ハサン・アリー・ミールザー・ハーン
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ハサン・アリー・ミールザー・ハーン Hassan Ali Mirza Khan | |
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ムルシダーバード太守 | |
ハサン・アリー・ミールザー・ハーン | |
在位 | 1882年 - 1906年 |
戴冠式 | 1883年3月27日 |
別号 | ナワーブ |
出生 |
1846年8月25日 ムルシダーバード 、ハザールダウリー宮殿 |
死去 |
1906年12月25日 ムルシダーバード、ハザールダウリー宮殿 |
子女 | ワーシフ・アリー・ミールザー・ハーン |
王朝 | ナジャフィー朝 |
父親 | マンスール・アリー・ハーン |
宗教 | イスラーム教 |
ハサン・アリー・ミールザー・ハーン(Hassan Ali Mirza Khan, 1846年8月25日 - 1906年12月25日)は、東インドのムルシダーバード太守 (在位:1882年 - 1906年)。ライス・ウッダウラ(Rais ud-Daula)とも呼ばれる。
生涯
[編集]1846年8月25日、ベンガル太守マンスール・アリー・ハーンの長男として生まれた[1]。
1880年11月1日、父マンスール・アリー・ハーンは退位したが、その際にベンガル太守の称号を放棄せねばならず、息子ハサン・アリー・ミールザー・ハーンが継いだのは単なる家長の位にすぎなかった[1]。
1882年2月17日、ハサン・アリー・ミールザー・ハーンは新たにムルシダーバード太守の称号を採用し、1883年3月27日にハザールダウリー宮殿で即位式を行った[1]。
結局、1891年3月21日にイギリスはこのムルシダーバード太守の称号は認め、ハサン・アリー・ミールザー・ハーンの地位は確固となった[1]。
1906年12月25日、ハサン・アリー・ミールザー・ハーンは死亡し、息子のワーシフ・アリー・ハーンが太守位を継承した[1]。