ノート:エコファシズム
日本の生類憐れみの令や安楽死思想
[編集]「環境保護や動物愛護などを名目として、全体主義的な政策を推進しようとするイデオロギーの一種である。例として、日本の生類憐れみの令や、ナチス・ドイツにより追行された安楽死思想などが挙げられる。」との記述ですが、環境保護等の政策によって規制される業界側等が、一方的に「全体主義的」と非難することはよくあることですが、この手の批判は、基本的に規制を求める側と規制を逃れたい側の意見対立に過ぎないものであり、これらの規制が「全体主義的な政策を推進しようとするイデオロギーの一種である」と決め付けるに足る客観的な根拠には乏しいと思量されます。また、「生類憐みの令」や「安楽死」についても、それぞれ異なる思想・理念に拠るものであり、「全体主義」とは異なるものと考えられます。 内容的にも環境保護や動物愛護といった政策を一方的に非難する内容に偏っており、演説目的の独自研究に該当する虞が強い状態となっておりますので、百科事典として載せるには中立的な観点を踏まえた改訂を行う必要があるものと思われます。--Folivora 2009年3月28日 (土) 15:14 (UTC)
- 肝心の生類憐れみの令も過去の評価を歴史的に見直す意見もあり、特に犬の収容に関しては野犬収容のためという説も意外に古くから存在するようです。江戸の治安の為の法令が理解されずに全体主義的とされるいわれはありません。野放しの犬に囲まれて暮らせるのなら別ですが。生類憐れみの令#見直し論参照。--219.110.68.1 2009年6月14日 (日) 17:17 (UTC)
- そもそも、一般的にエコファシズムに過度な動物愛護主義が含まれるかどうかについて疑問があります。「地球環境保護という全体の利益は大切なので、個々の諸事情を無視してでもその正義を実現する」といったラディカルすぎる環境保護主義を、全体主義的面が潜む環境保護主義として「エコファシズム」と呼ぶことはあると思いますので、エコファシズムという用語自体には問題無いと思いますが・・・。--Kakkii+ 2009年11月25日 (水) 01:52 (UTC)
- 動物愛護について、エコファシズムになるという出典のない定義は、修正してもよいと思われます。--Nife 2009年11月25日 (水) 21:53 (UTC)
- 事例のどのあたりがエコファシズムなのかが分かる書き方に改める必要がありますね。--Kakkii+ 2009年12月23日 (水) 17:34 (UTC)
中立的な観点の原則
[編集]211.5.13.227さんへ。無用なリバートの繰り返しで、資源が浪費されています。Wikipediaの原則であるWikipedia:中立的な観点をよく読んでから編集に参加してください。--Nife 2009年11月26日 (木) 13:25 (UTC)
211.5.9.2さんへ。ご自分の意見と本文の記述が違うことは理解できますが、どの文章にも記述した人に考えがあります。Wikipedia:中立的な観点では、両論併記が大原則ですので、削除ではなく、反対意見の記述を書き足してください。--Nife 2009年11月27日 (金) 23:41 (UTC)
「エコファシズムに関する論説」か「地球温暖化に関する議論」か
[編集]私(Nife)による2009年12月1日(火)15:22時点における版とBeatsanmaさんによる2009年12月2日(水)02:47 時点における最新版を比べてご判断ください。
槌田敦による『まず賢人が「良いこと」を決める。その「良いこと」を庶民は信じて、全体が乱れず大衆的に運動する。政治勢力は綿密な計略で大衆を取り込む。「良いことをしているのに、なぜ妨害するのか」と考えたところから、ファシズムが大手を振って歩き出す。そして、その運動の妨害者を排除して、運動はますます先鋭化していく。』の記述をどうしても隠したい編集者がいらっしゃるようです。編集合戦になることは本意ではありませんので、ノートで皆さんのご意見を伺いたいと思います。
そもそも本稿は、エコファシズムを解説するところなので、槌田による「善意がエコファシズムを作る」という論説は注目に値します。この節では、地球温暖化がどうのこうのということは脇道であり、エコファシズムの社会的な発達過程を述べたものです。最初の原稿どおり「エコファシズムに関する論説」という題に戻し、脚注に追い込まれている記述を本文に戻すことを提案します。--Nife 2009年12月2日 (水) 13:03 (UTC)
「エコ信者」という言葉もそうですが、「善意」や「正義」によって環境保護が錦の御旗になって、前提を疑うことをせず、反対するもの疑問を呈するものを排斥することを懸念・揶揄する使用法というのは、日本語においての使用法として、一般的なものではないかなと、私は思います。ただ「転じて」そのような使用法が「日本語において」使用されていることと、彼らの主張自体の問題は別なので、記載方法は少し考えないといけないかもしれませんね。--Kakkii+ 2009年12月7日 (月) 06:27 (UTC)
エコファシズムに関する論説という点に絞って記述すれば、「地球温暖化懐疑論者の槌田敦は、人為CO2温暖化説の研究者の主張を盲目的に信じ、その正義や善意のためには、反対する者・異論を述べる者を排除をすることは構わないという姿勢は、エコファシズムに繋がる姿勢であるとの批判を行っている。」という感じですかね。--Kakkii+ 2009年12月23日 (水) 17:08 (UTC)
Kakkii+さん、掲載の支持意見をいただきありがとうございます。本稿では地球温暖化懐疑論の是非というよりも、エコファシズムの成立過程に注目したいので、『[地球温暖化|CO2温暖化説]]の現状がエコファシズムになっていると指摘している。』の部分を削除して記載しました。補筆していただけると幸いです。--Nife 2010年1月6日 (水) 21:37 (UTC)
しばらく見ない間に様変わりしていましたね。槌田氏の主張は良いんですが、これ実例があるんでしょうか?。いくら出典があっても槌田氏の妄想では話になりません。逆に言えば、実例が伴わない限り、「妄想かもしれない」という程度に薄い主張です。--葛餅 2010年1月10日 (日) 02:39 (UTC)
- 余談ですが、先ごろ出た『13歳からの反社会学』角川書店「踊る懐疑論6 「陰謀始めました」」(パオロ・マッツァリーノ著)で槌田氏とはいいませんが、よい事とされることが、エコの行為であり、それに陰謀があるのである、というのであれば、反温暖化論者の傾向として、そういう陰謀なり利権が取りざたされる・・・が、温暖化の方では80%なり60%なりの確実性を提示したりと、不利になるような情報まで提示しており、そんな分かりやすい陰謀は見た事がないと揶揄されています。ましてや実例も伴わない記述では出典無効を貼られても然程文句は言えないぐらいのものではないでしょうか。山本弘氏も陰謀があるといいながら実例を出してくれないと不満を述べています。--葛餅 2010年10月1日 (金) 21:29 (UTC)
山本弘氏の不満は、書籍を当たったところ、槌田氏の件の書籍への批判でした。追記しておきます。つまり、この文章に関する実例は存在しない、或いは証明されてないとみなせるでしょう。--葛餅 2010年11月1日 (月) 16:22 (UTC)
半保護
[編集]海獺さま、記事の半保護ありがとうございました。そして、記事を編集したBeatsanmaさんとInzeiuhauhaさんが無期限ブロックになりました。原稿はこのまま差し戻してもよいのですが、Nifeばかりの判断で差し戻すのもどうかと思いましたので、その他の編集者のみなさんに賛同をいただいてから差し戻させていただきたいと思います。1週間お待ちしますので、ご意見をください。--Nife 2009年12月5日 (土) 14:55 (UTC)
問題ある投稿者
[編集]Nife氏の投稿履歴を見て多数の問題が発覚しました。ノート:武田邦彦において、過去の問題編集が多数列挙されています。またノート:地球温暖化に対する懐疑論もご覧ください。複数にさとされながらもそれを理解せず(もしくは理解できないふりをして)槌田教授の信頼性を強調しようとしています。実際は(少なくとも気象に関しては)まともな論文のない人であることを隠そうとしています。
そしてここの編集はその槌田教授の本のみを出典とするものであり、明らかに不適当です。自身のブログ等で意見を展開するべきであり、wikpediaを私物化するべきではありません。 これを認めたら以下のようなトンデモもみな記載しなくてはならなくなるので、見張りが必要です:
- 相対論は間違っている!しかし論文投稿しても掲載拒否された!物理学会はファシズムだ!
- ジンギスカンは日本人だ!というか、ずばり源義経だ!なのに学会も否定し、wikipediaも源義経の記事で間違いと断言している!歴史学会もwikipediaもファシズムだ!みんなファシズムだ!!!--121.113.81.188 2009年12月6日 (日) 07:29 (UTC)
日本語における「エコファシズム」という言葉の使用法そのものが、環境保護主義を揶揄して使用されることが多い言葉ですから、温暖化懐疑論者が温暖化に対して揶揄している使用例としての出典であれば、私は、違和感はありません。(あくまで温暖化の記事の出典ではなく、「エコファシズム」に関する出典ですので)。--Kakkii+ 2009年12月6日 (日) 13:10 (UTC)
エコファシズムの意味をここの英語版や他の資料から良く考えていただきたいものです。本ノートの上でも、本記事に挙がってる事例がファシズムであるか疑問が呈されています。この語は主に動物実験に反対して実験施設に爆弾テロを起こすような人たちのことです。科学とは間違いにははっきりと間違いと言うものであり、地球温暖化分野に特有のファシズム的性格が証明されない限り、記載に値しません(際限なくなります)。懐疑論に関するノートページを見ると、槌田氏は査読に通らなかった論文を交渉して機関誌に載せてもらった、と。ファシズムとは逆にずいぶん寛容な扱いを受けて幸せな方だなと思います。--以上の署名のないコメントは、ソリトソ(会話・投稿記録)さんが 2009年12月7日 (月) 03:30 (UTC) に投稿したものです。
そもそも
[編集]記事全体の内容が薄すぎ、一体何を説明しようとしているのか理解に苦しみます。数少ない例が、哀れみの霊のように両論あるもの、削除された温暖化のように間違いが指摘されているもの。記事そのものの存在意義が(現状では)認められません。英語版の翻訳なりで充実させるか、できなければ記事削除を考えてくれ。--210.196.9.138 2009年12月8日 (火) 11:13 (UTC)
「環境倫理思想におけるエコファシズム」として、派生的な用法ではない、エコファシズムについての記述を追加してみました。--Kakkii+ 2009年12月29日 (火) 08:13 (UTC)