アントニオ・チゼリ
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アントニオ・チゼリ Antonio Ciseri | |
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自画像 | |
生誕 |
1821年10月25日 スイス, ロンコ・ソプラ・アスコナ |
死没 |
1891年3月8日 イタリア, フィレンツェ |
アントニオ・チゼリ(Antonio Ciseri、1821年10月25日 - 1891年3月8日)はスイス系イタリア人の画家である[1] 。宗教画や肖像画を描いた。
略歴
[編集]スイス、ティチーノ州のロンコ・ソプラ・アスコナに生まれた。祖父の代から続く装飾画家の家系で、1833年に父親が働くフィレンツェに移り、フィレンツェの美術学校(Accademia di Belle Arti di Firenze)で新古典主義の画家、ピエトロ・ベンヴェヌーティやジュゼッペ・ベッツォーリらに学んだ。
1848年から後輩を教え始め、1853年に美術学校を開いた。チゼリから学んだ画家にはシルヴェストロ・レーガ(Silvestro Lega : 1826-1895)、ニッコロ・カンニッチ(Niccolò Cannicci : 1846-1906)、 ジローラモ・ネルリ(Girolamo Nerli :1860-1926) 、ラファエロ・ソルビ(Raffaello Sorbi : 1844-1931)や エギスト・サッリ(Egisto Sarri : 1837-1901)らがいる[2]。
イタリアやスイスの教会からの依頼で宗教画を描き、また多くの肖像画を描いた。その宗教画はラファエロ・サンティの作品のスタイルを踏襲していた。
1877年にイタリアの市民権を得た。1891年にフィレンツェで没した。
作品
[編集]-
Penitent Magdalen, 1864
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The Exile
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Giovanni Dupré-彫刻家
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Immacolata
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エッケ・ホモ(「この人を見よ」)
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The transport of Christ to the sepulcher
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「ピエタ」
脚注
[編集]- ^ "Ciseri, Antonio." Enciclopedia Italiana|Treccani, il portale del sapere. Web. 26 April 2011.
- ^ Ciseri, Spalleti, & Sisi 1991, p. 164.
参考文献
[編集]- Ciseri, A., Spalletti, E., & Sisi, C. (1991). Omaggio ad Antonio Ciseri, 1821-1891: dipinti e disegni delle gallerie fiorentine : Firenze, Galleria d'arte moderna di Palazzo Pitti, 28 settembre-31 dicembre 1991. Firenze: Centro Di. ISBN 88-7038-213-3 (Italian language)
- "Antonio Ciseri". SIKART dictionary and database.