出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯田 長次郎(いいだ ちょうじろう、生年不詳[1] - 正徳元年11月26日〈1712年1月4日〉)は、江戸時代中期の一揆指導者[2]。
安房郡国分村(現:千葉県館山市国分)の名主[2]。正徳元年(1711年)北条藩領下で起こった万石騒動の指導者のひとり[2]。のち一揆の頭取として秋山角左衛門、根本五左衛門と共に処刑された[2]。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 76頁。
- ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『飯田長次郎』 - コトバンク