アダム・ペイナッケル
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アダム・ペイナッケル Adam Pijnacker | |
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ウィブランド・デ・ヘーストによる肖像画 | |
生誕 |
1620年か1622年 スヒーダム |
死没 |
1673年3月28日(葬礼日) アムステルダム |
アダム・ペイナッケル(アダム・パイナッケルとも、Adam Pijnacker 、姓の綴りは Pynackerとも、1620年か1622年の生まれ[1]、1673年3月28日に埋葬)は、17世紀オランダの画家である。地中海地域などの港の風景やローマ近郊などのイタリアの風景を描いた。
略歴
現在の南ホラント州のスヒーダムで、船主でもあった裕福なワイン商人の息子に生まれた。父親は市の参事会 (vroedschap)のメンバーでもあった。
18世紀初めに画家の伝記を出版したアルノルト・ホウブラーケンは、ペイナッケルは3年間、ワイン商としての仕事でイタリアに滞在したと推定している。1648年に帰国した後、風景画を描くようになり、港や、ローマ周辺の丘や滝を題材に描いた。1649年から1651年の間に何度もデルフトで過ごし、裕福な醸造業者の息子で、画商、静物画家の Adam Pick(1621/1622-1658/1666)と交流があった。
1654年から1655年の間はドイツのレンツェン(Lenzen、現プリーグニッツ郡)でブランデンブルク公の宮廷で働いた。1565年頃から、狩猟の風景を描いた作品も残した。1657年にデルフトに戻り、画家のウィブランド・デ・ヘーストの娘と結婚した。義父のデ・ヘーストによるペイナッケルの肖像画が残されている。1658年にカトリックに改宗した。
1661年から亡くなるまでアムステルダムのローゼングラハト(Rozengracht)で暮らした。
作品
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イタリアの川辺の風景 (1650/1655)
アムステルダム国立美術館 -
湖畔に停泊する船の船頭たち (c.1665)
アムステルダム国立美術館 -
スキーダムの港 (1650/1653)
ロサンゼルス・カウンティ美術館 -
家畜のいる夕方の山の風景 (c.1665)
ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館
脚注
- ^ Biografische gegevens bij het RKD-Nederlands Instituut voor Kunstgeschiedenis
参考文献
- Wassenbergh, A. (1969) Het huwelijk van Adam Pijnacker en Eva Maria de Geest. In: De Vrije Fries, diel 49, pp. 93-95.
- Lots, J.J.F. (2007)De kunstschilder Adam Pijnacker en zijn voorouders (1620/1621-1673). In: Ons Voorgeslacht 62 (2007), pp. 161-167.
- Liedtke, W., e.a. (2001) Vermeer and the Delft School. Yale University Press. p.338