ウィリアム・タウンゼンド (庶民院議員)
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ウィリアム・タウンゼンド閣下(英語: Hon. William Townshend、1702年6月9日 – 1738年1月26日)は、グレートブリテン王国の政治家。
生涯
[編集]第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドと1人目の妻エリザベス・ペラム(Elizabeth Pelham、1711年5月11日没、初代ペラム男爵トマス・ペラムの娘)の三男として、1702年6月9日に生まれた[1]。
1723年6月11日にグレート・ヤーマス選挙区の補欠選挙で当選、以降1738年に死去するまで同選挙区の代表として議員を務めた[2]。1729年に王太子フレデリック・ルイスの寝室宮内官に任命されると王太子の腹心になり、議会では1733年に(おそらくは王太子の意思を受けて)消費税法案に反対票を投じた[3]。
1738年1月26日に死去した[1]。
家族
[編集]1725年5月29日、ヘンリエッタ・ポーレット(Henrietta Powlett、1755年1月没、ウィリアム・ポーレット卿の娘[2])と結婚[1]、1男2女をもうけた[4]。
- チャールズ(1728年 – 1810年) - 初代ベイニング男爵
- キャロライン - フレデリック・コーンウォリス(1783年没)と結婚[5]
出典
[編集]- ^ a b c "Townshend, Viscount (E, 1682)". Cracroft's Peerage (英語). 22 April 2008. 2020年8月30日閲覧。
- ^ a b Rigg, James McMullen (1899). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 57. London: Smith, Elder & Co. pp. 109–117. . In
- ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "TOWNSHEND, Hon. William (1702-38).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月30日閲覧。
- ^ Frey, Linda; Frey, Marsha (23 September 2004). "Townshend, Charles, second Viscount Townshend". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/27617。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ "Cornwallis, Baron (E, 1661 - 1852)". Cracroft's Peerage (英語). 2020年8月30日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 チャールズ・タウンゼンド閣下 ホレイショ・ウォルポール |
庶民院議員(グレート・ヤーマス選挙区選出) 1723年 – 1738年 同職:ホレイショ・ウォルポール 1723年 – 1734年 エドワード・ウォルポール 1734年 – 1738年 |
次代 ロジャー・タウンゼンド閣下 エドワード・ウォルポール |