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五和村 (静岡県)

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2022年12月28日 (水) 07:01; IXTA9839 (会話 | 投稿記録) による版 (村名の由来を修正、加筆。1955年国勢調査による面積人口。学校について追記。鉄道節表記変更。)(日時は個人設定で未設定ならUTC

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ごかむら
五和村
廃止日 1957年10月1日
廃止理由 新設合併
金谷町、五和村金谷町
現在の自治体 島田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
榛原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 50.26 km2.
総人口 7,778
(国勢調査、1955年10月1日)
隣接自治体 島田市、掛川市、榛原郡金谷町、川根町小笠郡三笠村
五和村役場
所在地 静岡県榛原郡五和村大字竹下
座標 北緯34度50分48秒 東経138度07分18秒 / 北緯34.84658度 東経138.12161度 / 34.84658; 138.12161 (五和村)座標: 北緯34度50分48秒 東経138度07分18秒 / 北緯34.84658度 東経138.12161度 / 34.84658; 138.12161 (五和村)

大井川流域の町村制施行時の町村。53が五和村。(52.金谷町)
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五和村(ごかむら)は静岡県の中部、榛原郡に属していたである。現在の島田市西部、大井川右岸側に存在していた。

地理

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  • 山:八高山、神尾山、経塚山
  • 河川:大井川

歴史

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村名の由来

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大井川の天正の瀬替えの後、旧河道は相次いで開墾された[1][2]。この時にできた島村・番生寺村・竹下村・牛尾村・横岡新田は、志戸呂郷の地先にあったため、志戸呂五ヶ村と呼ばれた[1][3]。後に志戸呂村・横岡村を含めた地区の汎称地名として「五箇」が使われるようになったという[1][4]

1878年(明治11年)には竹下村・横岡村・横岡新田・牛尾村・島村・番生寺村・志戸呂村の7村組合で竹下村に小学校校舎を新築し、名称を竹下学校から五和学校に改めた[5][6]

1889年(明治22年)の11村の合併の際にも五箇に因む「五和」を村名とした[1][4]

行政区画の変遷

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、竹下村、島村、志戸呂村、番生寺村、大代村、牛尾村、横岡村、横岡新田、福用村、高熊村、神尾村、牧ノ原[一部]が合併して五和村が発足する。
  • 1950年昭和25年)9月1日 - 金谷町との境界を変更する。金谷町大字金谷河原・金谷の一部を五和村に編入し、五和村大字志戸呂の一部を金谷町に編入した[7]
  • 1957年(昭和32年)10月1日 - 金谷町と五和村が合併し、改めて金谷町が発足する[8]

教育

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1947年の学校教育法施行直後の時点では、五和村立五和中学校と五和村立五和小学校を設置していた[9]。小学校は大代分校と北五和分校を置き、分校では1・2年、3・4年、5・6年の複式学級を編制していた[9]

交通

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鉄道

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括弧内の駅は金谷町との合併以降の開業である。

脚注

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参考文献

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  • 静岡郷土研究会 編『掛川誌』 戊編、静岡郷土研究会、1928年8月1日。NDLJP:1214836 
  • 渡辺陸平 編『竹下村誌稿』1924年5月30日。NDLJP:917819 
  • 『静岡県市町村合併沿革誌』 1巻、静岡県、1963年3月30日。NDLJP:2988972 
  • 『静岡県市町村合併沿革誌』 2巻、静岡県、1964年3月30日。NDLJP:2988990 
  • 角川日本地名大辞典 22 静岡県
  • 金谷町史編さん委員会 編『金谷町史』 通史編 本編、金谷町役場、2004年3月31日。全国書誌番号:22215215