植村泰朝
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長8年(1603年) |
死没 | 寛文3年8月14日(1663年9月15日) |
改名 | 覚翁丸(幼名)→泰朝 |
別名 | 通称:左京 |
墓所 | 覚翁寺 |
官位 | 従五位下、土佐守、長門守、帯刀舎人 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家光 |
氏族 | 植村氏 |
父母 | 父:植村泰勝 |
兄弟 | 泰朝、阿倍政継室 |
妻 | 内藤信正娘 |
子 | 泰治、忠朝、一色直氏室 |
寛永12年(1635年)、父・植村泰勝の死去により家督を継ぐ。その際、浄林寺を現在の場所に移設して、父の幼名の覚翁丸から取って出水山覚翁寺と改称し、菩提寺とした。
駿府加番、大坂加番などを歴任し、正保2年(1645年)、大番頭に昇進した。
子の忠朝はさらに加増され、大名に列している。
関連作品 「安祥譜代三河植村氏の研究」宮崎仁良著