相解明は非常に困難と言える。

この二つの文章を元に記述のすりあわせを行いましょう。よろしいでしょうか。―霧木諒二 2007年4月29日 (日) 16:40 (UTC)[返信]

同意いたします。ノート:昭和天皇にも書いていますが、私はエピソードの箇条書き以上の内容を現時点では書くべきではないと考えております。現時点において冨田メモは検証が不十分、卜部侍従日記は未だ世に出たとは言いがたい状態で、事実は確定しているとは言えず、『日記(2007年公開)に昭和天皇の参拝取りやめの理由として「A級戦犯合祀が御意に召さず」等と明記されていた為、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を覚えたという事実は確定した』の記述は明らかに書きすぎ、拙速な断定です。また冒頭の「靖国神社の信者たち」は所謂特定アジア諸国からの書き込みを思わせ、閲覧者に不快感を与える上適切な表現ではありません。直接の軍人遺族でない多くのブロガーがこの報道について批判的な見方をしていたことを確認しております。霧木諒二さんもご確認いただけると幸いです。--遠野能史 2007年4月29日 (日) 16:52 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源
個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。ブログや掲示板の発言を一意見として紹介するのも同様です。
--Phew 2007年4月30日 (月) 02:38 (UTC)[返信]
私の案はこうなります。以下は節「主な出来事」内を主張してましたが、譲歩して「エピソード」「天皇時代」へ。
  • 昭和天皇は靖国神社が戦争責任者であるA級戦犯を合祀したことに不快感を抱き、1975年11月21日の参拝を最後に靖国神社へ行くことを止めたという報道が2001年8月15日にあった。(朝日新聞)一部の人たちは、「昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を感じたという証拠は無い」と主張していたが、その証拠になりうる富田メモの存在が日本経済新聞(2006年)によって報じられた。それでも「富田メモは捏造」等と主張する者もいたが、生前の卜部亮吾侍従が朝日新聞社に託した日記(2007年4月26日公開)に昭和天皇の参拝取りやめの理由として「A級戦犯合祀が御意に召さず」等と明記されていた為、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を覚えたという事への反論は確認できなくなった。(詳細は富田メモ卜部亮吾侍従日記
    • しかし、関係者の多くが故人となっている今、非公式発言に関する真相解明は非常に困難と言える。[要出典]
以下も「エピソード」「天皇時代」へ。
  • いわゆるA級戦犯とされた者など、戦争を指導した重臣個人に対しどのような感情を抱いていたのかは不明である。法務死を遂げた東条英機に対して温情ある言葉をかけたという逸話が伝わる。[要出典]
を提案します。私はこれらの編集に全然関っていないのでノート:昭和天皇に移動したいです。--Phew 2007年4月30日 (月) 02:31 (UTC)[返信]
偏向記述を用語を和らげただけ。編集に関わっていないという発言は意味不明。荒れが予測されるため移動には反対。移動先において口論を継続する姿勢、また各所においてこれらの内容に疑問を投げかける記述に対しての要出典テンプレートの乱用が見られる。昭和天皇、富田朝彦がすでに故人であるのは事実であり、出典を必要としない。要出典テンプレートを乱用して不都合な記事を消去する行為である。
私の提案はこちら。場所はエピソード「天皇時代」へ。独立した項目を設けるほどの内容ではないと思われます。

いわゆるA級戦犯とされた者など、戦争を指導した重臣に対しどのような感情を抱いていたのかは不明である。「昭和天皇独白録」は「元来東条という人物は、話せばよく判る」「東条は一生懸命仕事をやるし、平素いっていることも思慮周密で中々良い処があった」など、天皇が法務死を遂げた東条英機に対して温情ある言葉をかけたという逸話を伝えている。一方、2001年8月15日の朝日新聞などにおいて彼らの靖国神社への合祀に反対し、これを理由として1975年11月21日の参拝を最後に靖国参拝を取りやめたとも伝えられる。これを裏付ける資料として冨田メモ卜部亮吾侍従日記などが報道で取り上げられたが、全篇は公開・刊行されておらず、検証は困難で史実として確定したとはいい難い。これらの記録類に登場する関係者の多くが故人となっている今、非公式発言に関する真相解明は非常に困難と言える。

--遠野能史 2007年4月30日 (月) 06:39 (UTC)[返信]
故人についてはよいですが、「非公式発言に関する真相解明は非常に困難と言える」については出典が必要です。--Phew 2007年4月30日 (月) 12:24 (UTC)[返信]
関係者の多くが亡くなっており、不完全な記録しか公開されていない。この状況下で真相解明が困難というのは客観的事実を述べたに過ぎず、出典を必要とするほどのことではなく、必要ない。地の文に出典を求めることは要出典の乱用に当たる。記事の成長を妨害している。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
事実だからといって、Wikipediaに載せることはできません。検証可能なことが必要です。また、関連の根拠が多く出てきているので富田メモを見れば判るように既に事実ではないでしょう。関係者が総べてなくなっている、そして今よりも密室政治が多かったであろう江戸時代以前のことでも事実として確定してることは山ほどあります。--Phew 2007年4月30日 (月) 18:04 (UTC)[返信]
強弁である。江戸時代の件は直接関係なし。1986年終戦記念日に昭和天皇が詠んだ歌については真意不明。側近の証言は氏名が不詳で、真実性が疑われる。護国神社の件については、宮内庁がどういう意図をもってこの確認を行ったかが不明。現時点で関連付けるのはこじつけである。卜部日記が発見されて以降の報道として挙げられているものは論評に過ぎない。何よりも、証拠と証するものが百出し、それについて明快に回答を下せる当事者が亡くなっていてこうした議論が出ているこの状況こそ、真相解明が困難となっているのが客観的事実であることを示している。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 19:57 (UTC)[返信]
まあ本来ならノート:昭和天皇でしょうけれども、ここで議論して後でノートのほうで「『利用者‐会話:霧木諒二』での合意により~」という形でも問題ではないと思います。
お二人の文章を読み比べみると、Phewさんは「天皇がA級戦犯合祀をどのように考えていたか」について、一方遠野さんは「天皇がA級戦犯をどのような人物と考えていたか」について記述しようとしているように感じられました。「天皇はA級戦犯とされた重臣をそれなりに評価していたが、靖国への合祀は不快に感じた」という可能性もあるわけで、お二人のずれはそのへんに由来するのではないかと思いました。
  • Phewさんに質問です。「『一部の人』による『昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を感じたという証拠は無い』」という主張の出典はありますか。
  • 遠野能史さんに質問です。『昭和天皇独白録』の東条についての言葉は、いつのものかわかりますか。--以上の署名のないコメントは、霧木諒二会話投稿記録)さんが 2007-04-30 08:22 (UTC) に投稿したものです(Phewによる付記)。←署名忘れ失礼しました。―霧木諒二 2007年5月1日 (火) 07:01 (UTC)[返信]
昭和21年3月ごろのものです。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
それは私が書いたものではないと記憶しています。出典は知らないのでそこにも「要出典」テンプレートを貼ったらどうでしょう?--Phew 2007年4月30日 (月) 08:41 (UTC)[返信]
Phewさんは「天皇がA級戦犯合祀をどのように考えていたか」について・・・記述しようとしているように感じられました。
そうではなくて、ぼくも露木さんが挙げた可能性が高いかと思ってます。ただ、後者については出典が判らないのであまり書けない状態です。思いはともかく昭和天皇へ検証可能な記事で埋めたいです。また、この二つは違う事なので、項目を別にしたほうがよいかと思います。--Phew 2007年4月30日 (月) 13:48 (UTC)[返信]
別のことではないと思われる。いずれも、昭和天皇のA級戦犯とされた重臣に対する言動に由来する。私はそう考えて、一括した記事とし、なおかつ中立性にかんがみて問題ない範囲に記事を収めることを考えた。それに別々に記述するのは記事の重複に当たる。それでは見る人が見づらかろう。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
それは元々、大日本さんが書いた(あるいは復活させた)文が元であり、それを私が荒らし行為により除去されたと判断し、取り急ぎ節を変えて復活させたものです。2007年4月28日 (土) 10:15の編集を元にしたほうがよいかもしれません。--Phew 2007年4月30日 (月) 13:15 (UTC)[返信]


「証拠」などといった、犯罪の裏づけを取るかのような語は百科事典にふさわしくないと思われる。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 06:38 (UTC)[返信]

「証拠」は民事裁判、報道においても一般に用いられるものです。どうしても心配なら小さな文字で結びつけないよう注釈を加えたらどうでしょう?--Phew 2007年4月30日 (月) 08:41 (UTC)[返信]
この場合はいかにも作為的な使用をされている。「証拠はある、だから真実だ、だから黙れ」という意味を補強しているように見え、中立的でない。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
それはちょっと考え過ぎでしょう。刑事事件でさえ、証拠は刑事側・弁護側からも出されるものです。だから証拠というのは一般にも決定的ではなく、相手を黙らすものではありません。遠野さんは自分の感情を根拠にすることが多いようですが、それはやめませんか?--Phew 2007年4月30日 (月) 18:04 (UTC)[返信]
感情ではなく、客観的な視点を心がけた結果である。貴方も感情的な視点での発言が多い。自分の発言には甘く他人の発言に厳しいのはダブルスタンダードである。--遠野能史 2007年4月30日 (月) 19:46 (UTC)[返信]
感情的というか自らの思いを根拠にするはやめていただけないでしょうか?私が感情的というとたとえばどれでしょうか?--Phew 2007年5月1日 (火) 00:35 (UTC)[返信]
発言を総合的に見れば、貴方が自己弁護を多く行い批判的な他者には攻撃的であることが良く分かる。揚げ足を取る発言も多い。自分の発言を見直し反省されたし。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 05:59 (UTC)[返信]
言葉の選択を批判するのではなく、それに対して適切な対案を提示するようにしていただけませんか。「証拠」という言葉が「犯罪の証拠」のような用例を連想させて不適切だというのなら、「それを裏付ける」とか「その説を補強する」とかいったより穏やかな表現でしたらどうでしょうか。―霧木諒二 2007年5月1日 (火) 07:01 (UTC)[返信]

インデント戻します。そうですね。配慮が欠けていました。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 16:36 (UTC)[返信]

とりあえずですね。

  • 天皇が側近にどのような感情を抱いていたのかを示す史料は少ない。『昭和天皇独白録』によれば、のちに法務死を遂げた東条英機に対して温情ある言葉をかけたという。
  • A級戦犯が合祀された後に靖国参拝を行わなかったのはこれに反対していたためだという報道がなされた。さらにこれを裏付ける富田メモ卜部亮吾侍従日記といった史料の存在が報道された。

以上二つは事実(前提)としていいですか。―霧木諒二 2007年5月1日 (火) 07:01 (UTC)[返信]

おせわになります。確認とって、細かい点でも間違っていたら撤回となりますが、とりあえずは結構です。--Phew 2007年5月1日 (火) 07:21 (UTC)[返信]
異論ありません。と、いうか、この文章を合意案としたいと思いますが、いかがでしょうか?富田メモについてはPhewさん、貴方をはじめとする諸氏が詳細な調査を行い記述を逐一補っているようだし、リンクをたどればそれだけで十分な情報が得られる内容に仕上がるのはそう遠くないだろう。卜部侍従日記についても、頁を立てた方は関心が深そうだ。あのノートでの会話から判断して、確かに成長は期待できる。いかがだろうか。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 16:36 (UTC)[返信]
第2項目のあとに「(詳細は富田メモ卜部亮吾侍従日記)」とつけ足されれば、それでよいです。--Phew 2007年5月1日 (火) 17:05 (UTC)[返信]
ではそれで、決まりということにしよう。後はお互いが出しているブロック依頼とソックパペット疑惑の件だが、相互に取り下げということでこれも決着したいが、よろしいだろうか。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 17:25 (UTC)[返信]
ソックパペットについて不明なことが多すぎるのでまだ、なんともできない。私への依頼はすぐに取り下げてして欲しい。報復でやったわけではないので交換条件にするのはおかしい。そちらは取り下げてよいと今言ったのに取り下げないなら取り引きの材料にしてるように感じ、私の心証は悪くなる。--Phew 2007年5月1日 (火) 18:42 (UTC)[返信]
あなたはよく確認もしないでソックパペットだと騒いで、利用者:無言雀師さんに指摘されて間違いを認めていたではないか。私の利用者ページにも情報を公開したのだが。同時に取り下げということで決着しようではないか。こちらだけ取り下げて、あなたは取り下げないというのではそれは不公平というものだ。私はあなたが忙しいようだったし、あなたがこちらで返事をしてくれるのを待って、あなたとこの件で合意をして、それから両者同時取り下げで事を終わらせるつもりでいたのだ。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 19:04 (UTC)[返信]
やらなければいけないあたり前のことだが今後、方針文書を遵守してくれるということなら、検討してもよいがいかがか?--Phew 2007年5月2日 (水) 23:37 (UTC)[返信]

保護解除依頼を行いました。霧木さん、場所をお借りしましたこと、どうもありがとうございます。お世話になりました。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 18:06 (UTC)[返信]

合意が成立したことを嬉しく思います。お二人が今後衝突せずに活動していけるよう祈っています。なお上記の文案はご自由に使用して構いません。おつかれさまでした。―霧木諒二 2007年5月1日 (火) 18:44 (UTC)[返信]
今すぐ解除でもよいですが、ということなら、他の人はこの合意に拘束を受けないということでお願いいたします。--Phew 2007年5月1日 (火) 19:02 (UTC)[返信]
それは私とあなただけが、この記述に関する編集に制約を受けて他の編集者は合意を無視してよい、ということだろうか。それは少し都合がよくはないだろうか?合意を形成した以上、他の編集者にも尊重してもらわねばなるまい?--遠野能史 2007年5月1日 (火) 19:12 (UTC)[返信]
どう都合がよいのですか?--Phew 2007年5月1日 (火) 19:33 (UTC)[返信]
他の編集者は好きに書いていい、としたら、富田メモのページなどから記述を持ってきて保護をかける前、私が消したあなたの編集のような記述を復元してもいいことになるのではないか、ということだ。それではここで話し合った意味がない。他の編集者もこの記述について編集するときは合意を尊重し、書き加えたいときにはノートで同意を求めるべきだ。場所を借りているのだし、霧木さんの意見も聞いてみよう。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 19:39 (UTC)[返信]
あなたの編集に復元だってできるんだから、「都合がよい」というのはおかしいだろう。あなたの考え方って全然おかしいと思うんですよ。このことでも十分理解していただけないだろうか?だから、勝手な除去などは今後やめて欲しい。いいですか?
常識なら、みんなでも合意をとるべきでしょ。なんで勝手なことやるのか理解できない。--Phew 2007年5月1日 (火) 22:28 (UTC)[返信]
とりあえず、霧木さんの裁定を待とうか。それ次第だ。--遠野能史 2007年5月2日 (水) 05:18 (UTC)[返信]
管理者になにか「裁定」の権限があるわけでもないのですが…。
まずPhewさんと遠野さんはここでの合意を守るというのはいいですよね。で、この合意に第三者が拘束されるかというのまでここなどで決めることはできないと思います。将来文章をいじる第三者も拘束されるという「ローカルルール」を作っている例もありますが、今回の合意は編集合戦を終息させるためのもので、そこまで厳格なものを求めているわけではないですから。
  1. 合意したお二人は、今回問題になった文章を改変するときはあらかじめノートで提案し反対がないことを確認する。異論が出た場合適切な表現になるよう案を出し合う。
  2. 第三者が編集することは禁じられないが、ここが改変された場合、ノートもしくは会話ページで意図を確認する。反応がなければ差し戻してもよい。
くらいのラフな合意とするのが無難だと思います。なおお二人に念を押しておきたいのですが、第三者を装って編集することと、第三者の編集を相手のソックパペットだと非難するのは不毛かつ不幸な結果しか招かないのでお控えください。―霧木諒二 2007年5月2日 (水) 10:19 (UTC)[返信]
どうもお世話になります。それでもよいのですが、我々で勝手に決めた文を少しでも特別扱いするのは皆さんに申し訳ないです。露木さんも
ここで議論して後でノートのほうで・・・
とおっしゃってましたし。たたき台となった文も私が書いたものではないし。よいのでしょうか?
それと今後彼が方針文書にそって行動し、同意のない除去(荒らし対応(どの荒らしかと問合せがあった場合はきちんと答える)や他記事への移動は可。移動合戦は不可。)をやめる事を約束させて欲しいです。(今は守ってないことも彼がみとめる。)--Phew 2007年5月2日 (水) 15:07 (UTC)[返信]
遠野さん、「他の人はこの合意に拘束を受けない」というのが私に都合が良いことではないことは理解していただけたでしょうか?今後はそんな因縁つけるのはやめてくださいな。--Phew 2007年5月2日 (水) 23:37 (UTC)[返信]

とりあえず、今夜はここまでとしよう。お互い寝なくてはならないだろうし、仕事もあるだろう。明日に差し支えてはいけない。明日にでもゆっくり話そう。--遠野能史 2007年5月1日 (火) 19:43 (UTC)[返信]