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近藤用行

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近藤 用行(こんどう もちゆき、慶長9年(1604年) - 寛文4年11月4日1664年12月21日))は、江戸時代初期の旗本寄合近藤用可の庶長子。通称、五左衛門。兄弟に近藤用治都筑為次室、由良忠繁室、嶋田左平太(松平越後守家臣)の妻、野武右衛門。室は、阿倍正之の娘。継室は渡辺宗綱の娘。子に近藤用高

寛永元年(1624年)、用行は庶子の為、気賀近藤家を弟の用治に譲り、遠江国大谷(現・三ケ日町大谷)2000石を分知され寄合に列し大谷近藤家の初代となる。寛永8年祖父の領地のうち400石を分知される。寛永9年徒頭となり布衣を許される。寛永10年(1633年)に将軍家御用の新茶を運ぶ宇治採茶使神尾守勝朽木友綱安藤正珍と務める。同年500石を加増され、新田を加えて3,000石を領する。

子孫は、3,000石の旗本として存続し、天保13年(1842年)に第7代近藤用誉の時に内野(現・浜松市浜北区)に移った。