歌川広重 (5代目)
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五代目 歌川広重(ごだいめ うたがわ ひろしげ、明治23年〈1890年〉3月17日〈または3月10日〉[1] - 昭和42年〈1967年〉7月25日)とは、大正時代から昭和時代にかけての書家、画家。
来歴
本名は菊池寅三。四代目歌川広重こと菊池貴一郎の次男として生まれ、父貴一郎が開いた本銀町一丁目(現在の日本橋本石町四丁目付近)の書道塾を継いで経営していた。団扇絵など若干の作品を残している。「雪月花図」(紙本着色、浮世絵太田記念美術館所蔵)には「五世歌川広重」と落款しており、画面上部に「月」と墨書し中央部に浅草待乳山の雪景、下部に三囲神社と桜を描く。昭和7年(1932年)、写真師東々亭主人こと戸塚正幸とともに五世歌川広重の名で写真集『江戸の今昔』を刊行するが、晩年の寅三はこの本を所持していなかったという。東々亭によればその兄文雄と寅三とは親交があった。
大正12年(1923年)、日本橋本銀町の自宅兼書道塾で関東大震災に遭うがそのまま住み続ける。しかし昭和19年(1944年)、空襲により貴一郎の代から住んでいた日本橋の住居を失い、上野桜木町、さらに寛永寺真如院に移転したが、そこでも戦災に遭ったので伊豆大仁に疎開した。その後昭和28年(1953年)、東京都葛飾区亀有に移った。享年77。墓所は父貴一郎と同じ港区白金の興禅寺、法名は知達院悦山道寿居士。
脚注
- ^ 五代目歌川広重こと菊池寅三の生年月日については、『絵本江戸風俗往来』(『東洋文庫』50)には「寅三翁は明治二十三年三月十七日生まれ」と記している(295頁)。ただし吉田漱「広重 初代~五代」(『開館記念展 広重』所収)には「明治二十三年三月十日に生まれた」とあり(85頁)、『広重 初代~五代広重のガイドブック』の年表においても「3月10日」とする(69頁)。
参考文献
- 鈴木棠三編『絵本江戸風俗往来』〈『東洋文庫』50〉平凡社、1965年(「解説」)
- 吉田漱「広重 初代~五代」『開館記念展 広重』広重美術館、1997年
- 奥田敦子編『広重 初代~五代広重のガイドブック』太田記念美術館、2007年
- 石川則夫・中村正明編『コレクション・モダン都市文化66 江戸文化と下町』ゆまに書房、2011年(『江戸の今昔』所収)