コンテンツにスキップ

ムアンチャイナート郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年7月6日 (火) 19:55; 122.210.52.209 (会話) による版 (外部リンク)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

座標: 北緯15度11分8秒 東経100度7分26秒 / 北緯15.18556度 東経100.12389度 / 15.18556; 100.12389

ムアンチャイナート郡
位置画像
ムアンチャイナート郡の位置
情報
タイ語名 อำเภอเมืองชัยนาท
チャイナート県
地理番号 1801
郵便番号 17000
統計
面積 255.377 km2
人口 73,208 人 (2005年)
人口密度 286.6 人/km2
行政
テンプレートを表示

ムアンチャイナート郡(ムアンチャイナートぐん)はタイ中部・チャイナート県にある郡(アムプー)である。チャイナート県の県庁所在地(ムアン)でもある。

名称

[編集]

チャイナートとは勝利の地という意味である。

歴史

[編集]

元々、チャイナートはスコータイ王朝の覇権下にあったが、リタイ王の時代に秩序が乱れ、アユタヤ王朝ウートーン(ラーマーティボーディー1世)によりその覇権下に入ったが、後にスコータイに返還された[1]ナカリンタラーティラート王の時代には、王の第二子であるチャオ・イープラヤーが統治する町であった。なお、ナカリンタラーティラート亡き後、チャオ・イープラヤーは王位を巡って兄と一騎討ちをし相打ちで死亡した。

その後、1451年、チエンマイのティローカラート王が攻めてくると、チャイナートは灰燼と帰した。しかし、100年ほど後チャクラパット王によってチャイナートは再建された。ラッタナコーシン王朝時代には、チャイナートはチャオプラヤー川沿いに移され、チャイナートは移転した場所に合わせてバーンクルワイ郡と呼ばれるようになった。

その後、バーンクルワイ郡は1902年県庁の移動に伴い移転。1929年に新郡庁舎が完成し、1938年に名称がムアンチャイナート郡に改称された[2]

地理

[編集]

チャオプラヤー川の形成した平地にある。

交通は北から東に向けて国道1号線が通っており、北にパユハキーリー方面、東にタークファー方面と通じている。国道311号線が南に延びており、シンブリー方面と通じている。南に国道340号線が延びておりスパンブリー方面と通じている。北には国道3183号線が通じており、ウタイターニーと通じている。

経済

[編集]

郡内の主要な産業は農業であり、米やザボンが主に生産されている。

行政区分

[編集]

チャイナートは9つのタムボンに分かれ、さらにその下位に81の村(ムーバーン)がある。自治体が設置されており以下のようになっている。

また、郡内には8つのタムボン行政体が設置されている。なお、以下は郡内のタムボンの一覧である。

  1. タムボン・ナイムアン・・・ตำบลในเมือง
  2. タムボン・バーンクルワイ・・・ตำบลบ้านกล้วย
  3. タムボン・ターチャイ・・・ตำบลท่าชัย
  4. タムボン・チャイナート・・・ตำบลชัยนาท
  5. タムボン・カオタープラ・・・ตำบลเขาท่าพระ
  6. タムボン・ハートターサオ・・・ตำบลหาดท่าเสา
  7. タムボン・タンマームーン・・・ตำบลธรรมามูล
  8. タムボン・スアホーク・・・ตำบลเสือโฮก
  9. タムボン・ナーンルー・・・ตำบลนางลือ

脚注

[編集]
  1. ^ Ratanapañña Thera: The Sheaf of Garlands of the Epochs of the Conqueror, tr. N. A. Jayawickrama, London: Pali Text Society, 1968, p.123 ISBN 9780710088949
  2. ^ “พระราชกฤษฎีกาเปลี่ยนนามจังหวัด และอำเภอบางแห่ง พุทธศักราช ๒๔๘๑” (Thai). ราชกิจจานุเบกษา 55 (0 ก): 658. (14 พ.ย. 2481). http://www.ratchakitcha.soc.go.th/DATA/PDF/2481/A/658.PDF. 

外部リンク

[編集]