グスタフ・ザムエル・レオポルト (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)
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グスタフ・ザムエル・レオポルト Gustav Samuel Leopold | |
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プファルツ=クレーブルク公 プファルツ=ツヴァイブリュッケン公 | |
在位 |
プファルツ=クレーブルク公:1689年 - 1730年 プファルツ=ツヴァイブリュッケン公:1718年 - 1730年 |
出生 |
1670年4月12日 |
死去 |
1731年9月17日(61歳没) |
配偶者 | ドロテア・フォン・プファルツ=フェルデンツ |
ルイーゼ・ドロテア・フォン・ホフマン | |
家名 | プファルツ=クレーブルク家 |
父親 | プファルツ=クレーブルク公アドルフ・ヨハン1世 |
母親 | エリーザベト・ブラーエ |
グスタフ・ザムエル・レオポルト(Gustav Samuel Leopold, 1670年4月12日 - 1731年9月17日)は、プファルツ=クレーブルク公(在位:1689年 - 1730年)、プファルツ=ツヴァイブリュッケン公(在位:1718年 - 1730年)。アドルフ・ヨハン1世とエリーザベト・ブラーエの末子。アドルフ・ヨハン2世の弟、スウェーデン王カール10世の甥、カール11世の従弟に当たる。
生涯
[編集]1689年に兄が子の無いまま没した為、プファルツ=クレーブルク公を相続した。また、大北方戦争を戦っていた従甥のスウェーデン王兼ツヴァイブリュッケン公カール12世が1718年に戦死、ツヴァイブリュッケン公も継いだ(スウェーデン王位はカール12世の妹ウルリカ・エレオノーラが継いだ)。
1731年、グスタフ・ザムエル・レオポルトの死によってプファルツ=クレーブルク家は断絶、プファルツ=ビルケンフェルト家のクリスティアン3世がツヴァイブリュッケン公を相続した。
1707年に同族のプファルツ=フェルデンツ公レオポルト・ルートヴィヒの娘ドロテアと結婚、1723年にルイーゼ・ドロテア・フォン・ホフマンと再婚したが、どちらの結婚からも子供は得られなかった。
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