プロテインホスファターゼ1

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PP1はグリコーゲン代謝に関与しており、ホスホリラーゼabの間の相互変換を担う。

プロテインホスファターゼ1: protein phosphatase 1、略称: PP1)は、プロテインセリン/スレオニンホスファターゼ英語版と呼ばれるホスファターゼのクラスに属する。このタイプのホスファターゼには、金属依存性プロテインホスファターゼ(PPM)とアスパラギン酸ベースのホスファターゼが含まれる。PP1はグリコーゲン代謝の制御、筋収縮神経活性、RNAスプライシング有糸分裂[1]アポトーシスタンパク質合成、膜受容体チャネルの調節に重要であることが知られている[2]

構造[編集]

PP1は触媒サブユニットと、少なくとも1つの調節サブユニットから構成される[3][4]。触媒サブユニットは30 kDaの単一ドメインからなるタンパク質で、他の調節サブユニットと複合体を形成する。触媒サブユニットは全ての真核生物の間で高度に保存されており、そのため共通した触媒機構が存在することが示唆される。触媒サブユニットはさまざまな調節サブユニットと複合体を形成することができる。これらの調節サブユニットは、基質特異性や細胞内区画化に重要な役割を果たしている。一般的な調節サブユニットとしてはGM(PPP1R3A英語版)やGL(PPP1R3B)があり、これらの名称は体内で作用する部位(それぞ筋肉'muscle'と肝臓'liver')に由来している[5]出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeでは1つの触媒サブユニットがコードされているのみであるが、哺乳類には3つの遺伝子にコードされる4つのアイソザイムが存在し、そのそれぞれが異なるセットの調節サブユニットと結合する[4]

PP1の触媒サブユニットはX線結晶構造解析による構造データが利用可能である[3]。PP1の触媒サブユニットはα/βフォールドを形成し、中心部のβサンドイッチが2つのαヘリカルドメインの間に挟まれた配置となっている。βサンドイッチの3つのβシートの相互作用は触媒活性のためのチャネルを形成し、金属イオンの配位部位となっている[6]。金属イオンはマンガンであることが同定されており、3つのヒスチジン、2つのアスパラギン酸、1つのアスパラギンがそれらに配位する[7]

PP1の触媒機構には、2つの金属イオンと水分子が関与する。

機構[編集]

触媒機構は2つの金属イオンと水分子が関与し、水分子がリン原子に求核攻撃を開始する[8]

調節[編集]

PP1の潜在的阻害剤としては、下痢性貝毒で強力な発がんプロモーターであるオカダ酸、他にはミクロシスチンなどの天然に産生するさまざまな毒素が挙げられる[9]。ミクロシスチンは藍藻によって産生される毒素で、PP1触媒サブユニット表面の3つの領域と相互作用する環状ヘプタペプチド構造を含んでいる[10]ミクロシスチン-LR英語版(MCLR)とPP1との複合体形成によって、MCLRの構造は変化しないが、PP1触媒サブユニットはTyr276とMCLRのMdha部位との立体障害を避けるために構造が変化する[7]

生物学的機能[編集]

PP1は肝臓での血糖値の調節とグリコーゲン代謝に重要な役割を果たしている。PP1はグリコーゲン代謝の相互調節に重要であり、グリコーゲンの分解と合成が反対方向に調節されるよう保証している。ホスホリラーゼa肝細胞におけるグルコースセンサーとして機能する[11]。グルコースレベルが低いときには、活性型であるR状態のホスホリラーゼaはPP1を強固に結合している。このホスホリラーゼaへの結合はPP1のホスファターゼ活性を阻害し、グリコーゲンホスホリラーゼを活性のあるリン酸化型構造に維持する。そのため、ホスホリラーゼaは適切なグルコースレベルが達成されるまでグリコーゲン分解を加速する[11]。グルコース濃度が高くなりすぎると、ホスホリラーゼaは不活性なT状態へと変換される。ホスホリラーゼaのT状態への遷移によって、PP1は複合体から解離する。この解離によってグリコーゲンシンターゼは活性化され、ホスホリラーゼaはホスホリラーゼbへ変換される。ホスホリラーゼbはPP1を結合しないため、PP1の活性化状態が維持される[11]

筋肉がグリコーゲン分解やグルコース濃度の増加が必要であるというシグナルを発すると、それに従ってPP1は調節される。プロテインキナーゼAはPP1の活性を低下させることができる。GMのグリコーゲン結合領域がリン酸化されると、PP1の触媒サブユニットの解離が引き起こされる[11]。触媒サブユニットの解離によって脱リン酸化活性は大きく低下する。また、他の基質がプロテインキナーゼAによってリン酸化され、PP1の触媒サブユニットに直接結合することで阻害を行う[11]

疾患との関係[編集]

アルツハイマー病では、神経細胞において微小管結合タンパク質の過剰なリン酸化によって微小管の重合が阻害される。アルツハイマー病患者の灰白質白質の双方において、PP1の活性が大きく低下していることが示されている[12]。このことは、ホスファターゼの機能異常がアルツハイマー病に関係していることを示唆している。

PP1はHIV-1の転写の重要な調節因子として機能することが知られている。HIVのTatタンパク質はPP1をへ標的化し、その後の相互作用はHIV-1の転写に重要であることが示されている[13]。また、PP1はエボラウイルスの転写活性化因子VP30を脱リン酸化することでウイルスmRNAの産生を可能にし、その病原性に寄与している。PP1の阻害によってVP30の脱リン酸化が妨げられ、その結果ウイルスmRNA、そしてウイルスタンパク質の合成が防がれる。しかしながら、ウイルスのLポリメラーゼはPP1によるVP30の脱リン酸化がなくともウイルスゲノムを複製することができる[14]

単純ヘルペスウイルスタンパク質ICP34.5英語版はPP1を活性化し、ウイルス感染に対するストレス応答を克服する。プロテインキナーゼRはウイルスの二本鎖RNAによって活性化され、eIF2α英語版と呼ばれるタンパク質をリン酸化しeIF2英語版を不活性化する。eIF2は翻訳に必要であるため、細胞はeIF2の不活性化によって自身のタンパク質合成装置がウイルスに乗っ取られることを防ぐ。ヘルペスウイルスはこの防御機構に打ち勝つため、ICP34.5を進化させている。ICP34.5はPP1を活性化し、eIF2αを脱リン酸化することで翻訳を再び可能にする。ICP34.5はPP1の調節サブユニット15A/BのC末端の調節ドメインと共通した構造を持っている(InterPro英語版IPR019523[15]

サブユニット[編集]

protein phosphatase 1, catalytic subunit, alpha isozyme
識別子
略号 PPP1CA
他の略号 PP1, PP1a, MGC15877, MGC1674, PP-1A, PP1alpha, PPP1A
Entrez英語版 5499
HUGO 9281
OMIM 176875
RefSeq NP_002699.1
UniProt P62136
他のデータ
EC番号
(KEGG)
3.1.3.16
遺伝子座 Chr. 11 q13
テンプレートを表示
protein phosphatase 1, catalytic subunit, beta isozyme
識別子
略号 PPP1CB
他の略号 PP1, PP1b, PP1beta, PP-1B; PPP1CD; MGC3672; PP1beta; PPP1CB
Entrez英語版 5500
HUGO 9282
OMIM 600590
RefSeq NP_002700.1
UniProt P62140
他のデータ
EC番号
(KEGG)
3.1.3.16
遺伝子座 Chr. 2 p23
テンプレートを表示
protein phosphatase 1, catalytic subunit, gamma isozyme
識別子
略号 PPP1CC
他の略号 PP1gamma, PP1y, PP1gamma, PPP1G
Entrez英語版 5501
HUGO 9283
OMIM 176914
RefSeq NP_002701.1
UniProt P36873
他のデータ
EC番号
(KEGG)
3.1.3.16
遺伝子座 Chr. 12 q24
テンプレートを表示

PP1は多量体型酵素であり、次に挙げるサブユニットを含んでいる可能性がある[16]

上述した通り、触媒サブユニットは常に1つ以上の調節サブユニットと結合している。触媒サブユニットへ結合するコア配列モチーフは"RVxF"であるが、他の部位に結合する別のモチーフも利用される。一部の複合体は2つの調節サブユニットが結合していることが2002年と2007年に報告されている[4]

出典[編集]

  1. ^ “Distinct roles of PP1 and PP2A-like phosphatases in control of microtubule dynamics during mitosis”. The EMBO Journal 16 (18): 5537–49. (September 1997). doi:10.1093/emboj/16.18.5537. PMC 1170186. PMID 9312013. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1170186/. 
  2. ^ “Identification of binding sites on protein targeting to glycogen for enzymes of glycogen metabolism”. The Journal of Biological Chemistry 275 (45): 35034–9. (November 2000). doi:10.1074/jbc.M005541200. PMID 10938087. 
  3. ^ a b “Three-dimensional structure of the catalytic subunit of protein serine/threonine phosphatase-1”. Nature 376 (6543): 745–53. (August 1995). Bibcode1995Natur.376..745G. doi:10.1038/376745a0. PMID 7651533. 
  4. ^ a b c “From promiscuity to precision: protein phosphatases get a makeover”. Molecular Cell 33 (5): 537–45. (March 2009). doi:10.1016/j.molcel.2009.02.015. PMID 19285938. 
  5. ^ “PPP1R6, a novel member of the family of glycogen-targetting subunits of protein phosphatase 1”. FEBS Letters 418 (1–2): 210–4. (November 1997). doi:10.1016/S0014-5793(97)01385-9. PMID 9414128. 
  6. ^ “Structural basis for the recognition of regulatory subunits by the catalytic subunit of protein phosphatase 1”. The EMBO Journal 16 (8): 1876–87. (April 1997). doi:10.1093/emboj/16.8.1876. PMC 1169791. PMID 9155014. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1169791/. 
  7. ^ a b “The structure and mechanism of protein phosphatases: insights into catalysis and regulation”. Annual Review of Biophysics and Biomolecular Structure 27: 133–64. (1998). doi:10.1146/annurev.biophys.27.1.133. PMID 9646865. 
  8. ^ “Crystal structure of Ssu72, an essential eukaryotic phosphatase specific for the C-terminal domain of RNA polymerase II, in complex with a transition state analogue”. The Biochemical Journal 434 (3): 435–44. (March 2011). doi:10.1042/BJ20101471. PMID 21204787. 
  9. ^ “Serine/threonine protein phosphatases”. The Biochemical Journal 311 ( Pt 1) (1): 17–29. (October 1995). doi:10.1042/bj3110017. PMC 1136113. PMID 7575450. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1136113/. 
  10. ^ “Cyanobacterial microcystin-LR is a potent and specific inhibitor of protein phosphatases 1 and 2A from both mammals and higher plants”. FEBS Letters 264 (2): 187–92. (May 1990). doi:10.1016/0014-5793(90)80245-E. PMID 2162782. 
  11. ^ a b c d e Berg, Jeremy Mark; Stryer, Lubert; Tymoczko, John L (2010-12-24). Biochemistry (7th ed.). New York: W.H. Freeman. ISBN 978-1-4292-2936-4 
  12. ^ “Phosphoprotein phosphatase activities in Alzheimer disease brain”. Journal of Neurochemistry 61 (3): 921–7. (September 1993). doi:10.1111/j.1471-4159.1993.tb03603.x. PMID 8395566. 
  13. ^ “Regulation of HIV-1 transcription by protein phosphatase 1”. Current HIV Research 5 (1): 3–9. (January 2007). doi:10.2174/157016207779316279. PMID 17266553. 
  14. ^ “Role of protein phosphatase 1 in dephosphorylation of Ebola virus VP30 protein and its targeting for the inhibition of viral transcription”. The Journal of Biological Chemistry 289 (33): 22723–38. (August 2014). doi:10.1074/jbc.M114.575050. PMC 4132779. PMID 24936058. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4132779/. 
  15. ^ “Oncolytic herpes simplex virus engineering and preparation”. Oncolytic Viruses. Methods in Molecular Biology. 797. (2012). pp. 1–19. doi:10.1007/978-1-61779-340-0_1. ISBN 978-1-61779-339-4. PMID 21948465 
  16. ^ “Protein phosphatase 1--targeted in many directions”. Journal of Cell Science 115 (Pt 2): 241–56. (January 2002). PMID 11839776. 

外部リンク[編集]