コンテンツにスキップ

稲垣早苗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Darklanlan (会話 | 投稿記録) による 2023年3月19日 (日) 10:09個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

稲垣 早苗(いながき さなえ、1910年1月1日[1] - 1999年3月31日)は、日本の経営者

経歴

静岡県富士市出身[1]1930年明治学院高等商業部を卒業[1]1943年10月、稲垣の知人の紹介で日本統計機に入社[2]。同社は日本ワットソン統計会計機(後の日本IBM)の財産が敵産管理法によって凍結された際にその顧客が出資して1943年6月に設立された会社で、IBM製品の保守サービスを提供していた。1950年、営業活動を再開した日本IBMに営業課長として入社[1]

1956年に営業担当取締役に就任[1]。1960年に生産担当常務、副社長を経て、1962年に社長に就任した[1]1975年に会長に就任し、1980年3月から相談役を務めた[1]

1975年4月に藍綬褒章を受章し、1980年4月に勲三等旭日中綬章を受章[1]

1999年3月31日肺炎のために死去[3]。89歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 人事興信所 1991, い332頁.
  2. ^ 道田, 国雄「コンピュータリゼーションと二人三脚の“幸福人間”稲垣早苗」『コンピュートピア』第8巻第97号、1974年、102-107頁。 
  3. ^ 1999年 4月1日 日本経済新聞 朝刊 p39

参考文献

  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。 
先代
鈴木信治
日本アイ・ビー・エム社長
1962年 - 1975年
次代
椎名武雄