安倍弟当
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時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 大同3年6月13日(808年7月10日) |
官位 | 従四位下、左中弁 |
主君 | 光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 安倍氏 |
父母 | 父:阿倍意比麻呂(帯麻呂)、母:不詳 |
兄弟 | 阿倍行氏、弟当、阿倍箕野、阿倍御嶽麻呂、藤原真楯室 |
妻 | 不詳 |
子 | 友上、藤原貞雄室 |
安倍 弟当(あべ の おとまさ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。美作守・阿倍意比麻呂(帯麻呂)の子。官位は従四位下・左中弁。
経歴
[編集]宝亀4年(773年)従五位下に叙爵し、翌宝亀5年(774年)主税頭次いで少納言に任ぜられる。桓武朝では、大蔵少輔・左右少弁・兵部大輔などを歴任する一方、延暦6年(787年)従五位上、延暦20年(801年)従四位下に叙せられている。その後左中弁を務め、延暦23年(804年)丹波守を兼ねた。
大同3年(808年)6月13日卒去。最終官位は散位従四位下。
人物
[編集]生まれつき清廉で慎み深い性格であった。朝早くから夜遅くまで公務に就き、歌舞音曲の場に近づかなかった。家風として蓄財に関して何も対応することがなかったという。[1]
官歴
[編集]注記のないものは『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 宝亀4年(773年) 正月7日:従五位下
- 宝亀5年(774年) 3月5日:主税頭。9月4日:少納言
- 延暦3年(784年) 4月2日:大蔵少輔
- 延暦5年(786年) 6月9日:右少弁
- 延暦6年(787年) 正月7日:従五位上。3月22日:左少弁
- 延暦8年(789年) 9月12日:兼下野守。12月29日:山作司
- 時期不詳:正五位下
- 延暦18年(799年) 9月10日:兵部大輔
- 延暦20年(801年)日付不詳:従四位下
- 時期不詳:左中弁[2]
- 延暦23年(804年) 正月24日:丹波守
系譜
[編集]- 父:阿倍意比麻呂(帯麻呂)[1]
- 母:不詳
- 生母不明の子女