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有宗益門

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有宗益門
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上主計頭
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 有宗宿禰
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有宗 益門(ありむね の ますかど)は、平安時代初期から前期にかけての貴族官位従五位上主計頭

出自

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有宗氏(有宗宿禰)は、出自未詳だが渡来系氏族と考えられている大窪氏(大窪史)の後裔氏族[1]

経歴

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仁寿3年(853年従五位下に叙され、翌仁寿4年(854年主計助に任ぜられる。斉衡3年(856年)主計頭に進む。斉衡4年(857年)従五位下(内位)・木工権助に叙任され、算博士を兼任した。さらに天安2年(858年)木工助に進み、同年8月の文徳天皇崩御にあたっては山作司を務めている。

清和朝に入り貞観2年(860年)従五位上に叙され、貞観3年(861年)に木工権頭に昇進する。貞観5年(863年次侍従に補任され、貞観7年(865年信濃権守を兼ねる。『六国史』に最後に益門の名が見える貞観7年6月26日当時の官位は主計頭兼木工権頭従五位上行算博士信濃権守。

官歴

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六国史』の記載に従う。

脚注

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  1. ^ 太田[1963: 257]
  2. ^ 朝野群載』巻廿二の三善為長諸国権介申文(寛治元年12月25日)にも有り。
  3. ^ 『菅原道真の詩と学問』谷口孝介、2006年

参考文献

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