ハインリヒ5世 (バイエルン公)
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ハインリヒ1世(5世) Heinrich I. (V.) | |
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ルクセンブルク伯(1世) バイエルン公(5世) | |
在位 |
ルクセンブルク伯:998年 - 1026年 バイエルン公:1004年 - 1009年、1017年 - 1026年 |
出生 |
960年 |
死去 |
1026年2月27日 |
埋葬 | オスターホーフェン |
家名 | アルデンヌ=ルクセンブルク家 |
父親 | ルクセンブルク伯ジークフリート1世 |
母親 | ヘートヴィヒ |
ハインリヒ5世(Heinrich V., 960年 - 1026年2月27日)は、ルクセンブルク伯(ハインリヒ1世、在位:998年 - 1026年)およびバイエルン公(在位:1004年 - 1009年、1017年 - 1026年)。
生涯
[編集]ハインリヒは、ルクセンブルク伯ジークフリート1世(998年没)とヘートヴィヒ(992年没)の間に生まれた。父ジークフリートの存命中より、ハインリヒは神聖ローマ皇帝オットー3世の近くに仕え、ヴェネツィア遠征に従い、親密な主従関係を築いていたとみられる。993年から996年の間に、ハインリヒにトリーアのザンクト・マクシミン修道院のフォークタイ(フォークトの所領)が与えられ、その後エヒタナハ修道院のフォークタイも与えられた。ハインリヒの妹クニグンデは、皇帝ハインリヒ2世と結婚しており、そのために1004年3月21日にバイエルン公位を与えられた。同年、ハインリヒはボレスワフ1世と戦うためポーランド遠征に参加した。1008年、ハインリヒは義弟ハインリヒ2世に対し反乱を起こし、1009年にバイエルン公位を剥奪された。1017年12月に、ケルン大司教ヘリベルトおよびトリーア大司教ポッポの仲裁により、再びバイエルン公位を与えられた。
ハインリヒは1026年に嗣子なく死去、低バイエルンのオスターホーフェンに埋葬されたとみられる。ルクセンブルク伯位は甥ハインリヒ2世が継承した。
参考文献
[編集]- Kurt Reindel: Heinrich V.. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 8, Duncker & Humblot, Berlin 1969, ISBN 3-428-00189-3, S. 342 (電子テキスト版).
- Sigmund Ritter von Riezler (1880). "Heinrich V.". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 11. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 459–460.
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