黒瀬與重郎
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黒瀬 與重郎(くろせ よじゅうろう、旧姓・高田[1]、1854年10月24日(安政元年9月3日)[2][3] - 1931年2月16日(昭和6年2月16日))は、香川県多額納税者[3][4][5][6][7]、地主[1][8]、資産家[8][9]。族籍は香川県平民[3][4][5][6]。
人物
香川県仲多度郡生野村[1](後の麻野村、現・善通寺市)、平民・高田恵八郎の四男[3][5]。黒瀬與吉郎の養子となり、家督を相続する[9][10]。
與重郎の職業は『貴族院多額納税者名鑑』によると「無業」[2]、『全国多額納税者互選名鑑』によると「商業」[4]である。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[2]。同地方屈指の大地主[1]、資産家で、香川県下の多額納税者である[9]。1926年、退隠する[9]。
與重郎の人柄は「社交界に出ることを好まず、政治を談ずることを欲せず、只詩文に親しんだ」という[1]。住所は丸亀、通町[3][4][5][9]。
家族・親族
- 黒瀬家
- 養父・與吉郎[3][5]
- 妻・ウズエ(1867年 - 1956年、岡山、堀和平の二女)[5][9]
- 長男・琢郎(1890年 - 1941年、法学士[9][10]、香川県多額納税者)
- 二男[10]
- 三男・武吉郎(1898年 - ?、法学士、経済学士[10])
- 四男[9]
- 長女・サエ(1885年 - ?、香川、高田文翁の妻)[9][10]
- 二女・ツギオ(1887年 - ?、香川、鎌田勝太郎の養子憲夫の妻)[9][10]
- 三女・サキ(1892年 - ?、愛媛、大野悌の妻)[9][10]
- 親戚
脚注
- ^ a b c d e 『大正人名辞典』1812頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ a b c 『貴族院多額納税者名鑑』518頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』く21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 『全国多額納税者互選名鑑』388頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』く26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』く27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第16版』全国多額納税者 香川県之部20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第8版』ク73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第9版』ク71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
参考文献
- 梅田正勝編『全国多額納税者互選名鑑』溝口摂弥、1898年。
- 『日本紳士録 第16版』交詢社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。