ニコラ・サーラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Cewbot (会話 | 投稿記録) による 2021年1月29日 (金) 21:42個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (bot: 解消済み仮リンクアポストロ・ゼーノを内部リンクに置き換えます)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ニコラ・サーラ
Nicola Sala
基本情報
生誕 1713年4月7日
ナポリ王国トッコ・カウディオ
死没 (1801-08-31) 1801年8月31日(88歳没)
ナポリ王国の旗 ナポリ王国ナポリ
ジャンル クラシック
職業 作曲家音楽理論家

ニコラ・サーラ(Nicola Sala, 1713年4月7日 - 1801年8月31日)は、イタリア作曲家音楽理論家

生涯

サーラはトッコ・カウディオに生まれた。彼は1732年から1740年にかけて、ナポリピエタ・デイ・トゥルキーニ音楽院において、ニコラ・ファーゴレオナルド・レーオの下で研鑽を積んだ。彼の最初の作品と目されるのがオペラ「Vologeses」であり、1737年ローマで初演された。1745年にはレーオの跡を継いでロイヤル・チャペルの楽長職に就いた。サン・カルロ劇場で上演された彼の作品の中でも、「Zenobia」は好評を博した。彼は他にもオペラ、オラトリオミサ曲カンタータなどを作曲している。

サーラはナポリの重要な音楽指導者の1人であった。彼は母校の音楽院で47年間教鞭を執ったが、1787年には副学長に就任、さらに1793年から1799年には学長を務めた。彼の門下には多くの作曲家がおり、フェルディナンド・オルランディアンブロジオ・ミノーヤなどがその一例である。彼は学術論文の執筆もいくつか行っており、「対位法実践の規則 Regole del contrappunto pratico」は1794年にナポリで出版された。また、彼は職務の傍ら、献身的に良質の出版譜の収集に努めた[1]。彼はナポリで没している。

近年、彼の作品がベネヴェントの音楽院で発見された。ナポリ、ローマ、パリの大学の古文書解読者とラテン語学者の協力により、毎年彼のオペラやオラトリオが上演されている。

主要作品

オペラ

他のジャンル

  • Giove, Pallade, Apollo (カンタータ、1763年、ナポリ)
  • Il giudizio d'Apolloセレナード、Giovanni Fenizia台本、1768年、ナポリ)
  • Erto, Ebone, Arminio (カンタータ、1769年ん、ナポリ)
  • La bella eroina (プロローグ、1769年、ナポリ)
  • Varie アリア
  • Judith seu Bethuliae liberatio-Giuditta ossia La Betulia liberata (オラトリオ、台本作者未詳、2007年、ベネヴェント)

理論書

  • Regole del contrappunto pratico (1794年、ナポリ)
  • Principi di contrappunto
  • Elementi per ben suonare il cembalo
  • Disposizione a tre per introduzione alle fughe di tre parti
  • Il modo di disporre a tre sopra la scala diatonica
  • Disposizioni imitate a soggetto e contrasoggetto
  • Fughe con soggetto e contrasoggetto a suono plagale

脚注

出典