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長谷川茂雄

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長谷川茂雄

長谷川 茂雄(はせがわ しげお、1898年明治31年)6月6日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚陸軍司政官嘉義市尹ジャカルタ市長。

経歴・人物

東京市本郷区春木町(現・文京区本郷三丁目)に生まれる[1]1921年大正10年)3月、東京高等商業学校を卒業し、同年11月、台湾総督府財務局金融課に奉職する[1]

1929年(昭和4年)10月[2]高等試験行政科に合格し、1931年(昭和6年)7月に地方理事官に進み、高雄州知事官房税務課長に発令される[1]1933年(昭和8年)9月、台中州知事官房税務課長に転じ、1934年(昭和9年)9月、台湾総督府税関事務官・財務局勤務、1935年(昭和10年)9月に東勢郡守を経て、1936年(昭和11年)10月に彰化郡守に就任する[1]。ついで嘉義市尹、営林所庶務課長[3]、新竹州総務部長を経て、1942年(昭和17年)8月に陸軍司政官に就任した[4]。ジャカルタ市長を務めた[2]

脚注

  1. ^ a b c d e 台湾新民報社 1937, 313頁.
  2. ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、283頁。
  3. ^ 太田 1940, 32頁.
  4. ^ 興南新聞社 1943, 320頁.

参考文献