イブン・バイタール
表示
イブン・バイタール(Abu Muhammad Abdallah Ibn Ahmad Ibn al-Baitar Dhiya al-Din al-Malaqi also Ibn al-Baytar)(Arabic: ابن البيطار)(1188年 - 1248年[1])は、アラブの科学者、植物学者、薬剤師、医師である。アンダルス地方の最も偉大な科学者であり、「イスラーム世界の黄金時代」「ムスリムの農業改革」における最も偉大な植物学者、薬剤師とされている。
略歴
バイタールは12世紀の終わりに、スペインのマラガに生まれ、アブー・アッバース・アルナバティーから植物学を学んだ。(アルナバティーはスペイン周辺の植物を収集していたマラガの植物学者である。) アルナバティーは近代的な科学の発展に貢献した。 彼はまずはじめに検証実験を行ってから、数多くの薬物学の考察と同定を行い、実験結果や観察に基づいたものと、未確認情報とを分離して発表した。 この研究方針はバイタールに引き継がれた[2]。
1219年、バイタールは植物採取のため、故郷のマラガを離れ、トルコのアナトリア地方からはるか、北アフリカの海岸まで旅をした。 彼はベジャイア, コンスタンティーヌ, チュニス, トリポリ、バルカ、アダリアをよく訪れた。
1224年、植物学者のチーフに任命されて、アイユーブ朝のスルターン、アル・カーミルに仕えた。
1227年、アル・カーミルはダマスカスまで支配を広げ、バイタールは彼に同行し、それはシリア地方の植物採集の好機となった。彼の植物の研究はサウジアラビアやパレスチナを含む広大な範囲に広がった。
1248年、彼はダマスクスで亡くなった。
主な著書
- 『薬と栄養全書』
- イブン・バイタールの重要な著書は『薬と栄養全書』(Kitab al-Jami fi al-Adwiya al-Mufrada (Arabic: كتاب الجمع في الأدوية المفردة)である。
- この本は、植物学の歴史に残る、最大の編纂書の一冊と見なされ、何世紀もの間、植物学の権威であった。また、処方書(医薬品百科事典)でもあり、少なくとも1400の植物や食品、医薬に関する詳細と、彼が独自に発見した300項目のリストを含んでいる。『薬と栄養全書』は1758年にラテン語に翻訳され、ヨーロッパで19世紀初頭まで使用され続けた[3] 。
- この本はまた、150冊の古いアラビア語の文献だけでなく、20冊の古いギリシャ語の文献への参照が含まれている[4]。
- 『生薬全書』
- イブン・バイタールのもう一冊の重要な著書は『生薬全書』(Kitab al-Mlughni fi al-Adwiya al-Mufrada)である。この本には、頭、耳、眼、等の病気と、さまざまな病気の治療のための植物に関する広範囲な彼の知識との関連が記載された、イスラーム医学の百科事典となっている[4]。
出典・脚注
- ^ Idrisi, Z. (2005年6月). “The Muslim Agricultural Revolution and its influence on Europe” (PDF) (英語). Foundation for Science Technology and Civilisation. pp. p.2. 2010年4月13日閲覧。
- ^ Huff, Toby (2003), The Rise of Early Modern Science: Islam, China, and the West, en:Cambridge University Press, p. 218, ISBN 0521529948
- ^ Diane Boulanger (2002), "The Islamic Contribution to Science, Mathematics and Technology", OISE Papers, in STSE Education, Vol. 3
- ^ a b Russell McNeil, Ibn al-Baitar, en:Malaspina University-College