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阿藤 傳治(あとう でんじ、1900年(明治33年)10月23日[1] - 1981年(昭和56年)12月14日)は、日本の実業家。朝日放送元会長。
経歴・人物
福岡県豊前市出身[2]。東京商科大学を卒業し、住友銀行で勤務していた[3]。1955年1月に大阪テレビ放送常務に就任し[3]、1959年に合併により、朝日放送常務に就任し、1964年から1968年までに専務を、1968年から1971年までに副社長を、1971年から1974年までに会長をそれぞれ務めた[4]。その後は1975年5月までに取締役を務めた[4]。
1981年12月14日急性心不全のために兵庫県宝塚市の自宅で死去[3]。81歳没。
脚注
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、34頁。
- ^ 1981年 12月15日 読売新聞 朝刊 p19
- ^ a b c 1981年 12月14日 毎日新聞 夕刊 p7
- ^ a b 朝日放送の50年 Ⅲ 資料集 p10
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歴代社長1 | |
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歴代会長12 | |
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歴代朝日放送テレビ社長 | |
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歴代朝日放送テレビ会長 | |
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歴代朝日放送ラジオ社長 | |
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1社名は、2018年3月までは朝日放送。2018年4月より朝日放送グループホールディングス。 21963年5月〜1971年5月、1974年9月〜1979年6月、1990年10月〜1995年6月、1999年6月〜2002年6月、2005年6月〜2011年6月、2013年4月〜2018年3月、2019年4月〜2024年9月は会長職空席。 31955年5月〜1959年5月に旧OTV 大阪テレビ放送の社長を務めた。存在していたOTVの4年間の間に社長を歴任したのは鈴木だけである。 |