Category‐ノート:教会

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Category:教会を立ち上げた理由は、教会堂とは別の概念の教会のカテゴリが必要だと思ったからです。教会堂が有名でなくても、組織としての教会としては特筆性のある教会があります。それを、Category:教会堂にカテゴライズするのは良くないと考えました。そのカテゴリーをどのように使うか考えていきたいと思います。--More blessing会話2014年11月2日 (日) 03:56 (UTC)[返信]

質問 なぜ当カテゴリと同時にCategory:キリスト教の教会を作成されたのか、意図がわかりません。当カテゴリは「キリスト教の教会」のカテゴリですよね? 他宗教の「教会」の分類は想定していませんよね?--モンゴルの白い虎会話2014年11月4日 (火) 23:39 (UTC)[返信]
ご質問ありがとうございます。Category:長老派の教会Category:会衆派の教会Category:メソジスト派の教会Category:バプテスト派の教会を作成しましたので、その上位に来るCategory:キリスト教の教会が必要であったというのが理由です。詳しくは「教会」の記事を見ていただければと思いますが、天理教金光教、などの多宗教でも教会という用語が定着していることは周知のことと思います。将来、仮に誰かがCategory:天理教の教会を作成することがあった場合、天理教などの多宗教の教会のカテゴリを、キリスト教のそれぞれの教派の教会のカテゴリと区別するためにCategory:キリスト教の教会が必要だと思ったからです。それは、今のところ仮定にすぎません。私は「天理教」「金光教」に関しては専門外なので、それらのカテゴリが必要性ははっきり言えません、また私が今のところ作る予定もありません。しかし、もしそれを作られる人がいる場合を考えました。--More blessing会話2014年11月5日 (水) 11:16 (UTC)[返信]
コメント 同じ「教会」の呼称を用いるからといって、他の(非キリスト教系の)宗教まで手を広げるのは、混乱を招く可能性の方が高く、キリスト教だけでカテゴリをまとめていただきたいと思います。よって、Category:教会Category:キリスト教の教会の統合を提案します。具体的には、一方のみを残し、もう一方をMore blessingさん自身によって即時削除依頼していただきたいと思います。--モンゴルの白い虎会話2014年11月5日 (水) 13:10 (UTC)[返信]
コメントモンゴルの白い虎さんのご提案の内容は理解しました。しかし、現在の段階では統合には賛成できません。今後のキリスト教関係のカテゴリの方向性を考えていくためにも、他の人の意見も参考にして、もう少し議論を深める時間をいただきたいと思います。--More blessing会話2014年11月5日 (水) 13:58 (UTC)[返信]
コメント これはキリスト教POVと言われるかもしれませんが、日本語話者の1000人に999人が、「教会」と聞けばキリスト教の教会しか思い浮かべないと思います。事実、日本語Wikipediaには天理教・金光教の教会についての項目は現在3項しかありません。既存のものをCategory:キリスト教の教会へ統合し、Category:教会を削除することを希望します。また同様に、Category:日本の教会Category:山口県の教会Category:北海道の教会もそれぞれ「〜のキリスト教教会」へ改名することを提案します。単に「教会」という一般名詞を共有しているというだけの理由で、キリスト教の教会と天理教の教会と金光教の教会を同じカテゴリにまとめるのはあまりにも乱暴です。 --Tonbi_ko会話2014年11月7日 (金) 05:45 (UTC)[返信]
Tonbi_koさん
有益なご意見ありがとうございます。自分はキリスト教徒ですので基本的には「教会=キリスト教」という考えです。ですから、無意識のうちにキリスト教POVを強く持っています。ですから、なおさら自分にはバランス感覚が必要であると思っていました。ですから、「教会≒キリスト教」また「教会≠キリスト教」(ほとんどありえませんが)とお考えのお方が、1000人に1人でもおられたら、その人のお考えと切り捨てないで、調和していければいいと考えています。ですので、天理教の信者の方などがおられたら、是非ご意見を伺いたいと思います。最初、モンゴルの白い虎さんから提案された統合案も合理的ではないかと考え始めています。そうすると、Category:かつて存在した教会Category:かつて存在したキリスト教の教会へ変更するのが良いかと思います。Category:キリスト教終末論は、キリスト教以外にも終末論(末法思想など?)はありますのでいいと思います。自分の感覚から言いますと、Category:教会論Category:キリスト教の教会論へ改名するとしたら、またCategory:教会史Category:キリスト教の教会史への改名するとしたら、理屈としては通りますが、非常な違和感を感じます。人によって違和感を感じたりするポイントは異なると思いますので、いろいろな意見を出し合って今後議論していければと思います。--More blessing会話2014年11月10日 (月) 02:09 (UTC)大幅訂正[返信]
なんだか前回のわたしの文章が前後繋がっていなかったようですみません。「無意識のうちにキリスト教POVを強く持っています。ですから、なおさら自分にはバランス感覚が必要であると思っていました」であればこそ、「教会といえばキリスト教だよね。この項目の中身の件数みればわかるよね」となってしまうカテゴリは作成すべきではないでしょう。POVにならないようにするためにこそ、はっきりと「Category:キリスト教の教会」というカテゴリ名にするべきではないでしょうか? 愛すべき兄弟姉妹にあまりこのようなことを言いたくはないのですが、牧師の子弟の件についても、以前に自分が特筆性の低い記事を大量に作った反省があるからといって、特筆性をタテに記事立項の基準を厳しくしようとする事についても、どうもMore blessingさんには、「現実を肯定し押し通すために、本来の理念をないがしろにする」傾向があるように見えて仕方がありません。 --Tonbi_ko会話2014年11月11日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

コメント これ以上個別のノートにバラバラにコメントしていても話が拡散するだけなので、プロジェクト‐ノート:キリスト教#「教会」「教会堂」「聖堂」カテゴリ全体、および独立記事作成の基準についてでまとめて扱いましょう--モンゴルの白い虎会話2014年11月11日 (火) 13:40 (UTC)[返信]

モンゴルの白い虎さん、ありがとうございます。是非、そちらの方にステージを移して議論を継続しましょう。
Tonbi_koさん、わたしの記述が、不正確で誤解を与えたようで申し訳ありません。わたしが、「現実を肯定し押し通すために、本来の理念をないがしろにする」というご指摘がありましが、それは誤解です。私は、Wikipediaの本来の理念を大事にしつつ、Wikipediaの質の向上を目指しています。(不十分とのご指摘を受けるかもしれませんが、途上にあろうともそれを目指しています。)ですから、私の投稿や編集作業について、間違っているとのご指摘を受けたなら、自分の意見を明確に述べた上で、しっかり議論し、その上で、議論した結果行きついたみんなの結論がWikipediaにとって必要であるのであれば、どのような結論でも受け入れるつもりでいます。繰り返しになりますが、私自身はリアルの立場上キリスト教POVに偏りやすい傾向があります。しかし、それでも私の目標はキリスト教POVに偏らないように、中立性を高めていくことです。それが、wikipediaの「本来の理念」であると思っています。
実は、建物という概念のCategory:教会堂というカテゴリに対しに対して、建物ではない教会の概念のカテゴリーの必要性を考えて、Category:教会及びCategory:日本の教会を立ち上げました。そして、すでにあったCategory:山口県の教会の路線に乗り、最初にCategory:北海道の教会を立ち上げました。しかし、これでは中立性に問題があると考え、「教会」という名称を使用しているのはキリスト教ではないという事実を考えて、中立性を考慮しCategory:キリスト教の教会を立ち上げました。その経緯をご理解いただければと思います。キリスト教以外の宗教で「教会」という名称を使う場合を考え、中立性を保つためにCategory:教会は残しておくべきであるという考えのもとに議論を始めました。しかし、議論が進行するにつれて、このカテゴリーの扱いについてはご指摘のように、混乱を招く可能性があるので、Category:キリスト教の教会に統一するのがベターであるという結論に自分では達しています。その点ではTonbi_koさんと意見は同じです。しかし、「~キリスト教の○○」という名称について、他のケースでも同様に適用できるかについては、今後議論していく必要があるということです。また、特筆性のことは本来のWikipediaの理念でありますし、記事の質の向上のためには、単に「厳しくしていく」のではなく、Wikipedeiaの理念にそった記事を追及していくことが必要不可欠です。実際、キリスト教関係の記事は、特筆性については基準が低い傾向にあると思いますので、今後、キリスト教関係の記事について、特筆性について議論していくことは必要なことであると思います。議論の上で、最善の結論に従います。決して「押し通す」ようなことは致しません。ですから、自らが投稿した記事の特筆性についても、ご指摘をいただければ真摯に議論していくつもりです。以上の意味で、「本来の理念」を大切にしてきたいと願っていることを、ご理解いただければと思います。--More blessing会話2014年11月12日 (水) 03:04 (UTC)[返信]