コンテンツにスキップ

ウィリアム・タウンゼンド (庶民院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年7月30日 (金) 13:48; Meine Libe (会話 | 投稿記録) による版 (Category:チャールズ・タウンゼンド (第2代タウンゼンド子爵)を追加 (HotCat使用))(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
チャールズ・ジャーヴァスによる肖像画、1725年頃。

ウィリアム・タウンゼンド閣下(英語: Hon. William Townshend1702年6月9日1738年1月26日)は、グレートブリテン王国の政治家。

生涯

[編集]

第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドと1人目の妻エリザベス・ペラム(Elizabeth Pelham、1711年5月11日没、初代ペラム男爵トマス・ペラムの娘)の三男として、1702年6月9日に生まれた[1]

1723年6月11日にグレート・ヤーマス選挙区英語版の補欠選挙で当選、以降1738年に死去するまで同選挙区の代表として議員を務めた[2]。1729年に王太子フレデリック・ルイス寝室宮内官英語版に任命されると王太子の腹心になり、議会では1733年に(おそらくは王太子の意思を受けて)消費税法案に反対票を投じた[3]

1738年1月26日に死去した[1]

家族

[編集]

1725年5月29日、ヘンリエッタ・ポーレット(Henrietta Powlett、1755年1月没、ウィリアム・ポーレット卿英語版の娘[2])と結婚[1]、1男2女をもうけた[4]

出典

[編集]
  1. ^ a b c "Townshend, Viscount (E, 1682)". Cracroft's Peerage (英語). 22 April 2008. 2020年8月30日閲覧
  2. ^ a b Rigg, James McMullen (1899). "Townshend, Charles (1674-1738)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 57. London: Smith, Elder & Co. pp. 109–117.
  3. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "TOWNSHEND, Hon. William (1702-38).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月30日閲覧
  4. ^ Frey, Linda; Frey, Marsha (23 September 2004). "Townshend, Charles, second Viscount Townshend". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/27617 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  5. ^ "Cornwallis, Baron (E, 1661 - 1852)". Cracroft's Peerage (英語). 2020年8月30日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
チャールズ・タウンゼンド閣下
ホレイショ・ウォルポール
庶民院議員(グレート・ヤーマス選挙区英語版選出)
1723年 – 1738年
同職:ホレイショ・ウォルポール 1723年 – 1734年
エドワード・ウォルポール英語版 1734年 – 1738年
次代
ロジャー・タウンゼンド閣下英語版
エドワード・ウォルポール英語版