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チルワースのルーカス男爵

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チルワースのルーカス男爵

紋章記述

Crest

A Representation of Apollo affrontée Or Escutcheon Per fess wavy Or and Azure in chief between two Annulets a Rose Gules barbed and seeded proper and in base two Bars wavy Argent surmounted by a Bull's Head caboshed Sable Supporters Dexter: a Lion Or; Sinister: a Russian Bear Sable, each resting the interior paw upon an Annulet therein a Rose Gules barbed and seeded proper

創設時期1946年6月27日
創設者ジョージ6世
貴族連合王国貴族
初代初代男爵ジョージ・ウィリアム・ルーカス英語版
現所有者第3代男爵サイモン・ウィリアム・ルーカス
相続人ジョン・ロナルド・ミュア・ルーカス
付随称号なし
現況存続
モットーLabor Vincit Omnia
(Labour Conquers All)[1]

チルワースのルーカス男爵: Baron Lucas of Chilworth)は、イギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。

歴史

実業家にして労働党の政治家ジョージ・ウィリアム・ルーカス英語版(1896-1967)1946年6月27日連合王国貴族としてサウサンプトン州チルワースにおけるチルワースのルーカス男爵(Baron Lucas of Chilworth, of Chilworth in the County of Southampton)に叙された[2]。彼は叙爵ののち、アトリー内閣下で侍従たる議員英語版国王親衛隊隊長職を歴任している[3][4]

2代男爵は父とは異なり保守党の政治家として活動した[2]サッチャー政権下においては貿易産業政務次官を務めている[2]

その後は2代男爵の長男サイモン(1957-)が男爵位を継承した。彼が現在も男爵家当主を務めている。

なお、駐シリア英国大使を務めた外交官アイヴァー・ルーカス(1927-2018)は初代男爵の弟である[5]

男爵家のモットーは『労働に勝るものなし(Labor Vincit Omnia)[2]

チルワースのルーカス男爵(1946)

法定推定相続人は現当主の息子であるジョン・ロナルド・ミュア・ルーカス閣下(1995-)。

脚注

  1. ^ Burke's Peerage. 1959.
  2. ^ a b c d Lucas of Chilworth, Baron (UK, 1946)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2021年2月5日閲覧。
  3. ^ No.38741”. The Gazette 21 October 1949. 2019年11月6日閲覧。
  4. ^ No.38856”. The Gazette 7 March 1950. 2019年11月6日閲覧。
  5. ^ Obituaries, Telegraph (2018年5月28日). “Ivor Lucas, diplomat – obituary” (英語). The Telegraph. ISSN 0307-1235. https://www.telegraph.co.uk/obituaries/2018/05/28/ivor-lucas-diplomat-obituary/ 2019年11月5日閲覧。 

参考文献

  • Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990.