第98親衛空挺師団 (ロシア空挺軍)
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第98親衛空挺師団 | |
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創設 | 1944年5月3日 |
所属組織 | ロシア空挺軍 |
兵科 | 空挺兵 |
部隊編制単位 | 師団 |
任務 |
空挺 ヘリボーン 平和維持活動 |
標語 |
名誉と祖国は、全てに勝る Честь и Родина превыше всего |
主な戦歴 |
第二次世界大戦 アフガニスタン侵攻 第1次チェチェン戦争 第2次チェチェン戦争 2022年ロシアのウクライナ侵攻 |
指揮 | |
現司令官 | ヴィクトル・グナザ |
第98親衛空挺師団(98-я гвардейская воздушно-десантная дивизия;略称98 гв.ВДД)は、ロシア空挺軍の師団の1つ。イワノヴォに駐屯。「赤旗勲章」、「クトゥーゾフ二等勲章」、名誉称号「スヴィル」を有する。ソ連軍時代はウクライナに駐屯しており、ウクライナ空中機動軍の母体となっている。
沿革
ソ連軍時代
- 1944年5月3日:独立親衛空挺旅団に基づき、師団編成。
- 1944年6月:カレリア戦線に派遣。事後、南カレリアの解放に参加。
- 1944年7月:スヴィル川渡河の功績に対して、「親衛スヴィル」の称号を授与。
- 1945年3月:第3ウクライナ戦線第37空挺軍団の編成下において、バラトン湖(ハンガリー)北方でドイツSS装甲師団「アドルフ・ヒトラー」を撃破。
- 1945年4月26日:師団に対して、「戦闘赤旗勲章」授与。
- 1945年5月:5月1日、オーストリア領内に進出。5月10日、チェコスロバキアのピルゼン市、グラデツ・クラエフ市地区において、アメリカ軍と会合。
- 1945年6月:戦勝式典に参加。
- 1945年5月~1946年1月:ハンガリー、キシュテレグ市に駐屯。
- 1946年初め:モスクワ軍管区、ムーロム市に配置転換。
- 1946年7月:沿海軍管区、モロトフ地区ポクロフカ村に移動。
- 1951年6月:極東軍管区、アムール州ベロゴルスク市に配置転換。
- 1968年2月:師団に対して、「クトゥーゾフ二等勲章」授与。
- 1969年7月:極東軍管区軍事会議の持ち回り赤旗が、師団に永久保管。
ウクライナ駐屯時代
- 1969年:ウクライナ・ソビエト社会主義共和国オデッサ軍管区、ベルグラド市に配置転換。
- 1987年11月:名誉称号「大十月70周年」を授与(この称号は、ソ連軍全体で3部隊しか有していない)。
- 1979~1989年:アフガニスタンでの戦闘行動に参加。
- 1980年代末~1990年代初め:ザカフカーズ及び中央アジアにおいて、特殊任務遂行。
ロシア連邦軍時代
- 1993年5月:ソビエト連邦の崩壊に伴い、ウクライナから引き揚げ、駐屯地をロシア・イワノヴォ市に移転。この際、隊員の約4割がそのままウクライナに残り、ウクライナ空中機動軍を設立した。
- 1994年12月~1995年2月:第1次チェチェン戦争に投入。
- 1995年5月:師団配下の第331親衛パラシュート降下連隊が、戦勝50周年式典の観閲式に参加(2000年にも参加)。
- 1996年1月:師団に基づき、ロシア連邦平和維持軍独立空挺旅団が編成され、ボスニア・ヘルツェゴビナで平和維持任務を遂行。
- 1998年7月:グルジア・アブハジア紛争地帯において、平和維持任務を遂行。
- 1999年5~7月:第331連隊第2大隊に基づき混成大隊が編成され、平和維持任務遂行のためコソボに派遣。
- 1999年9月~2000年3月:第331連隊に基づき編成された混成連隊戦術群を第2次チェチェン戦争に投入。
- 2014年4月~2015年:第331連隊の一部隊員をドンバス戦争に投入[1]。
- 2018年5月:第331連隊が赤の広場での戦勝記念日のパレードに参加[2]。
- 2022年3月17日:2022年ロシアのウクライナ侵攻において、連隊長を含む第331連隊隊員5名の戦死が報道される[3]。
編制
- 第217親衛パラシュート降下連隊
- 第331親衛パラシュート降下連隊
- 第1065砲兵連隊
- 第318独立高射ミサイル大隊
- 第661独立工兵大隊
- 第674独立通信大隊
- 第15独立修理大隊
- 第243独立軍事輸送航空飛行隊
歴代師団長
職名 | 就任年 | 氏名 | 階級 |
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師団長 | 1944年 - 1944年 | コンスタンチン・ヴィンドゥシェフ | 親衛大佐 |
師団長 | 1944年 - 1946年 | ワシーリー・ラリン | 親衛少将 |
師団長 | 1946年 - 1950年 | ミハイル・アリモフ | 親衛少将 |
師団長 | 1950年 - 1952年 | ワレーリー・サフチュク | 親衛少将 |
師団長 | 1952年 - 1954年 | ピョートル・リャボフ | 親衛少将 |
師団長 | 1954年 - 1956年 | イワン・ジェドフ | 親衛大佐 |
師団長 | 1956年 - 1962年 | アンドレイ・エヴダン | 親衛少将 |
師団長 | 1962年 - 1962年 | ミハイル・ソロキン | 親衛少将 |
師団長 | 1962年 - 1966年 | ドミトリー・スホルコエ | 親衛少将 |
師団長 | 1966年 - 1967年 | ニコライ・バラノフ | 親衛少将 |
師団長 | 1967年 - 1973年 | ゲンナジー・サモイレンコ | 親衛少将 |
師団長 | 1973年 - 1977年 | アレクセイ・ソコロフ | 親衛少将 |
師団長 | 1977年 - 1982年 | ヴィターリー・レベジェフ | 親衛少将 |
師団長 | 1982年 - 1985年 | オスワリダス・ピカウスカス | 親衛少将 |
師団長 | 1985年 - 1989年 | アレクサンドル・チンダロフ | 親衛少将 |
師団長 | 1989年 - 1993年 | ワレーリー・ヴォストロチン | 親衛少将 |
師団長 | 1993年 - 1996年 | アレクサンドル・ベスパロフ | 親衛少将 |
師団長 | 1996年 - | アレクサンドル・レンツォフ | 親衛少将 |
脚注
- ^ “ロシア軍空挺連隊の指揮官、ウクライナで戦死 国営テレビが確認”. CNN (2022年3月19日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ロシア軍空挺連隊の指揮官、ウクライナで戦死 国営テレビが確認”. CNN (2022年3月19日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ロシア軍空挺連隊の指揮官、ウクライナで戦死 国営テレビが確認”. CNN (2022年3月19日). 2022年3月22日閲覧。