コンテンツにスキップ

天美佐利命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。メソ液体 (会話 | 投稿記録) による 2023年5月22日 (月) 23:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

天美佐利命

別名 阿米弥佐利命
大国主命
天止牟移比賣
兄弟姉妹 久斯比賀多命
神社 粟鹿神社
テンプレートを表示

天美佐利命(あめのみさりのみこと)は、『粟鹿大明神元記』において、粟鹿神社祭神とされる神である。

概要

『粟鹿大明神元記』に記された神話は以下の通りである。

昔、山海や人々の生活も混沌とし、神も天皇になっていない頃、天美佐利命は国を振り固めた。その後、天下が陰り、豪雨が長く続き、洪水が発生し、飢餓や病が流行り、人々が流浪するようになった。天皇は駕き、家臣に命じて占わせた。それによると、大国主命の子の天美佐利命が、まだ朝廷からの尊敬を受けていないため、この災難が起こっているということであった。そのため朝廷は勅命を下し、社殿を建て、12箇所の別所、神戸2烟、神田75町5段180歩を与えた。そして、天美佐利命を祀り、氏と神職を定めるにあたって、大和国大神神社の氏人(三輪氏)を派遣した。また、祭りや忌月、供日、神宝、礼祭も定めた。これにより、天下は豊かになり、人々も安心して暮らせるようになったという[1][2]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 村山美生「粟鹿大明神元記」について」(『柏高紀要』第4号、1995年)
  2. ^ 前之園亮一「神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値:「神」概念の形成と出雲神話を中心に」『学習院大学文学部研究年報』第23号、学習院大学文学部、1976年、115-147頁、hdl:10959/3058ISSN 04331117CRID 1520290885415946240