陳玄興

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陳 玄興(ちん げんこう、Chen Xuanxing、1647年 - 1703年)は、初の画家。

法祖・浄得と名乗る。日本姓は頴川氏。

潮音道海を慕って来日し、長崎に在留し画作した。また経学に通じ詩文に長けた。

延宝6年(1678年)に「釈迦雨宝孔子三教像」を徳川綱吉に献上[1]。延宝8年(1680年)、潮音の印可を受けを贈られる。晩年は長崎に帰り元禄16年、死期を察知し寂斎居士とし、「坐臥白雲間」と自書した紙帳の中で起居しまもなく没した。享年57。

その画風は長崎漢画の成立に影響した。

著作[編集]

  • 『詩苑余草』

関連項目[編集]

  • 長崎派
  • 黒瀧山不動寺 「黒瀧山物語」として陳玄興と白いツツジの精霊冴月姫との恋物語が伝わっている。
  • 木庵
  • 陳璜

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  1. ^ 『黒瀧開山潮音禅師年譜』

出典[編集]

十八羅漢図 陳玄興筆 木庵賛 1683年 絹本着色 萬福寺万寿院