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イサーク・カラッソ

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イサーク・カラッソIsaac Carasso1874年1939年4月19日)はオスマン帝国出身の医師実業家ダノンの創業者[1]。英語読みでアイザック・カラッソと呼ばれる場合もある。

本名イザク・カラス(İzak Karasu)としてサロニカセファルディムの家系に生まれる。Karasuとは「黒い水」の意味。青年トルコ人革命の中心人物エマヌエル・カラッソはおじに当たる。

1916年バルカン戦争の戦火とギリシア軍の進撃を避けてカタルーニャバルセロナに移住し、イサーク・カラッソと改名。医学部卒業後、消化器の病に苦しむ幼児が多いことに着眼。酸乳を健康食として普及させたメチニコフの研究から影響を受け、バルカン半島では胃腸の病のためにヨーグルトが食べられていることを思い出し、ヨーグルトの種菌ブルガリアから輸入。伝統的な製法とパリパスツール研究所の純粋培養システムを組み合わせることにより、ヨーグルト生産の工業化を最初に成し遂げた。当時まだ西欧にはヨーグルトが普及していなかったため、当初カラッソはヨーグルトを薬局を通じて医薬品として販売していた。

彼が設立した会社は1919年にダノン・グループに発展した[1]。この社名は、息子ダニエルの名のカタルーニャ語形による愛称に由来する。

息子のダニエル・カラッソはダノン・グループの経営を継ぎ、カタルーニャフランスに事業を展開したが、1941年ナチス・ドイツの侵攻に伴って米国に移住。これに先立つ1939年、イサークはフランスで死去した。

脚注

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  1. ^ a b About Dannon”. Dannon. 2009年11月11日閲覧。